養源院
三十三間堂の東側にあり、淀殿が文禄3年(1594)に父浅井長政の菩提寺として建立。その後火災に遭い、淀殿の妹で徳川秀忠の夫人である崇源院が元和7年(1621)に伏見城の旧材を使って再建。本堂廊下の上の天井は「血天井」と呼ばれ、伏見城が落城した時、徳川家康の部下だった鳥居元忠らが自刃した際の血痕が付いた床板を使用したものという。俵屋宗達の描いた杉戸絵(重要文化財)・襖絵(重要文化財)や狩野山楽筆の襖絵も見逃せない。
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三十三間堂の東側にあり、淀殿が文禄3年(1594)に父浅井長政の菩提寺として建立。その後火災に遭い、淀殿の妹で徳川秀忠の夫人である崇源院が元和7年(1621)に伏見城の旧材を使って再建。本堂廊下の上の天井は「血天井」と呼ばれ、伏見城が落城した時、徳川家康の部下だった鳥居元忠らが自刃した際の血痕が付いた床板を使用したものという。俵屋宗達の描いた杉戸絵(重要文化財)・襖絵(重要文化財)や狩野山楽筆の襖絵も見逃せない。
慶長3年(1598)に62年の生涯を閉じた豊臣秀吉を祀る。のちに徳川家康によって廃社とされたが、明治13年(1880)に再建された。桃山建築を代表する唐門(国宝)や、名工辻与二郎作の鉄灯籠は有名。宝物館には狩野内膳筆の『豊国祭礼図屏風』(重要文化財)などが展示されている。
栄西が建仁2年(1202)、宋の百丈山にならって創建した臨済宗の寺院。栄西は中国から初めて茶の種を持ち帰った人物で、誕生日の4月20日には四頭[よつがしら]茶会が催される。単層入母屋造の方丈(重要文化財)は、慶長4年(1599)、広島の安国寺から移築されたもの。勅使門(重要文化財)、俵屋宗達作の風神雷神図(国宝)(展示は複製)など、みどころが多い。平成14年(2002)4月には、創建800年を記念して法堂天井に小泉淳作の108畳敷の双龍図が奉納された。
西国三十三カ所第17番札所。空也上人が天暦5年(951)に開いた西光寺を、上人の没後、弟子の中信が六波羅蜜寺と改名した。悪疫退散を念じて空也が刻んだという本尊の十一面観音立像(国宝)は本堂(重要文化財)に安置、12年毎の辰年に開帳される。宝物館には念仏を唱える姿の空也上人像(重要文化財)や平清盛像(重要文化財)など鎌倉時代の彫刻が収められている。
豊臣秀吉の正室、高台院(北政所ねね)が慶長11年(1606)に秀吉の菩提を弔うために開いた寺。創建当初は広大な寺域をもつ壮麗な寺であったが、度重なる火災に遭っている。桃山様式の創建当時の面影を残すのは、開山堂(重要文化財)と、須弥檀や厨子の高台寺蒔絵で名高い霊屋[おたまや](重要文化財)、伏見城から移した茶室傘亭(重要文化財)と時雨亭(重要文化財)、表門(重要文化財)、観月台(重要文化財)など。東山を借景にした小堀遠州作の庭園(名勝・史跡)も見ごたえがある。
現在の辰巳大明神の地にあった旧家には、屋敷神として白蛇が祀られていた。旧家の移転に伴い、祠は地域に受け継がれ旧巽橋のたもとに祀られ、祇園の料理人が卵を供え信仰していたと言われている。戦後巽橋の改修に伴い現在の場所に鎮座され、無病息災、技芸上達、商売繁盛の氏神として地域の人々に信仰されている。
天智天皇時代(668~671)に藤原鎌足が創建したと言われる藤寺に始まり、祭神の崇徳上皇が保元の乱で讃岐に配流され崩御されたのち、光明院観勝寺が安井金比羅宮の起こりと言われている。崇徳上皇が一切の欲を断って「おこもり」をしたことから、全ての欲を断ち切る祈願所とされ、現在は悪縁を切り良縁を結ぶ神様として多くの人が参拝に訪れ、信仰されている。境内にある縁切り・縁結び碑は絵馬を象ったもので、中央にある穴を表からくぐると悪縁が切れ、裏からくぐると良縁が結ばれるとされている。
延暦21年(802)創建で、『平家物語』によると小督[こごう]の局が宮中を追われ出家した寺。山中には小督の局を愛した高倉天皇の陵や、西郷隆盛と清水寺住職月照上人が謀議をした茶室郭公亭がある。清水寺から清閑寺へ向かう杉並木の山道は古くから知られた紅葉の名所。途中にある清水寺塔頭泰産寺[たいさんじ]の子安塔(重要文化財)は、安産祈願で有名。江戸時代初期の再建で、もとは坂上田村麻呂の娘が皇子の誕生を祝って建てたものという。この場所からは清水寺を一望できる。
知恩院にあり、元和7年(1621)に建てられた。現存する木造の門としては日本最大級で、正面約50m、側面約12m、高さ約24mの堂々たるもの。石段下から見上げると圧倒されるような門だ。近づくにつれて見えてくる、木組み細部の幾何学的な美しさも必見。
知恩院の北側にある天台宗の門跡寺院で、粟田御所とも呼ばれる。応仁の乱を逃れたという門前の楠の大木が目印。平安末期に比叡山の東塔から移した青蓮坊がそもそもの始まり。代々親王が住職を務めてきた格式の高い寺である。天明8年(1788)の皇居炎上の際には後桜町上皇の仮御所となった。雅な建物は明治以降の再建。みどころは2つの庭園。華頂山を借景とした室町時代の相阿弥作池泉廻遊式庭園と、小堀遠州作の霧島の庭。春秋の特別公開時には、庭園の一角の茶室・好文亭で抹茶付きで鑑賞ができる。青蓮院門跡では、毎年春に、夜の特別拝観、ライトアップを開催。春にはサクラやフジ、サツキがライトアップされる。
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