
安楽寿院
保延3年(1137)、鳥羽上皇が鳥羽離宮の本殿を寺に改めたもので、盛時には仏殿や寝殿造の諸堂が苑池の畔に立ち並び壮観だった。現在は近世再建された本堂、書院、鐘楼などが立つ。収蔵庫には、鳥羽上皇の念持仏と伝えられる阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されている。現在本尊拝観は中止している。
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保延3年(1137)、鳥羽上皇が鳥羽離宮の本殿を寺に改めたもので、盛時には仏殿や寝殿造の諸堂が苑池の畔に立ち並び壮観だった。現在は近世再建された本堂、書院、鐘楼などが立つ。収蔵庫には、鳥羽上皇の念持仏と伝えられる阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されている。現在本尊拝観は中止している。
大宝元年(701)、秦氏が創建したと伝える古社。酒の神として信仰を集めていて、境内には全国の酒造元から奉納された、こもかぶりの酒樽が並ぶ。祭神は大山咋神[おおやまぐいのかみ]で、社務所裏の神泉「亀の井」の水を仕込み水に加えると酒が腐らないといわれる。室町前期建造で、天文11年(1542)に大改修した本殿(重要文化財)は、松尾造といわれる三間社両流造。重森三玲氏作庭の松風苑は、磐座をイメージした上古の庭、鎌倉風の蓬莱の庭、平安風の曲水の庭と、趣を変えた3つの庭が見られる。
日本でほかにないとされる、髪の神社。境内には、献髪を納めた髪塚もあり、髪の恩恵に感謝する大祭も行われている。
下醍醐の女人堂が登山口。山上までは約3.5kmの急坂が続き、所要1時間。標高約450mにある山上の諸堂を巡拝して、往復するのに3時間はかかる。上醍醐の入口に当たる清瀧宮拝殿(国宝)の脇に湧く醍醐水は醍醐寺創建に関わる霊泉。このほか保安5年(1124)に再建された、現存する上醍醐最古の建物である薬師堂(国宝)、五大堂、開山堂(重要文化財)、如意輪堂(重要文化財)などがある。
妙心寺境内の東側に位置。享禄4年(1531)、細川氏綱が父の菩提を弔うために建立。本堂前庭には、十数本の沙羅双樹の木があり、その花が美しい寺として知られる。見ごろとなる季節には、沙羅の花を愛でる会(6月中旬~下旬)を開催。特別公開される。住職手作りの精進料理が食べられる宿坊としても有名。火・金曜には精進料理体験教室が開かれる。
奥嵯峨の竹林の中にひっそりと佇む『平家物語』ゆかりの寺。仏御前の出現で平清盛の寵愛を失った白拍子の祇王が、母の刀自[とじ]、妹の祇女[ぎじょ]とともに、尼となってここに移り住んだ。後に仏御前も尼になり、ともに晩年を過ごしたという。多種類の緑の苔に覆われた苔庭が美しく、草庵の仏間には本尊の大日如来像ほか、祇王ら5人の木像を安置。「虹の窓」と呼ばれる控えの間の吉野窓も見逃さないように。境内には、鎌倉時代造立の祇王らを供養する宝篋印塔や清盛の五輪塔もある。
松尾大社の境外摂社で、創建は顕宗天皇3年(487)と伝えられる京都有数の古社。本殿横にある月延石は、安産の御神徳があるとして信仰を集め、安産祈願に訪れる参拝者が多い。
法輪寺の境内に、一山の鎮守社として奉祀されている。毎年5月23日には電気関係者を中心とし、電電宮大祭が行われる。
見事な彫刻に注目。江戸天保11年(1840)に郷本殿及び拝殿当四棟が完成。拝殿天井に木彫8mの龍、本殿に12支、手水舎にキリン、天馬、海馬当霊獣多々ある。作者は九山新太郎。
元政[げんせい]上人が明暦元年(1655)に庵を結んだのが始まり。本堂は質素な茅葺き。元政は、もとは彦根藩の侍だったが、病弱のため26歳で出家、清貧の中で暮らし、寛文7年(1667)に母が87歳で他界した2カ月後、急逝した。
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