
頼山陽書斎 山紫水明処
江戸後期の儒学者・頼山陽が晩年に住んだ書斎。鴨川に面して窓から東山を望めたことから「山紫水明処」と名付けたという。藁葺き、平屋の簡素な佇まいだ。見学には申込みが事前に必要。往復はがきに見学日時(第2希望まで記入)、人数(2名以上~)、電話番号、代表者の住所、氏名を明記し、〒605-0063 京都府東山区新門前松原町289 頼山陽旧跡保存会宛てで2週間前までに申し込むこと。
- 「神宮丸太町駅」から徒歩3分/「京都市役所前駅」から徒歩14分
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江戸後期の儒学者・頼山陽が晩年に住んだ書斎。鴨川に面して窓から東山を望めたことから「山紫水明処」と名付けたという。藁葺き、平屋の簡素な佇まいだ。見学には申込みが事前に必要。往復はがきに見学日時(第2希望まで記入)、人数(2名以上~)、電話番号、代表者の住所、氏名を明記し、〒605-0063 京都府東山区新門前松原町289 頼山陽旧跡保存会宛てで2週間前までに申し込むこと。
鴨川に架かる三条通の橋。擬宝珠[ぎぼし]を冠した木造風の風情ある橋は、京都のシンボル的な景観として広く親しまれている。近世の東海道五十三次の終点だった。現在の橋は昭和25年(1950)に改修されたものだが、天正18年(1590)に豊臣秀吉が建設した木橋の面影を残し、勾欄の擬宝珠は当時のものが使われている。橋上からは東山、北山、比叡山の諸峰を望める。
四条通の鴨川に架かる橋。永治2年(1142)の架橋と伝わり、八坂神社(祇園社)の参詣路にあたっていたため祇園橋とも呼ばれていた。東詰南側には京の師走の風物詩「顔見世」で名高い南座が立ち、傍らには歌舞伎発祥の地の碑がある。
鳥居本には、茅葺屋根の民家が数多く残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。保存館は明治時代初期に建てられた民家を当時の姿のまま公開しており、建物や内装そのものが展示物となっている。また、昭和初期の鳥居本の町並みを再現した模型も展示している。
和菓子店・京都鶴屋を営む八木家は、新選組の旧壬生屯所として知られている。建物内は現在も見学でき、芹沢鴨暗殺の現場となった奥座敷に残される刀傷など、当時の様子を生で見ることができる。
上賀茂神社の南、賀茂社から流れ出る明神川に沿って、石垣を積み、白い土塀で囲った家が30軒余り続く。これらは同神社の神官らが住んだ屋敷(社家)で、風格のある家並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。そのなかで数寄屋造の西村家別邸(錦部家旧宅)(料金:500円)が公開されており、社家の内部をうかがうことができる。
平安京を貫く朱雀[すざく]大路の正門として、延暦13年(794)の平安遷都の際に建造された丹塗りの楼門があった場所。天元3年(980)の暴風雨で倒壊し、その後平安京の衰退とともに荒廃した。その様子は『今昔物語集』や、芥川龍之介の小説『羅生門』にも描かれている。現在は児童公園の中に石碑が立つのみ。
円山公園には龍馬と慎太郎の雄姿が。友達と写メを撮って記念にすれば、二人のような信頼関係を築けそう。
豊臣秀吉の墓所で、高さ約9mの五輪石塔が立つ。旧豊国神社跡から約500段の石段を登った所、阿弥陀ケ峯の山上にある。
寺町通から烏丸通にかけての三条通は、赤レンガの洋館をはじめ、明治・大正期の近代建築が数多く見られ、伝統的な町家とともに独特の町並みを形成している。
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