
蛸薬師堂(永福寺)
新京極通り沿いに位置する薬師堂。ここで祀られているのは薬師如来像。癌封じ、諸願平癒、心身健全、厄難減除、諸願成就、安産子宝などのご利益があるとして、観光客から地元民まで多くの人から愛されている。いぼをさすると取れるといわれる御薬石を授かることができる祈祷(志納料5000円~)があることでも有名だ。
- 「京都河原町駅」から徒歩5分/「祇園四条駅」から徒歩9分
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新京極通り沿いに位置する薬師堂。ここで祀られているのは薬師如来像。癌封じ、諸願平癒、心身健全、厄難減除、諸願成就、安産子宝などのご利益があるとして、観光客から地元民まで多くの人から愛されている。いぼをさすると取れるといわれる御薬石を授かることができる祈祷(志納料5000円~)があることでも有名だ。
弘仁2年(811)、日圓上人が紀州熊野大神を勧請したのが始まり。国生みを行った夫婦神伊弉冉命・伊弉諾命とその御子神天照大神を祀る。ご利益は縁結び・安産・病気平癒・健康長寿。熊野牛王宝印・からす守り・なぎ守り・サッカー守り授与。
京都有数の古刹。船岡山の麓に立ち、千本通に面して長い築地塀が続く。応仁の乱で焼失した後、豊臣秀吉などの帰依を受け江戸時代には子院12カ寺をもつ大寺として繁栄した。現在は3院を残すのみ。天平時代の絵因果経(国宝)は、京都最古の絵巻物(京都国立博物館に寄託中)だ。境内に藤原期の代表的な仏師・定朝の墓がある。寺の西側には東の鳥辺野[とりべの]、西の化野[あだしの]とならぶ葬送の地とされた蓮台野[れんだいの]が広がる。訪れる際はマナーをわきまえて参拝を。
『平家物語』の遺跡として、昭和になって再建された寺。平重盛に仕え、宮中の滝口の侍になった斎藤時頼は、建礼門院に仕える横笛との結婚を望むが父に反対され、落胆のあまり出家。滝口入道と呼ばれた。それを知って訪れた横笛に会おうとはせず、高野山に入ったという。本堂に悲恋の2人の木像があり、参道には横笛の歌碑が立つ。
暦応2年(1339)に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建立した、京都五山第1位の寺。創建時は150余の塔頭を数えたが、8回の大火に遭い現在の諸堂は明治時代に再建されたもの。曹源池を中心に嵐山や亀山を借景とする池泉回遊式の曹源池庭園は、開山の夢窓疎石[むそうそせき]の作庭であり、国の史跡・特別名勝に指定され、世界文化遺産にも登録。3段の石滝組などを配し、南北朝時代の禅院を代表する庭園。法堂公開日は土・日曜、祝日、春、秋の特別公開期間。
足利義満が康暦元年(1379)、普明国師を開山に宝幢寺を建立。鹿王院はその塔頭だったが、応仁の乱で宝幢寺は廃絶、鹿王院のみが残った。江戸前期作庭の平庭式枯山水庭園は、苔が美しい。女性専用の宿坊としても開かれており、宿泊者は座禅体験(要事前予約)もできる。
皇室とゆかりが深く、御寺[みてら]と呼ばれる古刹。境内には狩野探幽作の天井絵などが見られる仏殿(重要文化財)がある。大門近くの観音堂には、唐の玄宗皇帝[げんそうこうてい]が楊貴妃の冥福を祈り造らせたという楊貴妃観音坐像(重要文化財)が祀られ、良縁や安産、美容に御利益があるという。
泉涌寺の塔頭。庭園は「含翠庭[がんすいてい]」といい、侘た佇まいを見せる。庭に茶室・含翠軒があり、どらちも大石内蔵助が造ったものと伝わる。荒神堂へと上がる石段の右側には、「弘法大師独鈷水」という霊泉が湧き出ている。荒神坐像(重要文化財)は別名「ゆな荒神」と呼ばれ、安産の神として信仰されている。
清和天皇の六男を父とする源経基を祀る。清和源氏の祖となる経基は、六男の六と天皇の孫の意で、六孫王と呼ばれ八代後に源頼朝が生まれる。
全国でも珍しい、女人厄除祈祷のある神社として有名。桓武天皇の勅命により藤原冬嗣が創建したといい、その歴史も大変深い。歴代皇后にも篤く信仰される皇后陛下勅願所である。
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