
わらい仏
少し左に傾いた岩に彫られた穏やかにほほえむ阿弥陀三尊像。高さ約80cmの阿弥陀如来の両脇に観音、勢至菩薩が刻まれる。横には「ねむり仏」もある。永仁7年(1299)伊未行作。
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少し左に傾いた岩に彫られた穏やかにほほえむ阿弥陀三尊像。高さ約80cmの阿弥陀如来の両脇に観音、勢至菩薩が刻まれる。横には「ねむり仏」もある。永仁7年(1299)伊未行作。
笠置へ続く古道の辻にある岩に線刻され、笠置寺本尊の弥勒磨崖仏を模したものと伝わる。目を凝らすと、体を左方に傾けた姿が見える。わらい仏を彫った伊末行文永11年(1274)の作である。
火伏せの神を祭る愛宕神社への献灯籠。上に行くほど細くなり、にょきっと立つ姿はなんともユーモラス。火袋をほっただけの簡素な形は、現代彫刻をも思わせる。
古来より絹織物の産地だった与謝野町加悦地区には、江戸期から昭和初期の建物が今なお残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された「ちりめん街道」がある。その街道沿いに文久3年(1863)に建てられた屋敷。尾藤家は代々大庄屋を務め、生糸ちりめん問屋として、また北前船をもつなどして繁栄した。
北吸地区に12棟あるレンガ造りの倉庫群の総称。現存するレンガ建造物の中でも貴重な近代建築の建造物で、旧海軍の倉庫として明治期に9棟、大正期に3棟築かれた。「舞鶴旧鎮守府倉庫施設」として国指定重要文化財になっているのはこのうちの8棟(うち附1棟)。さらに、そのうちの5棟が「赤れんが博物館」「舞鶴市政記念館」「まいづる智恵蔵」「赤れんが工房」「赤れんがイベントホール」として保存・活用されている。
酒造業、廻船業、糸問屋など幅広く商売をする一方で、宮津藩の財政や町政にも深く関わっていた豪商の屋敷。美しい白壁の風格ある建物で、茶室や座視観賞式庭園もある。主屋は外壁・柱や垂木を壁土や漆喰で塗り込めた大壁造りを用いて、徹底した防火構造になっている。カフェを併設し、“楽しめる文化財”として音楽ライブや踊り披露会など各種発表会や講演会などの会場、フォトウェディングや七五三、各種撮影会等にも利用できる。
天橋立の桟橋の脇に立つ灯籠。江戸時代には輪の中に明かりがともされ、やみを照らし文珠水道(天橋立水路)を行き来する船の標になっていたと言われている。
伊根湾を取り囲むようにして、海辺ぎりぎりに立ち並ぶ伝統的な建物。海に直接面した1階は船揚場や作業場、2階は居室や民宿などとして機能的に活用されている。現在、約230軒もの舟屋が建ち並ぶ伊根浦地区は、漁村では全国初となる「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。遊覧船や展望台からの一望もいいが、町並みをゆっくりと散策すると舟屋の生活を間近に感じることができる。
明智光秀が丹波平定時に築城し、亀岡は城下町として次第に発展。その後、江戸初期に五重の天守に改築。その美しさから亀宝城とも呼ばれていたが、現在は苔むした石垣と内堀が往時を物語るのみ。城跡を含む一帯は宗教法人大本[おおもと]の敷地内となっているため、見学は当日受付に申し出ること。
織田信長の家臣・稲葉一族の子孫で、江戸時代~昭和初期にかけて糀の製造業や廻船業で栄えた稲葉家の屋敷を公開している。母屋は12代目が5年の歳月を費やして建てた平入桟瓦葺き切妻造りの2階建ての建物で国登録の有形文化財。13代目の市郎右衛門は私財を投じて旧国鉄の久美浜~豊岡間を開通させたことで知られる。
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