恵美須神社
日本三大ゑびすの一つともいわれる神社で「えべっさん」の名で親しまれる。1月8日から12日に開催される十日ゑびす大祭(初ゑびす)は、商売繁盛を願う人々で大賑わい。
- 「祇園四条駅」から徒歩7分/「清水五条駅」から徒歩9分
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日本三大ゑびすの一つともいわれる神社で「えべっさん」の名で親しまれる。1月8日から12日に開催される十日ゑびす大祭(初ゑびす)は、商売繁盛を願う人々で大賑わい。
現在の辰巳大明神の地にあった旧家には、屋敷神として白蛇が祀られていた。旧家の移転に伴い、祠は地域に受け継がれ旧巽橋のたもとに祀られ、祇園の料理人が卵を供え信仰していたと言われている。戦後巽橋の改修に伴い現在の場所に鎮座され、無病息災、技芸上達、商売繁盛の氏神として地域の人々に信仰されている。
白河上皇ゆかりの門跡寺院。寛治4年(1090)、白河上皇が熊野三山に参詣した際、先達を務めた増誉[ぞうよ]僧正に与えた寺で、全国の修験者を統括したのが起こり。その後、後白河天皇の皇子が4世として入って以来、門跡寺院となった。宸殿、本堂、書院(重要文化財)など現在の建物は延宝年間(1673~81)の建築。天明・安政の京都御所の火災の際、光格・孝明天皇が仮皇居としたことから史跡に指定。狩野派絵師による170面以上の障壁画や当時の上段の間、御学問所、茶室も残る。拝観は秋の特別公開期間。申し込み不要。
紅葉の名所として知られる天台宗の寺。真如堂の名で親しまれている。永観2年(984)、戒算上人が比叡山常行堂にあった阿弥陀如来像(重要文化財)を本尊にして開いた。この像は慈覚大師円仁の作と伝え、別名を「うなずきの弥陀」と呼ばれ、女人救済に御利益があるとされる。現在の堂宇は江戸時代中期の再建で、広大な境内には本堂(重要文化財)、三重塔、大師堂、鐘楼堂、塔頭寺院が立ち並び、大寺院の風格が漂う。11月5~15日の十夜大法要[じゅうやだいほうよう]が行われ、15日には阿弥陀如来像を開扉。寺宝の大涅槃図は、3月1日~4月第1日曜まで公開される。
鎌倉末期、日尊上人が創建した日蓮本宗本山。1万3500平方mの広大な境内には、清涼池をはじめ、本堂、開山堂、鐘楼、庫裏、書院などの堂宇を数え、堂々たる風格がある。
熊野神社、新熊野神社とともに京都三熊野に数えられる。境内には樹齢400年以上のナギの木が立つ。平成29年(2017)9月に倒木の恐れがあったため、2m50cmを残して伐採。
三千院からさらに東、呂川沿いに山道を少し上った地にひっそり佇む。最澄の直弟子の慈覚大師円仁が中国の五台山を模して建立、その後衰微したが天仁2年(1109)に融通念仏宗の祖良忍[りょうにん]上人が再興した。円仁は唐への留学で、独特の節回しで唱えるお経である声明[しょうみょう]を持ち帰ったため、ここが日本での声明の発祥地とされる。本堂には藤原時代の本尊薬師如来像(重要文化財)を中心に、釈迦如来像(重要文化財)、阿弥陀如来像(重要文化財)を安置する。
秦氏の氏寺。秦河勝[はたのかわかつ]が聖徳太子から賜った仏像を奉じて、一宇を創建したのが起こりと伝わる。宝冠弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)が安置されている。宝髻[ほうけい]弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)は、泣いたような表情から泣き弥勒と呼ばれる。ほかにも国宝・重要文化財の仏像を多数所蔵。赤堂と愛称される講堂(重要文化財)は、藤原末期の建築。
足利義満が康暦元年(1379)、普明国師を開山に宝幢寺を建立。鹿王院はその塔頭だったが、応仁の乱で宝幢寺は廃絶、鹿王院のみが残った。江戸前期作庭の平庭式枯山水庭園は、苔が美しい。女性専用の宿坊としても開かれており、宿泊者は座禅体験(要事前予約)もできる。
元政[げんせい]上人が明暦元年(1655)に庵を結んだのが始まり。本堂は質素な茅葺き。元政は、もとは彦根藩の侍だったが、病弱のため26歳で出家、清貧の中で暮らし、寛文7年(1667)に母が87歳で他界した2カ月後、急逝した。
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