
大将軍八神社
延暦13年(794)、平安京の方位守護のために創建。方位を司る星神大将軍始め暦神八神を祀っている。御神像80体は国重要文化財。古天文暦資料は京都府指定文化財。
- 「北野白梅町駅」から徒歩5分/「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅」から徒歩16分
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延暦13年(794)、平安京の方位守護のために創建。方位を司る星神大将軍始め暦神八神を祀っている。御神像80体は国重要文化財。古天文暦資料は京都府指定文化財。
明治28年(1895)に平安遷都1100年を記念して創建された神社で桓武天皇と孝明天皇を祀る。社殿は平安京の正庁である朝堂院を約8分の5に縮小して復元されたもの。朱塗りの社殿に境内の白砂が映え、平安京の雅な雰囲気が漂う。本殿を取り囲むように広がる約3万平方mにおよぶ回遊式庭園である神苑は、春の紅しだれ桜や初夏の花ショウブなど、四季折々に美しい景色が広がる。毎年10月22日の時代祭は平安神宮の祭礼で京都三大祭の一つ。
南禅寺の塔頭。広大な敷地内に枯山水庭園と池泉回遊式庭園がある。
臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺の塔頭の一つ。キリシタン大名の大友宗麟[おおともそうりん]の天文4年(1535)に創設。表門(重要文化財)、本堂(重要文化財)は創建当初の遺構。方丈裏の閑眠庭[かんみんてい]は、枯山水の庭を横ぎるようにして7個の石で十字架が表されている。
創建は文明11年(1479)、明応元年(1492)の2説あり、室町幕府の管領を務めた細川政元が建立した。天正年間(1573~92)に現在地に移転してから宿坊となっている。書院前にある枯山水庭園は、3つの石で三尊仏を表しているため、第2の本堂といわれる。4月下旬のキリシマツツジはみごと。宿坊があり人気を博している。
新撰組の墓所。墓参りのみ入ることができる。光縁寺の山門の瓦に「丸に右離れ三つ葉立葵」の寺紋があり、山南家の家紋と同じであった。また光縁寺の門前近くに新撰組の馬小屋があり、毎日、新撰組の隊士達が往来する中で、当時の住職と新撰組総長山南敬介との出会いがあり、その縁で屯所で切腹した隊士達、三人目には山南自身、その後多くの新撰組関係者(20数名)が良誉上人に弔われ、光縁寺に埋葬されることになった。
二条城近くにある神社で、豊臣秀吉が、信仰していた稲荷大神を祀ったのが始まり。秀吉の劇的な出世ぶりから、後に後陽成天皇が命名したそう。平成24年(2012)に上京区から移転。
平安遷都にあたり、悲運の死を遂げた早良親王[さわらしんのう]の御霊を鎮めるため、桓武天皇が興したと伝わる。のちに、いずれも無念の死を遂げた井上内親王、他戸[おさべ]親王、藤原吉子ら6人と、火雷神を合祀、八所御霊[はっしょごりょう]とした。西の楼門をくぐると拝殿の奥に本殿が立ち、境内には応仁の乱発祥地の碑もある。心しずめのお社として知られている。
学問の神様、菅原道真公をお祀りする全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本社で、古くより「北野の天神さま」と仰ぎ親しまれている。特に受験シーズンは入試合格・学業成就祈願で訪れる参拝者が後を絶たない。境内は豊臣秀吉公が開催した「北野大茶湯」ゆかりの地。現在の御本殿は慶長12年(1607)豊臣秀頼公により造営され、国宝に指定されている。全国屈指の梅の名所でもあり、2月25日の梅花祭には境内にて上七軒の芸舞妓による「野点茶会」が催され、12月13日からは新春御祝「大福梅」が参拝者に授与(有料)される。毎月25日の天神さんの御縁日には露店が軒を連ね、多くの参拝者で賑わう。
真言宗智山派の総本山。紀州根来寺焼き討ち後、洛東にて再興を図り、徳川家康より、豊臣秀吉が3歳で没した愛児鶴松の菩堤を弔うため建立した祥雲寺を拝領した。その後、度重なる火災に見舞われるも、数々の障壁画や庭園が華麗な桃山文化を今に伝える。名高い長谷川等伯・久蔵一門の描いた楓図・桜図(国宝)は、収蔵庫で見られる。庭園(名勝)は利休好みの庭として知られる、中国廬山をかたどった池泉回遊式庭園。
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