
四条大橋
四条通の鴨川に架かる橋。永治2年(1142)の架橋と伝わり、八坂神社(祇園社)の参詣路にあたっていたため祇園橋とも呼ばれていた。東詰南側には京の師走の風物詩「顔見世」で名高い南座が立ち、傍らには歌舞伎発祥の地の碑がある。
- 「祇園四条駅」から徒歩1分/「京都河原町駅」から徒歩5分
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四条通の鴨川に架かる橋。永治2年(1142)の架橋と伝わり、八坂神社(祇園社)の参詣路にあたっていたため祇園橋とも呼ばれていた。東詰南側には京の師走の風物詩「顔見世」で名高い南座が立ち、傍らには歌舞伎発祥の地の碑がある。
江戸時代から続く大庄屋であった上野家の屋敷を改修し活用した施設。江戸時代に建てられた茅葺き民家を再生保存した屋敷の見学ができる。農村体験イベントやツアー、蔵を使った展示会、地域の観光情報も提供。
酒造業、廻船業、糸問屋など幅広く商売をする一方で、宮津藩の財政や町政にも深く関わっていた豪商の屋敷。美しい白壁の風格ある建物で、茶室や座視観賞式庭園もある。主屋は外壁・柱や垂木を壁土や漆喰で塗り込めた大壁造りを用いて、徹底した防火構造になっている。カフェを併設し、“楽しめる文化財”として音楽ライブや踊り披露会など各種発表会や講演会などの会場、フォトウェディングや七五三、各種撮影会等にも利用できる。
後水尾上皇により、万治2年(1659)に造営された離宮。比叡山の裾野に広がる広大な敷地に、松並木で結ばれた下離宮、中離宮、上離宮という3つの庭園が配されている。表総門を入った所が下離宮で、数寄屋造の寿月観[じゅげつかん]がある。続く中離宮は、華麗な装飾が施された客殿が見事で、天下の三棚の一つの霞棚も忘れずに見たい。上離宮は、浴龍池を中心に茶屋を配した大庭園。山腹に立つ隣雲亭からの眺望はすばらしい。ぜひ訪れたい洛北随一のスポット。
京・大坂の境にある要衝地に、徳川幕府が築いた城。享保8年(1723)からは幕末まで稲葉氏十万二千石の居城であった。明治維新で破却されたが、本丸跡の石垣と内濠の一部が残り、往時を偲ばせている。また、秀吉の愛妾淀君の館が、淀城北東500mの納所妙教寺あたりにあったと伝えられている。
明治35年(1902)に旧海軍の砲銃庫として建てられたレンガ造りの建物。戦後の一時期、舞鶴市庁舎の一部として使用されていた。現在では、芸術や文化の交流の場として活用されており、2階には舞鶴の近代からの歩みを紹介するコーナーがある。
三条通りに面して立つ、大正5年(1916)に建てられた旧不動貯金銀行京都支店を利用したテナントビル。かわいい雑貨店やカフェなどが入り、独特のレトロ空間が広がっている。国登録有形文化財にもなっている建物は、1階がレンガ造り、2・3階が木骨レンガ造りの内装は豪華ながらどこか懐かしい。足を踏み入れると、タイムスリップしたような気分に。
牛若丸と弁慶が出会ったという伝説で有名な橋。もとは平安京の五条坊門通(現在の松原通)に架かっていたのを、豊臣秀吉が天正年間(1573~92)、方広寺大仏殿造営の際に南へ2町下がった現在地に移した。車の波に囲まれながら、牛若丸と弁慶の像が西詰の緑地に立っている。
昭和30年(1955)、吉井の古希の祝いに谷崎潤一郎らによって建立。白川沿いに立つ石碑には、「かにかくに 祇園はこひし寝[ぬ]るときも 枕のしたを水のながるる」と祇園を愛した歌人の吉井勇が詠んだ歌が刻まれている。歌碑のある辺りは、石畳の道とそばを流れる川のせせらぎ、風に吹かれて揺れる柳も風流。
明治天皇の御陵で、東西127m、南北155mにもわたる。上円下方の形で、それぞれ3段に築成。表面は小石に覆われ、周囲には2重の玉垣がある。陵内は広く、参道には玉砂利が敷かれ、木々が茂る大きな森になっていて、荘厳な雰囲気。明治天皇陵の東には、同形の昭憲皇太后伏見桃山東陵が並んでいる。
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