
首途八幡宮
鞍馬山で修行した牛若丸(源義経)が、奥州平泉へ旅立つにあたり道中の安全を祈願したという伝説が残る。金売吉次の屋敷の神社ともいい、もとは内野八幡宮という名であったが、このとき以来首途八幡宮と呼ばれるようになったという。首途とは出発という意味。出発を祝う神社として旅行安全のお守りを授与している。まゆを俵型に重ねた繭守は、嫁に行くときタンスの中に入れておくと衣装持ちになれるのだそうだ。
- 「今出川駅」から徒歩20分/「鞍馬口駅」から徒歩24分
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鞍馬山で修行した牛若丸(源義経)が、奥州平泉へ旅立つにあたり道中の安全を祈願したという伝説が残る。金売吉次の屋敷の神社ともいい、もとは内野八幡宮という名であったが、このとき以来首途八幡宮と呼ばれるようになったという。首途とは出発という意味。出発を祝う神社として旅行安全のお守りを授与している。まゆを俵型に重ねた繭守は、嫁に行くときタンスの中に入れておくと衣装持ちになれるのだそうだ。
紅葉の名所として知られる天台宗の寺。真如堂の名で親しまれている。永観2年(984)、戒算上人が比叡山常行堂にあった阿弥陀如来像(重要文化財)を本尊にして開いた。この像は慈覚大師円仁の作と伝え、別名を「うなずきの弥陀」と呼ばれ、女人救済に御利益があるとされる。現在の堂宇は江戸時代中期の再建で、広大な境内には本堂(重要文化財)、三重塔、大師堂、鐘楼堂、塔頭寺院が立ち並び、大寺院の風格が漂う。11月5~15日の十夜大法要[じゅうやだいほうよう]が行われ、15日には阿弥陀如来像を開扉。寺宝の大涅槃図は、3月1日~4月第1日曜まで公開される。
豊臣秀吉公の出世祈願が叶えられたことが神社名の由来。もとは伏見城の守護神として鎮座する倉稻魂命[うかのみたまのみこと]と、良縁の神様・大国主命も祀られる。
南禅寺の塔頭。広大な敷地内に枯山水庭園と池泉回遊式庭園がある。
京都三大祭の一つ「葵祭」で知られる京都の最古の社。およそ2600年前、本殿の背後に位置する秀峰・神山に降臨した賀茂別雷大神を祀ったことが始まり。天武天皇の御代白鳳6年(677)に山背国により賀茂神宮が造営され、現在まで殆ど変容することのない社殿の基が築かれた。平安京遷都後は皇城鎮護の神として、全国の神社の中でも伊勢の神宮に次ぐ官幣大社の筆頭に列せられた。23万坪の境内全域が世界文化遺産。本殿・権殿は国宝、そのほか41棟が国指定重要文化財。
臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺の塔頭の一つ。キリシタン大名の大友宗麟[おおともそうりん]の天文4年(1535)に創設。表門(重要文化財)、本堂(重要文化財)は創建当初の遺構。方丈裏の閑眠庭[かんみんてい]は、枯山水の庭を横ぎるようにして7個の石で十字架が表されている。
臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺の塔頭の一つ。表門と本堂(方丈)は、ともに国の重要文化財に指定されており、大徳寺最古の建築。四方を趣の異なる4つの庭に囲まれている。方丈の北に枯山水の龍吟庭[りゅうぎんてい]、南に苔が美しい一枝坦[いっしだん]の庭、東に東滴壺[とうてきこ]と呼ぶ坪庭がある。
慈悲の女神、九頭竜弁財天を祀る。本殿を時計回りに9回まわるお千度や、神様より言葉をもらうおみくじが有名。災厄消除をはじめあらゆるご利益がある。
天台五門跡の一つ。最澄が比叡山に建てた草庵に源を発し、明治4年(1871)、現在地を本坊とする。境内は自然の傾斜を活かして建物を配置。京都市の名勝に指定されている聚碧園などを眺めながら客殿、宸殿を通り、池泉回遊式庭園の有清園に出る。一面を苔の緑が覆い、秋には見事な紅葉に彩られるこの庭に往生極楽院(重要文化財)が立つ。久安4年(1148)の建立で、狭い堂内に仏像を納めるため船を逆さにしたような舟底型天井となっている。金色に輝く阿弥陀三尊像(国宝)を安置。観音・勢至両菩薩の腰をやや浮かせた姿勢が印象的。かつては、堂内は極彩色の壁画で荘厳され、平等院鳳凰堂などとともに極楽浄土の世界を表した。
賀茂川の水源の山中にひっそりと立つ修験の道場。不動明王を祭ることから岩屋不動とも呼ばれるが、正式には「岩屋山志明院[いわやさんしみょういん]」という。修験道の開祖・役行者が開山、勅願所として空海が創建したと伝わる。巨木が天を覆う山内には、飛竜ノ滝や護摩洞窟など多くの行場があり、歌舞伎十八番「鳴神」の地として、また天然記念物のしゃくなげ林など有名。
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