 
													山本不動尊
棚倉駅の南西6km。大同2年(807)弘法大師が東北行脚中、悪鬼退治のため護摩壇を築いたのに始まる。渓谷に沿った樹齢100年以上の杉並木を抜けると、130段の石段が見えてくる。登りつめると巨岩の洞窟の中に本尊が安置された霊場がある。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
 
													棚倉駅の南西6km。大同2年(807)弘法大師が東北行脚中、悪鬼退治のため護摩壇を築いたのに始まる。渓谷に沿った樹齢100年以上の杉並木を抜けると、130段の石段が見えてくる。登りつめると巨岩の洞窟の中に本尊が安置された霊場がある。
 
													信夫山の中腹、東側の岩壁に彫られた磨崖仏群で、三十三観音、地蔵尊、不動尊など60余体が刻まれている。平安時代の末期から鎌倉時代にかけて建立されたもので、現在の観音堂は慶長19年(1614)に再建されたもの。江戸時代に庶民の間で西国三十三観音を模した仏像を礼拝することが流行したことから、この地にも三十三観音が刻まれたと言われている。
 
													永暦元年(1160)に、国主だった岩城則道の妻徳尼が、亡くなった夫の冥福を祈って建立されたといわれる。浄土庭園に立つ御堂は、平安末期の代表的な建築様式で、四方に曲線を描く屋根が特徴。
 
													標高668mの東堂山は小山町のシンボル。中腹にある満福寺の境内脇に並ぶ羅漢様は、昭和60年(1985)に奉安が始まり、480体以上が奉安されている。のんべい羅漢や大笑い羅漢など、一体一体がとてもユニークな表情で、観音堂脇の静かな空間に鎮座している。表情豊かな羅漢様の中には、「上を向いて歩こう」で有名な永六輔・中村八大・坂本九の「六八九羅漢」、小野町名誉町民の東京農大名誉教授小泉武夫先生や作詩家丘灯至夫先生の羅漢様も奉安されている。
 
													信夫三山の一つ羽黒山にある神社。一説によると出羽三山よりも歴史の古い神社で、毎年2月10・11日の2日間、長さ12mの大わらじを奉納する暁参りが行われる。
 
													高さ10m、幹周り約3mの枝垂れ桜。樹齢およそ300年。
 
													開山は約840年前。日本三不動尊の一つといわれ、「中野のお不動さま」と呼ばれる。奥の院、不動明王の前に灯された聖火は、山を開いた恵明道人[えみょうどうにん]が灯して以来燃え続けているものだという。不動滝や洞窟めぐりなどもあり、2月中旬~3月中旬の歳祭りには水行も行われる。
 
													明治9年(1876)、安積開拓に従事した人々の心の拠り所として、伊勢神宮の御分霊を奉遷し創建された。「東北のお伊勢さま」として親しまれ、正月や花見の時期には特に多くの参拝者が訪れる。
 
													用明2年(587)聖徳太子が仏の道を修める道場として開基されたと伝えられ、日本四天王寺の一寺でもある。明治時代裏山から発見された「経筒」は平安時代の銘があり、国指定重要文化財に指定されている。伊達照宗候の寄進により建立された観音堂には、聖観世音菩薩が安置され奥州・信達33観音霊場の11番札所である。左手に聖徳太子が奉安された等身大の毘沙門天王像が合祀されている。堂下には子育地蔵尊・ぼけ除け延壽観世音菩薩が奉安されており、多くの方々の信仰を集めている。
 
													二本松藩主・丹羽家代々の菩提寺。境内には歴代藩主の墓や、戊辰戦争で戦死した二本松少年隊16名の墓が残されている。少年隊は12歳から17歳で、維新の夜明けを見ずに散った。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
												路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
												トップページ、電車関連ページで表示されます。
    										
 
    									エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。