加茂岩倉遺跡
農道整備の工事中に、全国最多39個の銅鐸(国宝)が出土。遺跡は発見当時の状況に復元整備されている。併設のガイダンス施設では、出土銅鐸のレプリカなどを展示しており、遺跡を遠望しながら休憩もできる。
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農道整備の工事中に、全国最多39個の銅鐸(国宝)が出土。遺跡は発見当時の状況に復元整備されている。併設のガイダンス施設では、出土銅鐸のレプリカなどを展示しており、遺跡を遠望しながら休憩もできる。
城山公園北側の堀川沿い、かつては上級・中級武士が屋敷を構えて住んでいた通り。今でも板塀と白壁の長屋門や武家屋敷の建物が連なり、松江でももっとも城下町らしいたたずまいを残す。堀川に沿って植えられている老松の並木も年輪を積み重ねた風格があり壮観。ここには小泉八雲記念館や小泉八雲の旧居もあり、散策が楽しい。松江市伝統美観保存地区、建設省(現国土交通省)と「道の日」実行委員会による「日本の道100選」に選定されている。
島根半島東端の地蔵崎に立つ、山陰最古の石造灯台。明治31年(1898)建築。灯台として全国で初めて国の登録有形文化財に指定。「世界の歴史的灯台100選」にも選定されている。岬のかなたには、事代主神[ことしろぬしのかみ]が釣りをしたという沖御前島[おきのごぜんじま]や地御前島[じのごぜんじま]の浮かぶ日本海が広がる。食事や喫茶のほか、土産物の販売もする「美保関灯台ビュッフェ」隣接。
1526年から1923年までの約400年にわたって採掘がおこなわれた日本最大級の銀鉱山跡。採掘跡や銀を加工する作業場跡が残る鉱山跡だけでなく、そのふもとの谷間に広がる鉱山町や、石見銀山をめぐっての攻防が繰り広げられたいくつかの城跡、銀、銀鉱石などを積み下ろしした鞆ケ浦や沖泊の港と港町の温泉津、それらをつなぐ街道を含めての登録となっている。この地では銀鉱石を採掘した後、灰吹法と呼ばれる精錬技術によって効率よく高品質な銀が大量に生産されたため、銀山のある佐摩村(さまむら)にちなみソーマ銀と呼ばれて流通していた。
8世紀後半に建てられた石見国分寺の跡地。石見畳ケ浦の背後の丘の上が、国の史跡に指定されている。現在は金蔵寺という寺院になっているため、塔の礎石と思われる大石が残るだけだが、すぐ近くに国分寺瓦窯跡、また北東約350mに国分尼寺跡(現在は国分寺)が残り、古代史に思いを馳せられる。
江戸時代の情趣を現代に伝える津和野のメインストリート。明治の文豪、森鴎外が少年時代に通った藩校養老館も現存している。6月は堀割に咲く花菖蒲と錦鯉のコントラストが美しい。
宍道湖北岸にあり、散歩やマラソンスポットとして親しまれている公園。文学碑が多く、小泉八雲の怪談に登場する「耳なし芳一」の像もお見逃しなく。
美保神社参道の横から佛谷寺まで続く約250mの石畳の通り。江戸時代後期、北前船の荷揚げを効率的にすることを目的に石を敷きつめたといわれている。沿道には明治・大正時代からの歴史を今に伝える老舗旅館や醤油醸造蔵などが軒を連ねている。美保館旧館、本館は有形文化財に指定されている。
世界遺産の石見銀山柵内でも大久保間歩は石見銀山最大級の間歩(坑道)跡。その大久保間歩の見学はツアーの参加者のみ可能。集合場所は石見銀山世界遺産センターで、金生坑~大久保間歩の往復約1500mを歩く。坑道内を見学できるのは大久保間歩のみだが、坑内の巨大な採掘場「福石場」は圧巻だ。
亀井家8代矩賢[のりかた]が天明6年(1786)に創設し、西周や森鴎外など多くの人材を輩出した藩校跡。儒学・兵学・医学・数学と、幕末には蘭学も教えていた。当初は下中島堀内にあったが、津和野の大火で焼失、安政2年(1855)にこの地に移された。現在残っているのは武道場と槍術場・文庫のみ。建物内では養老館の歴史、出身者などをパネルで紹介している。島根県指定史跡。所要30分。
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