
久保田三十三観音
県道柳津昭和線で昭和村に向う山手、久保田地区の観音山と呼ばれる小高い丘陵に、33の石の観音菩薩が安置されている。180年前のもので、1周230m、33回巡拝すれば安産と健康が守られるという。
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県道柳津昭和線で昭和村に向う山手、久保田地区の観音山と呼ばれる小高い丘陵に、33の石の観音菩薩が安置されている。180年前のもので、1周230m、33回巡拝すれば安産と健康が守られるという。
大同年間(806~10)に徳一大師が創建し、大師自らが薬師如来を刻んで安置したと伝える。歴代藩主のほか、有力大名が帰依した名刹。戊辰戦争で多くの文化財を失ったが、運慶作といわれる木造文殊菩薩騎獅像(重要文化財)は拝観可能。確実に拝観したい場合は事前に要電話予約。
相馬出身の仏師荒嘉明[あらよしあき]が生涯一仏一体を残そうと岩山を切り開き、昭和5年(1930)に建立。30余年の歳月を費やし、一人で彫り続けたが、完成を見ずに他界。現在は四代目の陽之輔氏が父祖の志を受け継いでいる。
岩代国(福島県)一宮、会津総鎮守。崇神10年(紀元前88)創建、欽明13年(552)の高田への遷座という由緒をもつ。約2万坪の境内は古代会津の原生林を残し、南限を示す楡[にれ]の樹林や約200種のハナショウブが咲き誇るあやめ苑など壮大な規模を誇る。花が薄墨色から赤に変化することから、薄墨桜(学名アイヅウスズミ)とよばれる桜がご神木となっている。国指定重要無形民俗文化財の御田植祭は昼に行われることから高田の昼田として知られ、三重県伊勢神宮の朝田、愛知県熱田神宮の夕田と並ぶ田植祭の一つとされる。
相馬家代々の氏神として崇敬されてきた相馬中村神社は、天之御中主神を祭神とする相馬三妙見社の一つであり、中村城郭内西方の小高い丘に位置する。寛永20年(1643)に相馬藩主第18代義胤[よしたね]により建立された後、約20年ごとに都合10回の修理をかさねており、平成29年(2017)の大修理の際には屋根も創建当時のこけら葺に改修された。流造りによる桃山様式の本殿・幣殿・拝殿は、昭和58年(1983)に国の重要文化財に指定されている。
大内宿の最奥の高台にあり、脇の山道から見下ろす茅葺き屋根の連なりは、日本昔ばなしの世界のよう。ココに立たなければ大内宿に行ったとは言えません。
会津高野山[こうやさん]とも呼ばれる。16世紀末に建てられた茅葺きの単層入母屋造りの阿弥陀堂が重要文化財に指定されている。死者の遺髪や遺骨の一部を小型の木製の五輪塔に入れて寺に納めて供養する風習が伝わり、国の重要有形民俗文化財に指定されている。祭礼は毎年8月1日から7日までの一週間で、8月5日午前10時から空也念仏踊りが奉納される。
会津の初代藩主保科正之を祀る神社。建立は延宝3年(1675)と古く、当時は日光東照宮に並ぶほどの荘厳さを誇ったという。戊辰戦争により焼失したが、明治13年(1880)に再建された。境内には正之を讃える高さ7.6m、重さ約30トンの霊号碑がある。
平安初期の大同2年(807)、仏都会津の祖・徳一菩薩が「会津西方浄土」として開創。会津ころり三観音の一つ。日本遺産「会津三十三観音」別格番外。縁結び、子授け、安産、健康長寿で信仰を集める。詳細は公式サイトを参照。
会津鉄道弥五島[やごしま]駅から大川を越えて山手に入ったところ。鎌倉末期から南北朝の頃(1330年代)の創建といわれる。三間四面に回廊を持った南北朝時代様式を残す本格的な和様建築の観音堂は、国の重要文化財。御蔵入三十三観音の第11番札所ともなっている。
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