二尊院
釈迦如来立像(重要文化財)と阿弥陀如来立像(重要文化財)の2像を本尊とすることから、二尊院と呼ばれる。平安時代初期に嵯峨天皇が慈覚大師を開祖に建立。法然が庵を結び、弟子の湛空が再興した。藤原定家の山荘「時雨亭」[しぐれてい]跡がある。春の桜、秋の紅葉は圧巻。新緑も見ごたえがある。
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釈迦如来立像(重要文化財)と阿弥陀如来立像(重要文化財)の2像を本尊とすることから、二尊院と呼ばれる。平安時代初期に嵯峨天皇が慈覚大師を開祖に建立。法然が庵を結び、弟子の湛空が再興した。藤原定家の山荘「時雨亭」[しぐれてい]跡がある。春の桜、秋の紅葉は圧巻。新緑も見ごたえがある。
皇室とゆかりが深く、御寺[みてら]と呼ばれる古刹。境内には狩野探幽作の天井絵などが見られる仏殿(重要文化財)がある。大門近くの観音堂には、唐の玄宗皇帝[げんそうこうてい]が楊貴妃の冥福を祈り造らせたという楊貴妃観音坐像(重要文化財)が祀られ、良縁や安産、美容に御利益があるという。
臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺の塔頭の一つ。表門と本堂(方丈)は、ともに国の重要文化財に指定されており、大徳寺最古の建築。四方を趣の異なる4つの庭に囲まれている。方丈の北に枯山水の龍吟庭[りゅうぎんてい]、南に苔が美しい一枝坦[いっしだん]の庭、東に東滴壺[とうてきこ]と呼ぶ坪庭がある。
室町時代の創建。妙心寺にあり、如拙[じょせつ]の描いた国宝の『瓢鮎図[ひょうねんず]』を所蔵していることで有名だ。方丈の西庭(史跡・名勝)は狩野元信作と伝え、絵画的な構成の枯山水の名庭。昭和作庭の池泉廻遊式「余香苑」では、滝のせせらぎ・水琴窟・筧の水と3つの水の姿が楽しめる。
妙心寺境内の東側に位置。享禄4年(1531)、細川氏綱が父の菩提を弔うために建立。本堂前庭には、十数本の沙羅双樹の木があり、その花が美しい寺として知られる。見ごろとなる季節には、沙羅の花を愛でる会(6月中旬~下旬)を開催。特別公開される。住職手作りの精進料理が食べられる宿坊としても有名。火・金曜には精進料理体験教室が開かれる。
享保8年(1723)鳳潭上人が華厳宗再興を願って創建。飼育された鈴虫が一年中鳴くことから、別名鈴虫寺と呼ばれる。山門横に立つ草鞋を履いた幸福地蔵は、一つだけ願いを叶えてくれるという。僧侶による法話もある。
渡月橋を見下ろす高台に建ち、「嵯峨の虚空蔵さん」と親しまれてきた。『枕草子』の「寺は」では「壺坂、笠置、法輪」と並び称せられ、院政期には多くの人々の信仰を集めて隆盛を誇った寺。現在は十三まいりで親しまれ、毎年4月13日、13歳になった子供が法輪寺の虚空蔵菩薩に智恵と福徳を授かりに行く。思い思いの1字を墨で書いて奉納した後、渡月橋を渡って帰る時に、後ろを振り返るとせっかく授かった智恵を返してしまうとの言い伝えがある。
天慶3年(940)創建の古社。鞍馬寺本堂へ至る参道途中にあり、鞍馬の火祭の舞台としてよく知られる。境内には樹齢800年と伝わる杉の巨木が立ち、霊気に満ちた気配が漂う。慶長15年(1610)に豊臣秀頼が再建した檜皮葺きの割拝殿(重要文化財)は、中央を石段がくぐっていて、その先に本殿がある。ずんぐりとした鎌倉時代の石造狛犬(重要文化財)も見逃せない。
宝徳2年(1450)、徳大寺家の別荘を細川勝元が禅寺に改めたのが始まり。二度の火災で焼失し、現在の方丈は慶長11年(1606)に建てられた西源院の方丈を移築したもの。方丈前庭の枯山水庭園(史跡・特別名勝)は白砂に15の石組を配し、虎の子渡しの庭ともいわれ、石庭といえば龍安寺を指すほど有名だ。境内には秀吉が絶賛した侘助椿の古木や、水戸光圀寄進の「吾唯足知」[われただたるをしる]と刻んだ蹲踞[つくばい]などもある。5月~9月末までは鏡容池[きょうようち]の睡蓮が見事。
太秦は養蚕・機織りの技術に優れた秦氏の居住した地であったことから、木島坐天照御魂神社の境内には養蚕社が祭られ、一般に「蚕の社」といわれるようになった。今も製糸業者の信仰が厚い。また、日本で唯一の三方が正面となる三柱鳥居がある。
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