 
													磐椅神社
天暦元年(947)村上天皇の勅旨が奉納したという、サトザクラの一品種のヤエザクラ(子菊桜)で、「会津の五桜」のひとつ。「花の中心雌芯[しずい]の変化した2、3の葉が生じた花弁も70数枚になる」という珍しい桜である。開花の時は白色だが暫時鹿の色に似る。開花期間が長いことから、別名「翁桜」とも呼ばれる。このほかに、杉に寄生した縁結び桜もある。
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													天暦元年(947)村上天皇の勅旨が奉納したという、サトザクラの一品種のヤエザクラ(子菊桜)で、「会津の五桜」のひとつ。「花の中心雌芯[しずい]の変化した2、3の葉が生じた花弁も70数枚になる」という珍しい桜である。開花の時は白色だが暫時鹿の色に似る。開花期間が長いことから、別名「翁桜」とも呼ばれる。このほかに、杉に寄生した縁結び桜もある。
 
													嘉禄3年(1227)創建。広い境内の一番奥の阿弥陀堂に、通称「會津大佛」の名で知られている、木造阿弥陀如来三尊像が祀られている。季節ごとに多くの花々が鑑賞できる池庭もあり「花のお寺」としても親しまれている。毎年10月には10日間の御十夜会があり、第3・9日目には希望者が参加可能な來迎念佛行道が行われる(要問合せ)。
 
													会津三十三観音の第八番札所。曹洞宗大雲山観音寺(竹屋観音寺)境内。子安観音とも称され、鎌倉時代の仏工師運慶の作と伝わる「木造如意輪観音像」が安置されている。
 
													大内宿の最奥の高台にあり、脇の山道から見下ろす茅葺き屋根の連なりは、日本昔ばなしの世界のよう。ココに立たなければ大内宿に行ったとは言えません。
 
													表磐梯東麓の高台に、徳川三代将軍家光の弟で、初代会津藩主となった保科正之をまつる土津[はにつ]神社がある。延宝3年(1675)に創建されたもので、その壮麗さは奥日光、東北の日光などと讃えられた。社殿は戊辰戦争で焼け、明治時代に再建されたものだが、墓所のある奥の院を含めた一帯が国の史跡に指定されている。手前の磐椅[いわはし]神社には、会津五桜の一つ、5月中旬に開花する大鹿桜[おおしかざくら]がある。
 
													境内の観音堂は、国の重要文化財に指定。室町末期の建立で、方三間、総檜材茅葺きの入母屋造り。内部は本格的な唐様建築の手法だ。絵様くり形のある木鼻・虹梁に、中央は格天井。当時の技法を知る上からも、極めて貴重な古建築だ。
 
													大同2年(807)、空海が磐梯山の噴火を鎮めるために開基、約600年前に源翁[げんのう]禅師が再建したと伝わる古刹。本堂をはじめ源翁作といわれる木像を安置した開山堂、千手観音が置かれた観音堂などがひっそりと佇む。境内には明治のナイチンゲールといわれた瓜生岩子[うりゅういわこ]の像などもある。座禅と法話の体験ができ、熱塩温泉宿泊者は旅館に、宿泊者以外は熱塩温泉旅館組合(TEL:0241-36-3138)に要予約。※体験は5名以上から受付。時間・内容応相談。冬期は実施していないので注意。
 
													会津三十三観音の第一番札所。真言宗紅梅山常安寺境内。大木村に大木左馬亮という常安長者が創建し、持仏の十一面観音像を納めた。大木観音堂の右手には、「万代の願ひ大木の観世音あの世とともに救け給へや[よろづよのねがいおおきのかんぜおんあのよとともにたすけたまえや]」が刻まれた御詠歌の石碑が有る。
 
													創建は応永29年(1422)の古刹。明治13年(1880)の喜多方大火で旧本堂が消失したので、防火のために蔵造りの本堂を再建した。白と黒のコントラストが美しい。
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