
天寧寺
新選組が京都守護職の松平容保のもとで市中取締りに尽力したことにちなみ、近藤勇の墓が立つ。墓には彼の遺髪や骨が納められているといわれる。土方歳三が藩主・容保公に願い出、会津藩の手により建立されたものである。隣には土方の戒名を刻んだ慰霊碑が立っている。
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新選組が京都守護職の松平容保のもとで市中取締りに尽力したことにちなみ、近藤勇の墓が立つ。墓には彼の遺髪や骨が納められているといわれる。土方歳三が藩主・容保公に願い出、会津藩の手により建立されたものである。隣には土方の戒名を刻んだ慰霊碑が立っている。
永暦元年(1160)に、国主だった岩城則道の妻徳尼が、亡くなった夫の冥福を祈って建立されたといわれる。浄土庭園に立つ御堂は、平安末期の代表的な建築様式で、四方に曲線を描く屋根が特徴。
嘉禄3年(1227)創建。広い境内の一番奥の阿弥陀堂に、通称「會津大佛」の名で知られている、木造阿弥陀如来三尊像が祀られている。季節ごとに多くの花々が鑑賞できる池庭もあり「花のお寺」としても親しまれている。毎年10月には10日間の御十夜会があり、第3・9日目には希望者が参加可能な來迎念佛行道が行われる(要問合せ)。
会津三十三観音の第八番札所。曹洞宗大雲山観音寺(竹屋観音寺)境内。子安観音とも称され、鎌倉時代の仏工師運慶の作と伝わる「木造如意輪観音像」が安置されている。
ケヤキの一木造りの坐像で会津五薬師の一つと伝えられ、国宝である勝常寺のほかに残る唯一の像。元祿4年(1691)に再建したと伝えられる。堂内に日光・月光の両脇侍及び十二神将像等が安置。
茅葺き屋根の家が軒を連ねていることで有名な大内宿は、高倉宮以仁王が敗戦した際に潜伏したといわれる村。この村に建つのが高倉神社。高倉宮以仁王が祀られ、毎年7月2日には半夏祭りが開催される。
屋根が重層になっていて2階建てに見えることから藤倉二階堂[ふじくらにかいどう]とも呼ばれる。室町時代に建てられた建物は、細部まで唐様の手法が取り入れられた禅宗建築で、急勾配の母屋とゆるやかな廂がつくる優美な形状は全国的にも珍しく、国の重要文化財に指定されている。
寛治3年(1089)に造営されたといわれる神社で、修験者の修行場だった長床[ながとこ](重要文化財)が残る。宝物殿では国や県の重要文化財など約80点を公開している。
会津地方は祈りの里とも言われるほど、霊場が多いところ。立木観音(会津坂下町)、鳥追観音(西会津町)と並び、幸運を授け、大往生を遂げさせてくれるという「ころり三観音」の一つ。中田観音は、文永11年(1274)、長者の江川常俊が亡娘の菩提を弔うために十一面観音を建立した。また野口英世の母シカが、息子の火傷の治癒と立身出世を祈願して月参りしたことでも知られる。車で5分のところには、樹齢700年の千歳桜もある。※ペットを抱いての参拝は控えること。
棚倉駅の南西6km。大同2年(807)弘法大師が東北行脚中、悪鬼退治のため護摩壇を築いたのに始まる。渓谷に沿った樹齢100年以上の杉並木を抜けると、130段の石段が見えてくる。登りつめると巨岩の洞窟の中に本尊が安置された霊場がある。
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