梨木神社
明治18年(1885)創建。明治維新に功績のあった、三條実万[さねつむ]・実美[さねとみ]親子が祭神。萩の名所としても名高く、参道や境内に萩が咲き乱れる9月中~下旬には萩まつりが催される。境内には上田秋成と湯川秀樹の歌碑、有名な京都三名水の一つ「染井」もある。
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明治18年(1885)創建。明治維新に功績のあった、三條実万[さねつむ]・実美[さねとみ]親子が祭神。萩の名所としても名高く、参道や境内に萩が咲き乱れる9月中~下旬には萩まつりが催される。境内には上田秋成と湯川秀樹の歌碑、有名な京都三名水の一つ「染井」もある。
律宗・壬生寺[りっしゅう みぶでら]は正暦2年(991)に創建された。本尊は延命地蔵菩薩(重文)であり、厄除・開運のご利益が授けられる。700年余の伝統を持つ壬生狂言は、毎年盛大に行われており、庶民大衆の寺として今日に至る。境内にある壬生塚[みぶづか]には、局長・近藤 勇の胸像や、隊士が葬られており、新選組隊士にまつわる逸話も残っている。
西本願寺南にある真宗興正派の本山。文明年間(1469~1487)、佛光寺の14世経豪が本願寺8世の蓮如に帰依し、佛光寺を弟に譲り、名を蓮教と改めて山科に一宇を建てたのが起こり。佛光寺の旧称から興正寺(興隆正法寺)と称した。その後、石山本願寺とともに寺地を移転し、天正19年(1591)に現在地に移った。建立は江戸時代(1600年頃)で、明治35年(1902)に焼失、明治45年(1912)再建。
織田信長が明智光秀に討たれた寺として知られているが、当時は四条西洞院にあった。天文15年(1587)、現在地に移転。境内には信長の供養塔も立つ。
二条城近くにある神社で、豊臣秀吉が、信仰していた稲荷大神を祀ったのが始まり。秀吉の劇的な出世ぶりから、後に後陽成天皇が命名したそう。平成24年(2012)に上京区から移転。
足利義満が明徳3年(1392)に創建。夢窓疎石を開山とし京都五山の第2位となった。創建当時は境内北の上御霊神社のあたりまで広がっていたが、応仁・文明の乱のほか度重なる火災や戦乱で焼失と復興を繰りかえした。重要文化財に指定されている法堂も4度の焼失を経て、慶長10年(1605)豊臣秀頼の寄進をうけ5度目に再建された建物。現存最古の法堂の天井には狩野光信筆『蟠龍図』が描かれ、決まった場所で手を打つと共鳴音が響くことから『鳴き龍』として知られている。春(3月下旬~6月上旬)と秋(9下旬~12月上旬)の2回の特別拝観時、春・秋には、法堂、方丈、浴室または開山堂を見学できる。
延暦13年(794)、平安京の方位守護のために創建。方位を司る星神大将軍始め暦神八神を祀っている。御神像80体は国重要文化財。古天文暦資料は京都府指定文化財。
本堂が六角宝形造であることから六角堂と呼ばれているが、正式名は紫雲山頂法寺。いけばな発祥の地としても有名だ。本堂前には縁結びで有名な地摺り柳があり、その右手には六角形で中央が丸く窪んだ石(直径約42cm)がある。京都のほぼ中心に位置していることから「へそ石」と呼ばれている。
高さ55mの国宝・五重塔で知られる東寺の正式名は「教王護国寺」。平安遷都の際に創建された官寺を弘仁14年(823)に空海が嵯峨天皇より賜り、真言密教の根本道場とした。土一揆で伽藍のほとんどを焼失したが、室町末期~江戸初期にかけて再建。本堂である国宝の金堂を中心に、国指定重要文化財の南大門と講堂、昭和初期再建の食堂が一直線に並ぶ伽藍配置は創建当時の特徴を残している。境内には、国宝・御影堂(大師堂)、宝蔵、宝物館なども立ち並び、講堂の曼荼羅を立体化した21体の仏像は圧巻。宝物館は春と秋に公開、五重塔の特別公開も要確認。
幕末動乱の日々、孝明天皇は崇徳[すとく]天皇の御神威を仰がれようとしたがまもなく崩御。明治天皇は維新の礎を固めるために、父帝・孝明天皇の御意思を継がれて明治元年(1868)に御創建し、続いて淳仁天皇を合祀した神社。この地は蹴鞠[けまり]の宗家飛鳥井[あすかい]家の邸宅跡で、精大明神(蹴鞠の神)が祀られており、サッカーをはじめ、スポーツ関係者の参詣も多い。7月7日の精大明神祭(七夕祭)には「小町をどり」と「蹴鞠」が奉納される。
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