隠岐神社
昭和14年(1939)、後鳥羽上皇没後700年に合わせて、上皇が過ごした場所に建てられた神社。祭神は後鳥羽上皇。本殿は切妻造、銅板葺き、隠岐造の堂々たる建築で、静かな境内は桜の名所としても知られている。
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昭和14年(1939)、後鳥羽上皇没後700年に合わせて、上皇が過ごした場所に建てられた神社。祭神は後鳥羽上皇。本殿は切妻造、銅板葺き、隠岐造の堂々たる建築で、静かな境内は桜の名所としても知られている。
康国寺は一畑電鉄雲州平田駅の北西、旅伏山の麓にある臨済宗の寺院。鎌倉時代末期に地元の豪族が創建したと伝えられ、江戸時代末期に松江藩主・松平不昧のお抱えだった築城師・沢玄丹の手による書院の庭で名高い。池と背後の旅伏山を借景にした枯山水は自然が大いに生かされ、のびのびとした佇まい。平成18年度には、米国庭園専門雑誌「Journal of Japanese Gardening」で8位に選ばれた。
旅館「湯元湯の川」の敷地内にある神社。祭神の八上姫命は愛をはぐくむ女神。因幡国(現・鳥取県)の生まれで、大国主命を恋い慕って出雲の地を訪れ、命の御子を生んだ。途中、湯の川温泉で湯浴みをしたところ、たちまち元気になり、美しさもさらに増したとか。湯元湯の川ではハート形の絵馬、縁結び絵馬(2枚1組、800円)もある。
八上姫命が生んだ御井神(木俣神)を主祭神にしている神社。安産と水の神として古くから知られ、地元の人たちは子どもを身ごもると、安産祈願のために必ず参拝するという。参道の一角には、子どもを抱いた八上姫の像が立っている。
須佐之男命[すさのをのみこと]、稲田姫命[いなたひめのみこと]らを祭る。縁結びはもちろん、家内安全や子孫繁栄などご利益は数多い。『出雲國風土記』で、須佐之男命が「我名を石木にはつけず土地につける」と語ったのが「須佐」の名の由来だとか。
『延喜式[えんぎしき]』に記載された式内社で石見国一の宮。優美なカーブを描く本屋根までの高さが16mに及ぶ本殿は、宝暦3年(1753)の再建。県内では出雲大社本殿に次ぐ規模といわれ、あたりを払う威厳を漂わせている。
龍源寺間歩を通り抜け下った先の栃畑谷に鎮座する神社で、鉱山の守り神である金山彦命を祀る。銀山を支配した代々の権力者の崇敬を受け、境内には豪壮な社殿や苔むした石段が残されている。
銀山支配をめぐって争った大内氏と毛利氏の崇敬を受けた神社。文化9年(1812)に再建された拝殿の天井に鳴き龍が描かれている。
安永2年(1773)、津和野藩主7代亀井矩貞[のりさだ]公が京都の伏見稲荷大社より勧請された社であり、日本五大稲荷のひとつ。稲成と表記されるのは、「成就」=「願いが成る」の意味が込められているためといい、五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・願望成就などのご利益を求めて多くの参詣者が訪れる。山腹には成就御礼と御祈願のために奉納された約1000本の鳥居が九十九折れのトンネルとなり、朱塗りの社殿とともに美しい景観を造り出している。11月15・16日の例大祭のころは紅葉も見ごろ。
羅漢寺は高野山真言宗の寺院。見どころは本堂の向かい側にある左右の岩窟内に250体ずつ安置した五百羅漢像。中央には釈迦三尊を祀る。銀山で亡くなった坑夫を弔って、明和3年(1766)まで25年ほどかけて作られた。当時から、五百羅漢に参拝すれば501体の顔の中に亡くなった親や我が子を見つけることができると言われ、今でも参拝者が絶えない。本堂内では創建当時から本尊の下をくぐる「胎内くぐり」ができ、悪縁を断ち切った生まれ変わった身体で、本堂裏の縁切り羅漢に参拝するのが作法という。縁切りと、縁結びの両縁参りの寺院だ。
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