
正伝寺
五山の送り火の一つがある船山の麓に佇む。鎌倉時代に創建され、伏見城の遺構である本堂・方丈(重要文化財)には狩野山楽の襖絵(重要文化財)や、血天井の廊下がある。庭は比叡山を借景とする見事な枯山水。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
五山の送り火の一つがある船山の麓に佇む。鎌倉時代に創建され、伏見城の遺構である本堂・方丈(重要文化財)には狩野山楽の襖絵(重要文化財)や、血天井の廊下がある。庭は比叡山を借景とする見事な枯山水。
大徳寺の塔頭の一つ。国宝の檜皮葺の方丈(本堂)を取り巻く枯山水の庭園(国指定史跡・特別名勝)は、蓬莱山から大海へ至る水の流れが、石組みや砂利で表現されていて見事。書院の拾雲軒は国指定重要文化財。方丈内は狩野元信筆と伝わる花鳥図(国指定重要文化財)などの襖絵で装飾されている。座禅の体験や抹茶(菓子付)300円も楽しめる。
慈悲の女神、九頭竜弁財天を祀る。本殿を時計回りに9回まわるお千度や、神様より言葉をもらうおみくじが有名。災厄消除をはじめあらゆるご利益がある。
勝林院で声明を修行する学僧の僧坊として建てられた。客殿の西側と南側には庭園が広がる。西の庭にある不断桜は、秋から春にかけて花を咲かせ続ける珍しいもの。茶花を中心に植えられた、季節の花々を楽しみながら散策したい。
賀茂川の水源の山中にひっそりと立つ修験の道場。不動明王を祭ることから岩屋不動とも呼ばれるが、正式には「岩屋山志明院[いわやさんしみょういん]」という。修験道の開祖・役行者が開山、勅願所として空海が創建したと伝わる。巨木が天を覆う山内には、飛竜ノ滝や護摩洞窟など多くの行場があり、歌舞伎十八番「鳴神」の地として、また天然記念物のしゃくなげ林など有名。
暦応4年(1341)、足利尊氏建立による足利家の菩提寺。初代尊氏から15代義昭まで歴代将軍の木像(5、14代を除く)を安置する霊光殿がある。夢窓疎石の作と伝えられる庭園は、東の心字池と西の芙蓉池の2つによって構成されている。特に書院から眺める西庭は石組がダイナミックで、池に架かる石橋など凝った造りになっている。
四条新京極にあり、染殿皇后が本尊の地蔵菩薩に祈ったところ、のちの清和天皇が誕生したという寺伝から、安産守護の信仰を集める。安産御祈祷・安産お守りの授与あり(受付時間:10~18時、無休)。QRコードで動く朱印300円や幸運・安産マスコット親子犬1500円なども。
伊邪那岐[いざなぎ]と伊邪那美[いざなみ]の息子である金山毘古神[かなやまひこのかみ]がご祭神。剣や刀などの武具、農耕具などの金属をはじめ、お金に関してのご利益も大きいと人気がある。
室町中期、「なべかむり日親[にっしん]」といわれた日親上人が開いた日蓮宗の古刹。上人が将軍足利義教に法華経の教えに基づく政治を求め逆鱗にふれ、灼熱した鍋を頭にかぶせられる拷問にあう。迫害や投獄に耐えた上人に信仰を寄せる者は多く、本阿弥清信(光悦の祖父)もその一人で、その縁で本阿弥家の菩提寺となる。本堂、仁王門、開山堂、多宝塔などは天明8年(1788)の大火で焼失したが、寛政8年(1796)以降、伽藍が整備された。書院前の巴の庭(名勝)は本阿弥光悦の作、また長谷川等伯の佛涅槃図(重要文化財)を所蔵する。
豊臣秀吉の正室、高台院(北政所ねね)が慶長11年(1606)に秀吉の菩提を弔うために開いた寺。創建当初は広大な寺域をもつ壮麗な寺であったが、度重なる火災に遭っている。桃山様式の創建当時の面影を残すのは、開山堂(重要文化財)と、須弥檀や厨子の高台寺蒔絵で名高い霊屋[おたまや](重要文化財)、伏見城から移した茶室傘亭(重要文化財)と時雨亭(重要文化財)、表門(重要文化財)、観月台(重要文化財)など。東山を借景にした小堀遠州作の庭園(名勝・史跡)も見ごたえがある。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。