
仙洞御所
仙洞御所とは上皇の御所のこと。後水尾、霊元、中御門、桜町、後桜町、光格の六代の上皇が居住したが、嘉永7年(1854)に類焼。建物は再建されることなく、現在は庭園だけを残す。南池、北池を抱え、巨石、滝組、橋を配した庭園美をみせている。所要時間約1時間。
- 「神宮丸太町駅」から徒歩13分/「丸太町(京都市営)駅」から徒歩13分
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仙洞御所とは上皇の御所のこと。後水尾、霊元、中御門、桜町、後桜町、光格の六代の上皇が居住したが、嘉永7年(1854)に類焼。建物は再建されることなく、現在は庭園だけを残す。南池、北池を抱え、巨石、滝組、橋を配した庭園美をみせている。所要時間約1時間。
詩仙堂への道筋にある松の木。宮本武蔵と、足利将軍家の剣道指南役を務めた吉岡清十郎の門弟が決闘した場所と伝わり、「宮本・吉岡決闘之地」の碑が立つ。もとは比叡山への道標として植えられたという。
火伏せの神を祭る愛宕神社への献灯籠。上に行くほど細くなり、にょきっと立つ姿はなんともユーモラス。火袋をほっただけの簡素な形は、現代彫刻をも思わせる。
四条通の鴨川に架かる橋。永治2年(1142)の架橋と伝わり、八坂神社(祇園社)の参詣路にあたっていたため祇園橋とも呼ばれていた。東詰南側には京の師走の風物詩「顔見世」で名高い南座が立ち、傍らには歌舞伎発祥の地の碑がある。
ひなびた茅葺き屋根の庵は、松尾芭蕉の高弟である向井去来[むかいきょらい]の草庵跡。芭蕉も訪れ「嵯峨日記」を著した。草庵の玄関にはかつての主の在宅を告げた蓑と笠がかけられ、庭には俳句の季語となる草木とともに去来や芭蕉などの句碑が立ち、投句箱もある。登録有形文化財。
中央に地蔵菩薩、向かって左に阿弥陀如来、右に十一面観音という珍しい配置。地蔵菩薩の額には白毫を嵌めた跡が残っている。弘長2年(1262)の作で、当尾の石仏最古。
京都御所、京都仙洞[せんとう]御所、京都大宮御所などを囲む広大な国民公園。東西約700m、南北1.3kmに及ぶ敷地には、東京遷都まで宮家や公家の邸宅が立ち並んでいた。現在は樹齢100年を越える樹林の中、砂利道が真っすぐに続き、緑の芝生に桜、梅など多くの花木も植えられて、四季折々の変化を楽しめる。苑内には蛤御門や近衞邸跡、閑院宮邸跡、九條家ゆかりの茶室拾翠亭など、歴史をしのぶ建物や庭園が残るほか、閑院宮邸跡収納展示館や京都御苑情報館もあり、京都御苑を詳しく知ることができるのでおすすめだ。
鳥居本には、茅葺屋根の民家が数多く残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。保存館は明治時代初期に建てられた民家を当時の姿のまま公開しており、建物や内装そのものが展示物となっている。また、昭和初期の鳥居本の町並みを再現した模型も展示している。
現代では珍しくなった茅葺き屋根の民家が数多く立ち並び、その美観から平成5年(1993)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された美山町地区の集落・北。家屋約50戸のうち39棟が北山型の入母屋造、茅葺き屋根の民家で江戸末期の建築。懐かしい里山の雰囲気が漂う茅葺き屋根の家々は、今も人々が暮らす現役の住居。年に2回行われる一斉放水は一見の価値あり。地区内には茅葺き屋根民家で民宿を営業している家もあり、宿泊するのもまた一興。
鴨川に架かる三条通の橋。擬宝珠[ぎぼし]を冠した木造風の風情ある橋は、京都のシンボル的な景観として広く親しまれている。近世の東海道五十三次の終点だった。現在の橋は昭和25年(1950)に改修されたものだが、天正18年(1590)に豊臣秀吉が建設した木橋の面影を残し、勾欄の擬宝珠は当時のものが使われている。橋上からは東山、北山、比叡山の諸峰を望める。
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