日御碕神社
海辺の濃い樹叢[じゅそう]を背に丹塗りがひときわ鮮やかな社殿は、幕命を受けた松江藩により寛永21年(1644)に造営されたもの。楼門を入ると、天照大神を祭る正面の下の宮と、素盞嗚尊[すさのおのみこと]を祭る右手上の上の宮とに分かれており、ともに本殿と拝殿が続いた権現造。楼門や回廊を含む華麗な14棟が国の重要文化財に指定されている。旧暦1月5日の和布刈[めかり]神事は、この神社に伝わる勇壮な神事。
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海辺の濃い樹叢[じゅそう]を背に丹塗りがひときわ鮮やかな社殿は、幕命を受けた松江藩により寛永21年(1644)に造営されたもの。楼門を入ると、天照大神を祭る正面の下の宮と、素盞嗚尊[すさのおのみこと]を祭る右手上の上の宮とに分かれており、ともに本殿と拝殿が続いた権現造。楼門や回廊を含む華麗な14棟が国の重要文化財に指定されている。旧暦1月5日の和布刈[めかり]神事は、この神社に伝わる勇壮な神事。
松江しんじ湖温泉の北、小高い丘を背にたたずむ。松平直政が生母月照院の菩提を弔うために寛文4年(1664)に建立し以後、松平家の菩提寺に。廟所には初代から9代までの墓碑が並ぶが、不昧のものや、大亀を配した6代宗衍[むねのぶ]のものが特に目をひく。藩主遺愛の品を納めた宝物殿もある。
若き日の武蔵坊弁慶が修行したと伝わる古刹。四季の美しさと、心安まる境内に引かれて、リピーターが多い。心のパワースポットとしても好評だ。駐車場から本堂までは徒歩15分。舗装されていないため、天候や体調を確認して出掛けよう。山野草の採取、駐車場から先の三脚・一脚の使用は不可。境内での飲食不可。
羅漢寺は高野山真言宗の寺院。見どころは本堂の向かい側にある左右の岩窟内に250体ずつ安置した五百羅漢像。中央には釈迦三尊を祀る。銀山で亡くなった坑夫を弔って、明和3年(1766)まで25年ほどかけて作られた。当時から、五百羅漢に参拝すれば501体の顔の中に亡くなった親や我が子を見つけることができると言われ、今でも参拝者が絶えない。本堂内では創建当時から本尊の下をくぐる「胎内くぐり」ができ、悪縁を断ち切った生まれ変わった身体で、本堂裏の縁切り羅漢に参拝するのが作法という。縁切りと、縁結びの両縁参りの寺院だ。
『出雲国風土記』にも記された出雲国一の宮。八岐大蛇[やまたのおろち]を退治したことで有名な素戔嗚尊[すさのおのみこと]を祀る。境内には素戔嗚尊が詠んだという「八雲たつ……」の歌碑が立つ。
八上姫命が生んだ御井神(木俣神)を主祭神にしている神社。安産と水の神として古くから知られ、地元の人たちは子どもを身ごもると、安産祈願のために必ず参拝するという。参道の一角には、子どもを抱いた八上姫の像が立っている。
国生み・神生みの神である伊弉冉命[いざなみのみこと]が御祭神。厳かな気配が漂う森に囲まれた拝殿の奥には、大社造りの本殿が佇む。古事記と並ぶ歴史書『日本書記』に「言屋社[いふやのやしろ]」として登場し、文献上、出雲国内で最も古い神社とされる。参拝のとき事前に連絡をすると良い。
北田川べりに立つ天台宗の古刹だが、幾度も火災に遭い、建物に往時の面影はない。みどころは境内に立つ三斎流の茶室。月を見るために窓を大きくとったことから、観月庵[かんげつあん]とも。不昧の信任の厚かった、荒井一掌[いっしょう]の好みという。門前の橋は、小泉八雲の『あずきとぎ橋の怪』ゆかりの橋で松江市の指定文化財。
隠岐国の総社で、『延喜式』にも記載された古社。木立の中にたたずむ本殿(重要文化財)は、隠岐造とよばれる独特の様式だ。現在のものは寛政5年(1793)建築。茅葺きのどっしりした随神門[ずいしんもん](重要文化財)や、樹齢千数百年といわれる八百杉[やおすぎ](天然記念物)も見ておきたい。
『延喜式[えんぎしき]』に記載された式内社で石見国一の宮。優美なカーブを描く本屋根までの高さが16mに及ぶ本殿は、宝暦3年(1753)の再建。県内では出雲大社本殿に次ぐ規模といわれ、あたりを払う威厳を漂わせている。
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