
仏谷寺
江戸時代に造られた青石畳の道を、美保神社から300mほど歩いたところにある寺。後鳥羽上皇や後醍醐天皇が隠岐に配流される折に、行在所[あんざいしょ]とされたところだ。大日堂に祭られている薬師如来などの5体の仏像(重要文化財)は、出雲様式の一木造。境内には江戸の大火で有名な八百屋お七の恋人・吉三[きっさ]の墓もある。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
江戸時代に造られた青石畳の道を、美保神社から300mほど歩いたところにある寺。後鳥羽上皇や後醍醐天皇が隠岐に配流される折に、行在所[あんざいしょ]とされたところだ。大日堂に祭られている薬師如来などの5体の仏像(重要文化財)は、出雲様式の一木造。境内には江戸の大火で有名な八百屋お七の恋人・吉三[きっさ]の墓もある。
「松尾神社」ともよばれ、酒造(醸造)の神や林業・漁業の神、縁結びの神を祀る。「出雲国風土記」にも登場し、百八十の神々が集まり、酒を造って百八十日間酒宴をしたといわれている。この神社では今でも年一石(180L)の酒造が許可され、秋の大祭には参拝者にもどぶろくが振るまわれる。
『出雲国風土記』にも記された出雲国一の宮。八岐大蛇[やまたのおろち]を退治したことで有名な素戔嗚尊[すさのおのみこと]を祀る。境内には素戔嗚尊が詠んだという「八雲たつ……」の歌碑が立つ。
『出雲国風土記』に登場する古社で、玉湯川の上流、玉造温泉街の奥に鎮座する。祭神は玉作部の祖神で、三種の神器の八坂瓊勾玉等製作の神と伝えられる櫛明玉命[くしあかるだまのみこと]で、上代、出雲国造[いずものくにのみやつこ]は就任時神吉詞[かんよごと]奏上の際、この地の神聖な勾玉等の宝玉を天皇に献上する慣わしがあった。境内には周辺で出土した玉類、砥石類等国の重要文化財340点余を含むおびただしい遺物を納めた収蔵庫がある。玉作りの神と共に玉造温泉発見・温泉守護神の大名持命・少彦名命の二神等を祀る。
宍道湖を一望する標高約200mの一畑山の上に立つこの寺は、眼病平癒の仏様として全国的に名高い。起源は寛平6年(894)、地元の漁師が海中から引き上げた薬師如来像を祀ったことに始まる。広大な境内には、本堂、法堂、観音堂などが点在し、1300段の石段も有名。また、宍道湖を借景に取り入れた雄大な庭園を拝観できる。
国生み・神生みの神である伊弉冉命[いざなみのみこと]が御祭神。厳かな気配が漂う森に囲まれた拝殿の奥には、大社造りの本殿が佇む。古事記と並ぶ歴史書『日本書記』に「言屋社[いふやのやしろ]」として登場し、文献上、出雲国内で最も古い神社とされる。参拝のとき事前に連絡をすると良い。
城山公園の深い緑の中、ひときわ鮮やかな朱塗りの鳥居が目印。松江藩主が創建した神社で、小泉八雲も好んでよく散策。お気に入りだった石狐像もある。10年ごとに行われる「ホーランエンヤ」は、日本三大船神事の一つである。春は桜が見事。
西暦658年に開創された、真言密教、山伏修験道の古刹。出雲国風土記に「伊我山」と記載されている峯寺弥山の中腹に位置する山寺。現存する建物のほとんどは、江戸時代中期から後期にかけて、当時の松江藩主の寄進によって建てられたもので、書院の庭園は松江藩7代藩主、松平不昧[ふまい]公所縁の庭と伝わっており、自由に拝観することができる。麓から約1キロある道路を乗用車で上がることはできるが、道が狭いため所々にある待避所で離合しなければならない。しかし、一度足を踏み入れると山の静けさにしばし時間を忘れることができる。
松江しんじ湖温泉の北、小高い丘を背にたたずむ。松平直政が生母月照院の菩提を弔うために寛文4年(1664)に建立し以後、松平家の菩提寺に。廟所には初代から9代までの墓碑が並ぶが、不昧のものや、大亀を配した6代宗衍[むねのぶ]のものが特に目をひく。藩主遺愛の品を納めた宝物殿もある。
近世には出雲10郡のうち島根、秋鹿[あいか]、縦縫[たてぬい]、意宇[おう]の3郡半を支配。事実上出雲大社に次ぐ、二の宮として勢力を誇っていた古社。本殿(重要文化財)は、大社造が3殿並立する珍しいもの。現在の建物は文化4年(1807)の建築だが、貞享年間(1684~87)以前の様式を引き継いでいる。平安時代末期の彩絵桧扇や室町時代の甲冑、4点の重要文化財など数多くの美術工芸品を所蔵。毎年11月20~25日の神在祭と9月24日の御座替祭が名高く、特に御座替祭の翌日に奉納される佐陀神能は、神楽と能を融合させた珍しいものとしてユネスコ無形文化遺産に登録された。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。