
開成山大神宮
明治9年(1876)、安積開拓に従事した人々の心の拠り所として、伊勢神宮の御分霊を奉遷し創建された。「東北のお伊勢さま」として親しまれ、正月や花見の時期には特に多くの参拝者が訪れる。
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明治9年(1876)、安積開拓に従事した人々の心の拠り所として、伊勢神宮の御分霊を奉遷し創建された。「東北のお伊勢さま」として親しまれ、正月や花見の時期には特に多くの参拝者が訪れる。
二本松藩主・丹羽家代々の菩提寺。境内には歴代藩主の墓や、戊辰戦争で戦死した二本松少年隊16名の墓が残されている。少年隊は12歳から17歳で、維新の夜明けを見ずに散った。
信夫山の中腹、東側の岩壁に彫られた磨崖仏群で、三十三観音、地蔵尊、不動尊など60余体が刻まれている。平安時代の末期から鎌倉時代にかけて建立されたもので、現在の観音堂は慶長19年(1614)に再建されたもの。江戸時代に庶民の間で西国三十三観音を模した仏像を礼拝することが流行したことから、この地にも三十三観音が刻まれたと言われている。
標高337m。仁寿元年(851)、天台宗第三祖慈覚大師によって開かれた霊場。山の中腹には毘沙門堂があり、入口から徒歩10分の山頂には奥の院阿弥陀堂がある。
「しのぶもちずり」はかつて「みちのくの 忍ぶもちずり誰故に 乱れ染めにし我ならなくに」と古今集にも詠まれ、歌枕の地として知られる。境内には悲恋物語を伝える「もちずり石」を中心に県重文の多宝塔をはじめとする諸堂宇があるほか、芭蕉、子規、沢庵和尚芋銭などの多くの句歌碑が建立されてきた。芭蕉も境内を訪れ「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」の一句を遺している。資料館・傳光閣には芭蕉をはじめゆかりの文人墨客の真蹟などの文化財が展示されている。晩秋のもみじも美しい。
天長3年(826)の開基という。弘法大師作の薬師如来が祭られ、鯖野[さばの]の薬師ともよばれ、病を癒す仏として親しまれてきた。源義経に随従した佐藤継信、忠信兄弟の菩提寺で、義経一行が奥州行で立ち寄ったことを伝える弁慶の笈[おい]が宝物殿に残され、境内には「笈も太刀も五月に飾れ紙幟[かみのぼり]」と詠んだ芭蕉の句碑がある。
黒岩の虚空蔵様と親しまれる満願寺には、寺の裏手に十六羅漢石像が並び、境内では1690年代に鋳造され天女の姿が彫られたいぼなし鐘も見られる。
聖徳太子堂からさらに石段を上った所にある。温泉の守護仏・薬師瑠璃光如来と、木地師の祖と伝わる惟喬法親王と土湯こけしが祭られている。
用明2年(587)聖徳太子が仏の道を修める道場として開基されたと伝えられ、日本四天王寺の一寺でもある。明治時代裏山から発見された「経筒」は平安時代の銘があり、国指定重要文化財に指定されている。伊達照宗候の寄進により建立された観音堂には、聖観世音菩薩が安置され奥州・信達33観音霊場の11番札所である。左手に聖徳太子が奉安された等身大の毘沙門天王像が合祀されている。堂下には子育地蔵尊・ぼけ除け延壽観世音菩薩が奉安されており、多くの方々の信仰を集めている。
信夫三山の一つ羽黒山にある神社。一説によると出羽三山よりも歴史の古い神社で、毎年2月10・11日の2日間、長さ12mの大わらじを奉納する暁参りが行われる。
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