田和山史跡公園
弥生時代の環壕集落跡を整備・復元して公開した史跡公園。この集落は3重の環壕に囲まれていて、全国でも特異な形をしており、祭祀の場とも城跡ともいわれる謎の多い遺跡である。公園の大部分が国の史跡に指定されている。
- 「乃木駅」から徒歩17分
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弥生時代の環壕集落跡を整備・復元して公開した史跡公園。この集落は3重の環壕に囲まれていて、全国でも特異な形をしており、祭祀の場とも城跡ともいわれる謎の多い遺跡である。公園の大部分が国の史跡に指定されている。
松江市街の西方、宍道湖を一望できる丘陵地に整備された公園。まるでピラミッドのような古曽志大谷1号墳の移築復元をはじめ、5世紀頃の姥ケ谷古墳群など大小の古墳が集まっている古墳公園。家族連れでのんびり散策できる。
お祈りすると嫁がもらえるという観音像と、お参りすれば婿が来るというお地蔵さんが並んで立っている。像の前で手を合わせたら、近くの嫁来い橋・婿来い橋を渡ってもう一度お願いしてみよう。
江戸時代、石見銀山を治めた代官所跡に立つ資料館。館名はサツマイモ栽培を奨励し飢饉を回避した「芋代官」こと代官・井戸平左衛門に因む。建物は明治後期建築の旧邇摩郡役所。表門・門長屋は文化12年(1815)建築で代官所往時のもの。館内では、いも代官をはじめとする歴代の代官ゆかりの資料を中心に代官所の仕事や大森の町並みの歴史などを紹介。500年の歴史を凝縮した町並みの俯瞰図や石見銀山年代記も見どころ。企画展や学芸員による講座やイベントも開催。ミュージアムショップでは石見銀山関連書籍や鉱石標本などを販売。
島根県立美術館前の宍道湖岸の芝生に、カーブを描いて続く12羽のうさぎのプロンズ像が『宍道湖うさぎ』(籔内佐斗司[やぶうちさとし]・作)。前から2羽目のうさぎの像にシジミの貝殻を供え、西の方を向いてやさしくふれると、良縁や幸せが舞い降りるといわれる。
江戸時代、幕府の直轄地だった石見銀山の中心の町。大正12年(1923)に鉱山は閉山したが、銀山川の細流沿いに赤瓦と土壁の家が軒を連ねる町並みが状態よく残り、伝統的建造物群保存地区に指定されている。白壁の旧旅籠や商家が並び、趣がある。
石見銀山内で最も有力な商家。江戸時代建造の屋敷を修復公開している。500坪の敷地の中に広大な主屋と5つの蔵が点在。その中に江戸、明治、大正、昭和時代の多くの家財道具が展示され、季節毎のしつらいや暮らしの様子が伺える。
『怪談』で知られる小泉八雲が明治24年(1891)に約5か月間、妻セツと暮らした武家屋敷。八雲が好んで眺め、著書『知られぬ日本の面影』第16章「日本の庭」に登場する庭は、当時のまま保存されている。国指定史跡。屋敷の一部を公開している。
城山公園北側の堀川沿い、かつては上級・中級武士が屋敷を構えて住んでいた通り。今でも板塀と白壁の長屋門や武家屋敷の建物が連なり、松江でももっとも城下町らしいたたずまいを残す。堀川に沿って植えられている老松の並木も年輪を積み重ねた風格があり壮観。ここには小泉八雲記念館や小泉八雲の旧居もあり、散策が楽しい。松江市伝統美観保存地区、建設省(現国土交通省)と「道の日」実行委員会による「日本の道100選」に選定されている。
隠岐神社の横の小道を上ったところ。延応元年(1239)、この島で亡くなった後鳥羽上皇を島民が火葬した場所と伝えられ、島の人々は御陵のように大切にしている。また、杉林の奥には、行在所だった源福寺跡がある。
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