熊野大社
『出雲国風土記』にも記された出雲国一の宮。八岐大蛇[やまたのおろち]を退治したことで有名な素戔嗚尊[すさのおのみこと]を祀る。境内には素戔嗚尊が詠んだという「八雲たつ……」の歌碑が立つ。
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『出雲国風土記』にも記された出雲国一の宮。八岐大蛇[やまたのおろち]を退治したことで有名な素戔嗚尊[すさのおのみこと]を祀る。境内には素戔嗚尊が詠んだという「八雲たつ……」の歌碑が立つ。
羅漢寺は高野山真言宗の寺院。見どころは本堂の向かい側にある左右の岩窟内に250体ずつ安置した五百羅漢像。中央には釈迦三尊を祀る。銀山で亡くなった坑夫を弔って、明和3年(1766)まで25年ほどかけて作られた。当時から、五百羅漢に参拝すれば501体の顔の中に亡くなった親や我が子を見つけることができると言われ、今でも参拝者が絶えない。本堂内では創建当時から本尊の下をくぐる「胎内くぐり」ができ、悪縁を断ち切った生まれ変わった身体で、本堂裏の縁切り羅漢に参拝するのが作法という。縁切りと、縁結びの両縁参りの寺院だ。
銀山支配をめぐって争った大内氏と毛利氏の崇敬を受けた神社。文化9年(1812)に再建された拝殿の天井に鳴き龍が描かれている。
大社造の本殿に素盞鳴尊[すさのおみこと]と、その妻・稲田姫命[いなたのひめのみこと]を祀る縁結びの神社。宝物収蔵庫では大和絵風の壁画で平安時代の作といわれる板絵著色神像[いたえちゃくしょくしんぞう](重要文化財)を見られる。境内奥の森の中には稲田姫命が姿を映したと伝わる鏡の池があり、硬貨をのせた占い用紙100円の沈む早さで、縁の遅速が占える。
北田川べりに立つ天台宗の古刹だが、幾度も火災に遭い、建物に往時の面影はない。みどころは境内に立つ三斎流の茶室。月を見るために窓を大きくとったことから、観月庵[かんげつあん]とも。不昧の信任の厚かった、荒井一掌[いっしょう]の好みという。門前の橋は、小泉八雲の『あずきとぎ橋の怪』ゆかりの橋で松江市の指定文化財。
『出雲国風土記』に登場する古社で、玉湯川の上流、玉造温泉街の奥に鎮座する。祭神は玉作部の祖神で、三種の神器の八坂瓊勾玉等製作の神と伝えられる櫛明玉命[くしあかるだまのみこと]で、上代、出雲国造[いずものくにのみやつこ]は就任時神吉詞[かんよごと]奏上の際、この地の神聖な勾玉等の宝玉を天皇に献上する慣わしがあった。境内には周辺で出土した玉類、砥石類等国の重要文化財340点余を含むおびただしい遺物を納めた収蔵庫がある。玉作りの神と共に玉造温泉発見・温泉守護神の大名持命・少彦名命の二神等を祀る。
海辺の濃い樹叢[じゅそう]を背に丹塗りがひときわ鮮やかな社殿は、幕命を受けた松江藩により寛永21年(1644)に造営されたもの。楼門を入ると、天照大神を祭る正面の下の宮と、素盞嗚尊[すさのおのみこと]を祭る右手上の上の宮とに分かれており、ともに本殿と拝殿が続いた権現造。楼門や回廊を含む華麗な14棟が国の重要文化財に指定されている。旧暦1月5日の和布刈[めかり]神事は、この神社に伝わる勇壮な神事。
八上姫命が生んだ御井神(木俣神)を主祭神にしている神社。安産と水の神として古くから知られ、地元の人たちは子どもを身ごもると、安産祈願のために必ず参拝するという。参道の一角には、子どもを抱いた八上姫の像が立っている。
松江しんじ湖温泉の北、小高い丘を背にたたずむ。松平直政が生母月照院の菩提を弔うために寛文4年(1664)に建立し以後、松平家の菩提寺に。廟所には初代から9代までの墓碑が並ぶが、不昧のものや、大亀を配した6代宗衍[むねのぶ]のものが特に目をひく。藩主遺愛の品を納めた宝物殿もある。
『古事記』に須佐之男命[すさのおのみこと]と櫛名田比賣[くしなだひめ]が建立したと伝わる古社。ここに社を建てる際に、須佐之男命が「八雲立つ…」の歌を詠んだことから、和歌発祥の地ともいわれ、境内に碑が立つ。毎年9月の例祭には、海潮神代神楽が奉納されるほか、門前にある茅葺き家の神楽の宿では、毎年7月下旬に夜神楽大会が開かれる。約2km奥に、奥宮として巨岩の夫婦岩[めおといわ]が祀られており、パワースポットとして注目されている。
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