大角家住宅旧和中散本舗
江戸時代、東海道を往来した旅人のために和中散[わちゅうざん]という薬を販売していた、「ぜさい」の店鋪と屋敷を公開。大名や公家の休憩所も兼ねていたという建物で、格調高い玄関や欄間、小堀遠州作と伝わる池泉式庭園(名勝)などが残る。庭園のカキツバタは5月20日頃から、皐月は6月初め頃が見頃(気候により多少変更あり)。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
江戸時代、東海道を往来した旅人のために和中散[わちゅうざん]という薬を販売していた、「ぜさい」の店鋪と屋敷を公開。大名や公家の休憩所も兼ねていたという建物で、格調高い玄関や欄間、小堀遠州作と伝わる池泉式庭園(名勝)などが残る。庭園のカキツバタは5月20日頃から、皐月は6月初め頃が見頃(気候により多少変更あり)。
甲賀流忍者甲賀五十三家の筆頭格「望月出雲守」の住居として元禄年間に建てられた建物。忍者自身のからくりのある住居として、日本で唯一現存する歴史的に価値のある本物の忍術屋敷。内部には、人間心理をうまくついたからくりが多く施され、甲賀忍術の奥義を記した甲賀流伝書、手裏剣等、さまざまな武器道具類が展示されている。戦乱の世に実在した忍者たち、その真の世界を本物の忍術屋敷で体感してみよう。からくりをあやつったり、鉄製の手裏剣投げどの忍者体験もできる。
文政10年(1827)から天保11年(1840)にかけて建築された近江蚊帳の工場を、明治時代に小学校や役場として改築。平成9年(1997)までは図書館としても利用された。館内には昔の近江八幡の文化や暮らしに関する展示もある。
江戸時代に栄えた北国街道周辺に、今なお残る歴史的建造物を利用して構成される複合観光スペース。江戸~明治時代に造られた蔵や商家を生かしたショップ、ギャラリー、レストラン、カフェ、ガラス工房など約22軒が点在している。
浅井氏の居城として栄えた小谷城。日本五大山城の一つとして知られ、今もなお山上には城の遺構が残り、ふもとの清水谷には浅井氏や家臣団の屋敷があったという。国の史跡に指定されている。
江戸時代には、「京立ち石部泊り」といわれ、東海道五十三次の宿場町として賑わった石部宿。入口にあたる関所を抜けると、石畳沿いに茅葺屋根の民家や茶店、商家、旅籠などが立ち並ぶ。建物内には、井戸やかまどなど使われていた生活道具も展示され、当時の生活の一端をうかがい知ることができる。街道の歴史を紹介する東海道石部歴史民俗資料館も併設。
旧彦根藩・井伊家35万石の居城。元和8年(1622)、井伊直継・直孝によって、約20年の歳月をかけ完成。琵琶湖から直接引き込んだ堀をめぐらし、小高い山に立つ。3層3階の天守(国宝)を中心に、長浜城から移築されたといわれる天秤櫓(国指定重要文化財)、城内の合図のための太鼓が置かれていた太鼓門櫓(国指定重要文化財)、近江八景を模したといわれる大名庭園の玄宮楽々園(国指定名勝)などみどころが数多く残る。天守の内部は見学可。最上階からは琵琶湖が一望のもとに見渡せる。
伝承によると、天文22年(1553)、近江半国守護職であり観音寺城主であった佐々木六角義賢[ささきろっかくよしかた]が、母の菩提を弔うため建立したとされる。しかし、冷泉為広[れいぜいためひろ]の『為広越後下向日記』延徳3年(1491)3月条に記載がある。さらには永享8年(1436)境界争い文書にも載る石仏群。室町時代の作風を示す地元花崗岩製の阿弥陀如来坐像で、高さは約1.6m。現在は48体のうち33体がここに残る。
八幡山を囲むように築かれた堀。琵琶湖水運にも利用されていた。両岸には今でも白壁土蔵や旧家が立ち並び、当時の面影を色濃く残している。重要伝統的建造物群保存地区、重要文化的景観地区に選定。
近江商人とは、近江(現在の滋賀県)に本拠を置いて全国で商業活動をしていた人々のこと。五個荘商人は江戸後期ごろから昭和戦前期にかけて活躍した。商人の数が多いこともあり、明治時代には呉服や麻布などの繊維製品を中心に商いを進めて商業範囲を広げていった。そんな五個荘商人の屋敷群が、五個荘金堂[こんどう]地区にあり、3軒が一般公開され、近江商人の暮らしぶりがうかがえる。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。