
三体地蔵
錫杖を持った三体の地蔵菩薩は、三界の霊を供養する意味がある。中央の仏が少しだけ大きい。
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錫杖を持った三体の地蔵菩薩は、三界の霊を供養する意味がある。中央の仏が少しだけ大きい。
昭和3年(1928)に建てられた武田五一氏設計の建築物。元は大阪毎日新聞社の京都支局ビルで、社章をモチーフにした星の形の窓が目を引く。ビル内にはカフェやギャラリー、3階の劇場では、セリフを一切使わない舞台『ギア』のロングラン公演を開催中で、国内外から注目を集めている。
三条通りに面して立つ、大正5年(1916)に建てられた旧不動貯金銀行京都支店を利用したテナントビル。かわいい雑貨店やカフェなどが入り、独特のレトロ空間が広がっている。国登録有形文化財にもなっている建物は、1階がレンガ造り、2・3階が木骨レンガ造りの内装は豪華ながらどこか懐かしい。足を踏み入れると、タイムスリップしたような気分に。
平安京を貫く朱雀[すざく]大路の正門として、延暦13年(794)の平安遷都の際に建造された丹塗りの楼門があった場所。天元3年(980)の暴風雨で倒壊し、その後平安京の衰退とともに荒廃した。その様子は『今昔物語集』や、芥川龍之介の小説『羅生門』にも描かれている。現在は児童公園の中に石碑が立つのみ。
和菓子店・京都鶴屋を営む八木家は、新選組の旧壬生屯所として知られている。建物内は現在も見学でき、芹沢鴨暗殺の現場となった奥座敷に残される刀傷など、当時の様子を生で見ることができる。
大堰川[おおいがわ]に架かる全長155mの橋。亀山上皇が「くまなき月の渡るに似る」として、渡月橋と命名したという風情ある橋で、嵐山の景観にとけ込んでいる。鵜飼などの川遊びも渡月橋を中心に行われる。当初、橋は現在より100mほど上流にあったと考えられるが、慶長11年(1606)に角倉了以[すみのくらりょうい]が大堰川上流の保津川開削工事を行った際、今の場所に移された。
一つの岩に阿弥陀如来坐像と面を変えて地蔵菩薩立像が彫られている。線彫灯籠は火袋を彫り込み燈明が供えられる。「からすのつぼ」道の分岐点にあり、穴が掘られた礎石が唐臼に似ていることから「カラスの壺」とよばれる。
少し左に傾いた岩に彫られた穏やかにほほえむ阿弥陀三尊像。高さ約80cmの阿弥陀如来の両脇に観音、勢至菩薩が刻まれる。横には「ねむり仏」もある。永仁7年(1299)伊未行作。
上洛の際、滞在する屋敷を持たない大名のために、江戸初期に建てられた陣屋(宿舎)。大名の安全を確保するため、大広間の天井に武者隠し[むしゃかくし]を設けたり、隠し階段などが随所に設備されていたりする数寄屋造りが特徴的。防火設備も見事である。主屋と土蔵が国の重要文化財に指定されており、見学は要予約。
酒造業、廻船業、糸問屋など幅広く商売をする一方で、宮津藩の財政や町政にも深く関わっていた豪商の屋敷。美しい白壁の風格ある建物で、茶室や座視観賞式庭園もある。主屋は外壁・柱や垂木を壁土や漆喰で塗り込めた大壁造りを用いて、徹底した防火構造になっている。カフェを併設し、“楽しめる文化財”として音楽ライブや踊り披露会など各種発表会や講演会などの会場、フォトウェディングや七五三、各種撮影会等にも利用できる。
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