
雲樹寺
元享2年(1322)、弧峰覚明[こほうかくみょう]により創建され、後醍醐[ごだいご]・後村上[ごむらかみ]両天皇の勅願寺となった。松並木の参道の中ほどに立つ切妻造、本瓦葺きの四脚門(重要文化財)は創建当時の姿をとどめる。方丈裏に広がるのは1万坪の枯山水の庭園で、数百株といわれるツツジの植え込みがみごと。花期は4~7月で、5月が最盛期だ。庭園では、応安7年(1374)の銘のある寺宝の銅鐘も見ることができる。
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元享2年(1322)、弧峰覚明[こほうかくみょう]により創建され、後醍醐[ごだいご]・後村上[ごむらかみ]両天皇の勅願寺となった。松並木の参道の中ほどに立つ切妻造、本瓦葺きの四脚門(重要文化財)は創建当時の姿をとどめる。方丈裏に広がるのは1万坪の枯山水の庭園で、数百株といわれるツツジの植え込みがみごと。花期は4~7月で、5月が最盛期だ。庭園では、応安7年(1374)の銘のある寺宝の銅鐘も見ることができる。
『古事記』に須佐之男命[すさのおのみこと]と櫛名田比賣[くしなだひめ]が建立したと伝わる古社。ここに社を建てる際に、須佐之男命が「八雲立つ…」の歌を詠んだことから、和歌発祥の地ともいわれ、境内に碑が立つ。毎年9月の例祭には、海潮神代神楽が奉納されるほか、門前にある茅葺き家の神楽の宿では、毎年7月下旬に夜神楽大会が開かれる。約2km奥に、奥宮として巨岩の夫婦岩[めおといわ]が祀られており、パワースポットとして注目されている。
大社造の本殿に素盞鳴尊[すさのおみこと]と、その妻・稲田姫命[いなたのひめのみこと]を祀る縁結びの神社。宝物収蔵庫では大和絵風の壁画で平安時代の作といわれる板絵著色神像[いたえちゃくしょくしんぞう](重要文化財)を見られる。境内奥の森の中には稲田姫命が姿を映したと伝わる鏡の池があり、硬貨をのせた占い用紙100円の沈む早さで、縁の遅速が占える。
須佐之男命[すさのをのみこと]、稲田姫命[いなたひめのみこと]らを祭る。縁結びはもちろん、家内安全や子孫繁栄などご利益は数多い。『出雲國風土記』で、須佐之男命が「我名を石木にはつけず土地につける」と語ったのが「須佐」の名の由来だとか。
万葉の歌人で、益田沖の鴨島で没したと伝わる柿本人麻呂[かきのもとのひとまろ]を祭る古社。ツツジや桜に囲まれた石段を登りつめると拝殿があり、その奥に弊殿と変形春日造の本殿が立つ。拝殿脇に人麻呂像がある。
銀山支配をめぐって争った大内氏と毛利氏の崇敬を受けた神社。文化9年(1812)に再建された拝殿の天井に鳴き龍が描かれている。
隠岐国の総社で、『延喜式』にも記載された古社。木立の中にたたずむ本殿(重要文化財)は、隠岐造とよばれる独特の様式だ。現在のものは寛政5年(1793)建築。茅葺きのどっしりした随神門[ずいしんもん](重要文化財)や、樹齢千数百年といわれる八百杉[やおすぎ](天然記念物)も見ておきたい。
津和野駅の西、乙女峠に立つ小さな聖堂。明治元年(1868)新政府はキリスト教を禁じ、長崎県浦上の潜伏キリシタン3400人余を全国22ヵ所に流罪とし、拷問により改宗を強制した。このうち153人が乙女峠の光琳寺[こうりんじ]跡に収容され、37人が殉教した。彼らの霊を慰めるため、昭和23年(1948)にドイツ人神父ネーベルが建てたのがこの聖堂。堂内には殉教者を描いたステンドグラスがはめこまれている。5月3日には乙女峠まつりが行われる。
温泉津の港に出入りした北前船の守り神として信仰を集めた神社。本殿の背後にそびえる岩山の上に旧奥の院があり、突き出た岩屋は龍の頭に見える。
室町前期に創建された神社で、境内には樹齢540年を超える御神木のケヤキがそびえている。7月の祇園祭の神事として奉納される「鷺舞」の舞台でもある。鷺舞は国指定の無形民俗文化財となっていて、2羽の鷺に扮して舞う姿は古式ゆかしく、かつ優雅だ。毎年6月30日には「輪くぐり神事」が行われ、夏を迎える風物詩として賑わう。
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