
大光明寺
相国寺内にある。暦応2年(1339)後伏見天皇皇后広義門院が、伏見に創建した伏見家菩提所で、徳川家康が再建。足利9代将軍義尚の墓(現在非公開)がある。
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相国寺内にある。暦応2年(1339)後伏見天皇皇后広義門院が、伏見に創建した伏見家菩提所で、徳川家康が再建。足利9代将軍義尚の墓(現在非公開)がある。
現在の辰巳大明神の地にあった旧家には、屋敷神として白蛇が祀られていた。旧家の移転に伴い、祠は地域に受け継がれ旧巽橋のたもとに祀られ、祇園の料理人が卵を供え信仰していたと言われている。戦後巽橋の改修に伴い現在の場所に鎮座され、無病息災、技芸上達、商売繁盛の氏神として地域の人々に信仰されている。
延暦24年(805)、桓武天皇の勅命で最澄によって開かれた。裏山を借景とした緑の深い庭園は、相阿弥作と伝わる。文治元年(1185)に建礼門院が出家したことで知られ、わが子安徳天皇の御衣で作った仏幡[ぶつばん]や建礼門院像など、『平家物語』の世界が広がる。
四条通の賑やかな繁華街にある小さな寺。本尊の地蔵菩薩は、元は「雨止み地蔵」とよばれ、鴨川の氾濫を鎮めたそう。春日仏師の作と伝える丈六座像木彫の千手観世音菩薩像。
天慶3年(940)創建の古社。鞍馬寺本堂へ至る参道途中にあり、鞍馬の火祭の舞台としてよく知られる。境内には樹齢800年と伝わる杉の巨木が立ち、霊気に満ちた気配が漂う。慶長15年(1610)に豊臣秀頼が再建した檜皮葺きの割拝殿(重要文化財)は、中央を石段がくぐっていて、その先に本殿がある。ずんぐりとした鎌倉時代の石造狛犬(重要文化財)も見逃せない。
天台五門跡の一つ。最澄が比叡山に建てた草庵に源を発し、明治4年(1871)、現在地を本坊とする。境内は自然の傾斜を活かして建物を配置。京都市の名勝に指定されている聚碧園などを眺めながら客殿、宸殿を通り、池泉回遊式庭園の有清園に出る。一面を苔の緑が覆い、秋には見事な紅葉に彩られるこの庭に往生極楽院(重要文化財)が立つ。久安4年(1148)の建立で、狭い堂内に仏像を納めるため船を逆さにしたような舟底型天井となっている。金色に輝く阿弥陀三尊像(国宝)を安置。観音・勢至両菩薩の腰をやや浮かせた姿勢が印象的。かつては、堂内は極彩色の壁画で荘厳され、平等院鳳凰堂などとともに極楽浄土の世界を表した。
貞治元年(1362)、権争の過中を出て禅の道に入った光厳天皇が庵を結んだのが始まり。仏殿、舎利殿が立つ境内は桜で埋まり、なかでも細い枝を幾重にも垂らす樹齢600年余の九重桜(天然記念物)は、特に美しい枝垂桜。このほか、江戸時代に京都御所左近の桜を株分けしたとされる左近桜、その美しさに感動して後水尾天皇が御車[みくるま]を返したとされる御車返しの桜もある。花の見頃は、4月中旬以降。10人以上の拝観は事前にFAXにて要申込み。
神亀3年(726)に行基が創建。北野大茶会のとき宿となったこの寺に、豊臣秀吉が寄進したという五色八重散椿で知られる。花びらがひとひらずつ散る姿から、散り椿の名があり、現在は樹齢約120年の第二世が本堂前庭で赤、白、ピンクなど五色の花をつける。見ごろは3月下旬~4月初旬。洛陽三十三観音霊場、第三十番札所。
京都御所の西側、蛤御門の向かいに位置し、平安遷都に尽力した和気清麻呂公を祀る。かつて清麻呂公の災難を助けたというエピソードから、狛犬に替わって「狛イノシシ」が拝殿前に置かれている。
本尊は閻魔法王。2.5m近くある巨像で、左右に検事役の司命[しめい]と、記録係の司録[しろく]を従える。5月1~4日のゑんま堂狂言は、壬生寺・嵯峨釈迦堂とともに京都の三大念仏狂言。この寺の狂言は他のもののように無言ではなく、台詞が入る。境内にはゑんま堂普賢象桜といわれる桜の名木、十重の石造紫式部供養塔(重要文化財)などがある。京のお盆の行事、「お精霊迎え」の寺としても知られる。2月20日から3月いっぱいまでは、つるし飾り、御殿雛を公開している。
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