長命寺
江戸時代初期に創建され、保科正之[ほしなまさゆき]の代になって現在地に移った。戊辰戦争の戦場となり、東西多数の死者が出た。会津軍145体が埋葬されており、春秋2回の墓前祭が行われる。
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江戸時代初期に創建され、保科正之[ほしなまさゆき]の代になって現在地に移った。戊辰戦争の戦場となり、東西多数の死者が出た。会津軍145体が埋葬されており、春秋2回の墓前祭が行われる。
表磐梯東麓の高台に、徳川三代将軍家光の弟で、初代会津藩主となった保科正之をまつる土津[はにつ]神社がある。延宝3年(1675)に創建されたもので、その壮麗さは奥日光、東北の日光などと讃えられた。社殿は戊辰戦争で焼け、明治時代に再建されたものだが、墓所のある奥の院を含めた一帯が国の史跡に指定されている。手前の磐椅[いわはし]神社には、会津五桜の一つ、5月中旬に開花する大鹿桜[おおしかざくら]がある。
天暦元年(947)村上天皇の勅旨が奉納したという、サトザクラの一品種のヤエザクラ(子菊桜)で、「会津の五桜」のひとつ。「花の中心雌芯[しずい]の変化した2、3の葉が生じた花弁も70数枚になる」という珍しい桜である。開花の時は白色だが暫時鹿の色に似る。開花期間が長いことから、別名「翁桜」とも呼ばれる。このほかに、杉に寄生した縁結び桜もある。
黒岩の虚空蔵様と親しまれる満願寺には、寺の裏手に十六羅漢石像が並び、境内では1690年代に鋳造され天女の姿が彫られたいぼなし鐘も見られる。
相馬出身の仏師荒嘉明[あらよしあき]が生涯一仏一体を残そうと岩山を切り開き、昭和5年(1930)に建立。30余年の歳月を費やし、一人で彫り続けたが、完成を見ずに他界。現在は四代目の陽之輔氏が父祖の志を受け継いでいる。
会津三十三観音の第八番札所。曹洞宗大雲山観音寺(竹屋観音寺)境内。子安観音とも称され、鎌倉時代の仏工師運慶の作と伝わる「木造如意輪観音像」が安置されている。
信夫三山の一つ羽黒山にある神社。一説によると出羽三山よりも歴史の古い神社で、毎年2月10・11日の2日間、長さ12mの大わらじを奉納する暁参りが行われる。
用明2年(587)聖徳太子が仏の道を修める道場として開基されたと伝えられ、日本四天王寺の一寺でもある。明治時代裏山から発見された「経筒」は平安時代の銘があり、国指定重要文化財に指定されている。伊達照宗候の寄進により建立された観音堂には、聖観世音菩薩が安置され奥州・信達33観音霊場の11番札所である。左手に聖徳太子が奉安された等身大の毘沙門天王像が合祀されている。堂下には子育地蔵尊・ぼけ除け延壽観世音菩薩が奉安されており、多くの方々の信仰を集めている。
標高668mの東堂山は小山町のシンボル。中腹にある満福寺の境内脇に並ぶ羅漢様は、昭和60年(1985)に奉安が始まり、480体以上が奉安されている。のんべい羅漢や大笑い羅漢など、一体一体がとてもユニークな表情で、観音堂脇の静かな空間に鎮座している。表情豊かな羅漢様の中には、「上を向いて歩こう」で有名な永六輔・中村八大・坂本九の「六八九羅漢」、小野町名誉町民の東京農大名誉教授小泉武夫先生や作詩家丘灯至夫先生の羅漢様も奉安されている。
元亀3年(1572)に開かれた岳林寺にある石造りの十六羅漢像。像の造立は1780年代とみられ、古木が茂った林の中で荘厳な雰囲気だ。
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