養源院
三十三間堂の東側にあり、淀殿が文禄3年(1594)に父浅井長政の菩提寺として建立。その後火災に遭い、淀殿の妹で徳川秀忠の夫人である崇源院が元和7年(1621)に伏見城の旧材を使って再建。本堂廊下の上の天井は「血天井」と呼ばれ、伏見城が落城した時、徳川家康の部下だった鳥居元忠らが自刃した際の血痕が付いた床板を使用したものという。俵屋宗達の描いた杉戸絵(重要文化財)・襖絵(重要文化財)や狩野山楽筆の襖絵も見逃せない。
- 「七条駅」から徒歩10分/「東福寺駅」から徒歩14分
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三十三間堂の東側にあり、淀殿が文禄3年(1594)に父浅井長政の菩提寺として建立。その後火災に遭い、淀殿の妹で徳川秀忠の夫人である崇源院が元和7年(1621)に伏見城の旧材を使って再建。本堂廊下の上の天井は「血天井」と呼ばれ、伏見城が落城した時、徳川家康の部下だった鳥居元忠らが自刃した際の血痕が付いた床板を使用したものという。俵屋宗達の描いた杉戸絵(重要文化財)・襖絵(重要文化財)や狩野山楽筆の襖絵も見逃せない。
伊邪那岐[いざなぎ]と伊邪那美[いざなみ]の息子である金山毘古神[かなやまひこのかみ]がご祭神。剣や刀などの武具、農耕具などの金属をはじめ、お金に関してのご利益も大きいと人気がある。
庚申信仰発祥の地と言われる。現在の本堂は江戸時代に再建されたもので、難病や願いを封じ込めるこんにゃく封じの祈祷などが行われている。
花園法皇の離宮に関山慧玄[かんざんえげん]を迎え、禅刹として改めた。臨済宗妙心寺派の大本山で、建武4年(1337)創建。三門(重要文化財)や仏殿(重要文化財)、法堂[はっとう](重要文化財)など七堂伽藍をはじめ、46もの塔頭[たっちゅう]が立ち並ぶ。みどころは法堂の天井画『雲龍図』(八方にらみの龍)で、狩野探幽の作。日本最古の銘をもつ黄鍾調[おうじきちょう]の梵鐘(国宝)も必見。
平安時代、白河天皇によって建立された後、室町幕府第二代将軍足利義詮の院号から現在の名がついた。敵将であったが、義詮が慕った南朝の武将楠木正行の首塚と義詮の墓が隣同士で立つ。秋の境内は紅葉が見事(三脚・一脚の持込不可)。
東福寺塔頭のひとつで、明徳元年(1390)創建。重森三玲が復元した九山八海の庭の中央には、熊本藩細川家から贈られた遺愛石がある。この石は寺領五百石を辞退した代わりに拝領したものという。もう一つの臥雲[がうん]の庭も美しい。また、日露戦争中、ロシア人捕虜を収容し、彼らが木や竹で作った楽器なども陳列している。12歳以下の拝観は不可なので注意。
平安後期の永承7年(1052)に、関白・藤原頼通が父・道長の別荘を寺に改めたのが始まり。平安貴族が夢見た極楽浄土を形にした鳳凰堂(国宝)は十円玉にも刻まれ、その優美な姿はあまりにも有名。当初は広大な伽藍を誇ったが戦火で大半を焼失。現在残るのは、阿字池の中島に立つ、天喜元年(1053)に建立された阿弥陀堂の鳳凰堂だけ。鳳凰堂を含む浄土式庭園は国指定名勝・史跡だ。境内にある鳳翔館では国宝の梵鐘や屋根の鳳凰などを展示。鳳凰堂の内壁を飾った雲に乗って楽器を奏でる雲中供養菩薩像も半数の26体が展示されている。
京都府南端に位置する木津川市の三上山中腹にあり、聖武天皇の勅願で良弁僧正が創建したという古刹。鎌倉時代建立の五重塔(国宝)は高さ18mとそれほど高くないが、初層に裳階[もこし]を付けた姿が珍しい。本堂の木造十一面観音菩薩立像(国指定重要文化財)は、貞観期の一木造の像で大らかな作風。11月上旬から12月上旬が見頃の紅葉も格別で、10月下旬~11月上旬の「海住山寺文化財特別公開」では、五重塔内陣・本堂内特別拝観のほか本坊庭園の公開もあり、紅葉に彩られた庭園の景観が楽しめる。
全国にある愛宕神社の総本宮といわれ、元愛宕と呼ばれ親しまれている。鎌倉時代に建立されたという本殿は国指定重要文化財。祭神は火の神・火産霊命[ほむすびのみこと]と伊邪那美命、大国主命で、4月24日に斎行される鎮火祭が有名。
二条城近くにある神社で、豊臣秀吉が、信仰していた稲荷大神を祀ったのが始まり。秀吉の劇的な出世ぶりから、後に後陽成天皇が命名したそう。平成24年(2012)に上京区から移転。
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