
清水谷製錬所跡
明治28年(1895)に建設された大型の製錬所跡。最新の近代的設備を持っていたが、わずか1年半で閉鎖された。山の斜面に石積みの遺構が残されている。
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明治28年(1895)に建設された大型の製錬所跡。最新の近代的設備を持っていたが、わずか1年半で閉鎖された。山の斜面に石積みの遺構が残されている。
1526年から1923年までの約400年にわたって採掘がおこなわれた日本最大級の銀鉱山跡。採掘跡や銀を加工する作業場跡が残る鉱山跡だけでなく、そのふもとの谷間に広がる鉱山町や、石見銀山をめぐっての攻防が繰り広げられたいくつかの城跡、銀、銀鉱石などを積み下ろしした鞆ケ浦や沖泊の港と港町の温泉津、それらをつなぐ街道を含めての登録となっている。この地では銀鉱石を採掘した後、灰吹法と呼ばれる精錬技術によって効率よく高品質な銀が大量に生産されたため、銀山のある佐摩村(さまむら)にちなみソーマ銀と呼ばれて流通していた。
広大な城跡は本丸・二の丸が整備された城山公園[じょうざんこうえん](史跡)とよばれ、園内には国宝指定の天守閣に加え、興雲閣、松江神社、城山稲荷神社などの見どころが点在している。緑濃く、春は桜の名所になっている。
室町時代にたたら製鉄を始め、松江藩の9鉄師の筆頭を務めた田部家の土蔵群。文書蔵、道具蔵などその数は10を超し、なまこ壁のどっしりした造りが家格を無言のうちに示している。見学は外観のみ、内部非公開。
隠岐神社の横の小道を上ったところ。延応元年(1239)、この島で亡くなった後鳥羽上皇を島民が火葬した場所と伝えられ、島の人々は御陵のように大切にしている。また、杉林の奥には、行在所だった源福寺跡がある。
江戸時代、幕府の直轄地だった石見銀山の中心の町。大正12年(1923)に鉱山は閉山したが、銀山川の細流沿いに赤瓦と土壁の家が軒を連ねる町並みが状態よく残り、伝統的建造物群保存地区に指定されている。白壁の旧旅籠や商家が並び、趣がある。
島根県立美術館前の宍道湖岸の芝生に、カーブを描いて続く12羽のうさぎのプロンズ像が『宍道湖うさぎ』(籔内佐斗司[やぶうちさとし]・作)。前から2羽目のうさぎの像にシジミの貝殻を供え、西の方を向いてやさしくふれると、良縁や幸せが舞い降りるといわれる。
上級・中級藩士が入れ替わり住んだ屋敷。享保8年(1733)の大火で焼失後再建。武家屋敷の特徴でもある長屋門、主屋や庭園など往時の暮らしを垣間見られる。
飢饉に備える江戸末期のがしん俵[だわら](重要文化財)、牛突きの化粧まわし(重要文化財)など豊富な資料とともに隠岐の島の文化を紹介する。建物は明治18年(1885)建築の郡役所で、島根県最古の木造洋館建築。所要30分。
迫力と神秘性に満ちた、太古の森に会える公園。三瓶小豆原埋没林は、縄文時代の巨木林が立ったまま地中に埋もれた自然の遺産。国の天然記念物に指定されている。
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