
桂春院
江戸初期創建の妙心寺の塔頭。ツツジの大刈込が美しい南庭と苔が見事な東庭など、創建時の枯山水庭園(史跡・名勝)がある。三畳台目で草庵風の茶室既白庵[きはくあん]は近江長浜城から移築されたものだ。
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江戸初期創建の妙心寺の塔頭。ツツジの大刈込が美しい南庭と苔が見事な東庭など、創建時の枯山水庭園(史跡・名勝)がある。三畳台目で草庵風の茶室既白庵[きはくあん]は近江長浜城から移築されたものだ。
疫病鎮めの神様として知られる。平安遷都後に疫病が流行したため、朝廷は神輿を船岡山に安置して疫神鎮静を図り、長保3年(1001)にはこの地に神殿を造営し新しい社との意味で今宮と号した。現社殿は明治時代の再建。毎年4月第2日曜には、疫神社の疫神を鎮める「やすらい祭」が営まれる。鬼を従えた行列が「やすらい花や」と囃しながら踊る。行列の中心は季節の花で飾られた風流傘、この傘の下に入れば1年間病気をしないといわれる。
京都を流れる鴨川の水源地にあたり、水の供給を司る神様を祀る。創建年代は不詳だが、平安京遷都以来、水源を守る神として皇室からも格別の崇敬を受けてきた古社。日照りや長雨が続いた時には雨乞い・雨止め神事が行われ、現在も農業や菓子・酒造業など水に関わりのあるあらゆる業種の人々の信仰を集めている。平安時代の女流歌人・和泉式部が参拝し、復縁祈願が成就したことから、縁結びの神様としても信仰を集める。本宮境内には、重森三玲作の石庭がある。
早良[さわら]親王など、非業の死を遂げた御霊八所の神を祭る。本殿は寛政3年(1791)に宮中の内侍所仮殿を移し、寺町通に面した表門は仮皇居の建礼門を移したものと伝えられている。
明治18年(1885)創建。明治維新に功績のあった、三條実万[さねつむ]・実美[さねとみ]親子が祭神。萩の名所としても名高く、参道や境内に萩が咲き乱れる9月中~下旬には萩まつりが催される。境内には上田秋成と湯川秀樹の歌碑、有名な京都三名水の一つ「染井」もある。
天慶元年(938)に元三[がんさん]大師によって船岡山に創建されたが、元亀2年(1571)に織田信長の焼き討ちを免れて現在地に移った。代々皇室の帰依が厚く、本堂は光格天皇の勅命により仙洞御所の一部を移築されたもの。紫式部の邸宅跡としても知られ、「源氏庭」には紫色のキキョウが咲く。節分の日に、3匹の鬼が剣や斧、槌をもって踊り、追儺使[ついなし]が紅白の豆を投げて鬼を追い払う、「鬼の法楽」[おにのほうらく]が有名。
建仁寺の塔頭寺院。境内には平安初期の公卿で学者、歌人としても名高い小野篁[おののたかむら]が冥界へ通ったという伝説の井戸があり、閻魔堂には閻魔大王像と小野篁像を祀る。毎年8月7~10日には「六道まいり」が行われ、盆に帰ってくる精霊をこの世に迎え入れるとされる鐘「迎え鐘」を撞こうと多くの人が訪れる。重要文化財の本尊薬師如来像ほか、寺宝の公開も行われ参道には精霊が宿るとされる高野槙や盆花などを売る露店も出て大勢の参拝者で賑わう。
知恩院にあり、元和7年(1621)に建てられた。現存する木造の門としては日本最大級で、正面約50m、側面約12m、高さ約24mの堂々たるもの。石段下から見上げると圧倒されるような門だ。近づくにつれて見えてくる、木組み細部の幾何学的な美しさも必見。
比叡山を借景にした見事な枯山水の庭園(名勝)が有名だ。後水尾上皇の幡枝御殿(はたえだごてん)が延宝6年(1678)に寺に改められたもので、本堂と庭はかつての「下御茶屋」に当たる。苔が敷き詰められた庭には40数個の石が巧みに配置され、低い生け垣の向こうに霊峰比叡山を望む。
開祖は臨済宗大徳寺の徹翁国師。元禄7年(1694)に卍山禅師が住持し、曹洞宗に改宗。本堂には「血天井」と呼ばれる伏見城の戦いを今に伝える伏見桃山城の遺構や、「悟りの窓」「迷いの窓」があり、北山を借景にした庭園を望むことができる。本堂内に霊芝観世音菩薩を祀る。紅葉時期は駐車場利用禁止。駐車場に関しては要問合せ。
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