世界遺産 石見銀山遺跡
室町時代に発見され、江戸時代の初期に最盛期を迎えた銀鉱山跡を中心に、鉱山町や周辺の街道、山城跡、港、港町も含め世界遺産に登録されている。登録面積は529ha。世界遺産としての価値を知るには、模型やジオラマなどで詳しく解説している石見銀山世界遺産センターに立ち寄るのがポイント。また貴重な実物資料や鉱石が展示されているいも代官ミュージアムも必見。銀山地区や大森地区は、観光車両の乗り入れ禁止なので要注意。石見銀山世界遺産センター駐車場よりバスで10分。
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室町時代に発見され、江戸時代の初期に最盛期を迎えた銀鉱山跡を中心に、鉱山町や周辺の街道、山城跡、港、港町も含め世界遺産に登録されている。登録面積は529ha。世界遺産としての価値を知るには、模型やジオラマなどで詳しく解説している石見銀山世界遺産センターに立ち寄るのがポイント。また貴重な実物資料や鉱石が展示されているいも代官ミュージアムも必見。銀山地区や大森地区は、観光車両の乗り入れ禁止なので要注意。石見銀山世界遺産センター駐車場よりバスで10分。
和鋼生産が行われた菅谷たたら山内に立つ豪壮な入母屋造の建物。高殿とは砂鉄から製鉄する精錬場のこと。菅谷高殿は江戸時代の宝暦元年(1751)に建てられ大正10年(1921)まで使われた、完全な形で残る高殿としては国内に唯一の遺構。屋内中央には、両側に風を送り込む吹子[ふいご]をもつ粘土造りのたたら炉(製鉄炉)が設えられ、炉の奥には砂鉄を置く小鉄町[こがねまち]、燃料の炭を置く炭町などの材料置場や職人控所の炭坂座などが往時のまま残っている。
晩年、故郷に帰って尼となった阿国が住んだという庵。当初の建物は江戸時代に焼失。現在の建物は昭和初期再建の3代目。
世界遺産の石見銀山柵内でも大久保間歩は石見銀山最大級の間歩(坑道)跡。その大久保間歩の見学はツアーの参加者のみ可能。集合場所は石見銀山世界遺産センターで、金生坑~大久保間歩の往復約1500mを歩く。坑道内を見学できるのは大久保間歩のみだが、坑内の巨大な採掘場「福石場」は圧巻だ。
標高197mの月山の地形を利用した山城跡(史跡)。主に尼子氏の居城として知られ、戦国時代には中国地方の中枢となる城であった。近年には整備が進み、中腹の山中御殿から山頂の本丸にかけての石垣が当時を偲ばせ、急な石段も登り易くなった。当時の母屋と待所が復元され、広大な城跡は山城日本一とも言われている。一巡して2時間のコースには全国からお城ファンが訪れている。
四隅突出型墳丘墓6基を中心に、27基が点在する墳墓群。全国的にも弥生時代最大級で、国の史跡に指定。史跡公園として整備されている。当時の姿に復元された2号墓の内部には展示室も設けられている。
358本という大量の銅剣や銅鐸、銅矛が出土した荒神谷遺跡に隣接し、展示室内では銅剣、銅鐸、銅矛のより詳しい情報をパネルで紹介。大型スクリーンでは、発掘調査のようすを感動的にまとめた映像が上映されている。ショップでは荒神谷遺跡や古代出雲に関する書籍、青銅器関連グッズなど他では手に入らないレアグッズを販売。博物館の周りは史跡公園になっていて、四季折々の植物を楽しむことが出来る。
宍道湖北岸にあり、散歩やマラソンスポットとして親しまれている公園。文学碑が多く、小泉八雲の怪談に登場する「耳なし芳一」の像もお見逃しなく。
島根半島東端の地蔵崎に立つ、山陰最古の石造灯台。明治31年(1898)建築。灯台として全国で初めて国の登録有形文化財に指定。「世界の歴史的灯台100選」にも選定されている。岬のかなたには、事代主神[ことしろぬしのかみ]が釣りをしたという沖御前島[おきのごぜんじま]や地御前島[じのごぜんじま]の浮かぶ日本海が広がる。食事や喫茶のほか、土産物の販売もする「美保関灯台ビュッフェ」隣接。
平成2年(1990)、JR大社線の廃止とともに、惜しまれながら役割を終えた駅舎を保存・公開している。現在の駅舎は大正13年(1924)建築。外観は純日本風の木造平屋建てで、和風趣向の際立つ建物だ。国の重要文化財に指定されている。
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