
旧武石家住宅
約300年前、江戸時代中期に建てられた中農の民家を復元。茅葺き寄棟造の主屋、味噌蔵、薪小屋、納屋の4棟があり、体験学習等も実施。近世の農民生活を知る貴重なもので、周囲の景観も昔の様子を残している(12~3月は冬期休業だが、火・金曜の午前中は茅葺き保護のため薪を焚くので見学できる)。味噌蔵と薪小屋の2棟は国の有形登録文化財として登録、主屋は弥彦村文化財(建造物)に指定されている。
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約300年前、江戸時代中期に建てられた中農の民家を復元。茅葺き寄棟造の主屋、味噌蔵、薪小屋、納屋の4棟があり、体験学習等も実施。近世の農民生活を知る貴重なもので、周囲の景観も昔の様子を残している(12~3月は冬期休業だが、火・金曜の午前中は茅葺き保護のため薪を焚くので見学できる)。味噌蔵と薪小屋の2棟は国の有形登録文化財として登録、主屋は弥彦村文化財(建造物)に指定されている。
国上寺へ向かう途中、国上山の中腹にある。五合庵の老朽化と、水を汲んでの山の登り下りが老身にこたえ、良寛は文化13年(1816)から中腹の庵に移り住んだ。ここで過ごした10年間が良寛芸術の最も円熟した時期といわれ、遺墨の多くはこの草庵時代に生まれている。現存のものは、昭和62年(1987)の再建。
上杉謙信公の居城として鉄壁を誇った春日山城。その中腹には、昭和44年(1969)のテレビドラマの放映にあたり制作された、城下を見下ろす謙信公の像がある。春日山城跡は国の指定史跡であり、日本百名城にも数えられている。
木下順二が戯曲『夕鶴』のもととしたのが佐渡の伝説の一つである「鶴女房」。作者がこれを北片辺[きたかたべ]集落で聞いたことからこの地は夕鶴の里と名付けられた。木下順二自筆の記念碑が建つ。
清水園と川を隔てた道筋に立つ、江戸末期に建てられた茅葺寄棟造の八戸の棟割長屋。土間、6畳2間、台所だけの質素なもので、当時の下級武士のくらしがうかがえる。国重要文化財。所要10分。
国上山中腹にある国上寺境内の林の中に佇む、間口2間の萱葺きの小さな草庵。良寛が全国各地の寺で厳しい修行・研鑽を重ね、寛政5年(1793)頃から20年近く住みつき数々の詩歌や書などの作品を遺した場所だ。現在の庵は大正3年(1914)の再建。
戦国時代に愛と義を貫いた直江兼続公が、主である上杉景勝公とともに幼年期を過ごしたのが坂戸山。山城で山頂には実城、中腹の御居間屋敷、山麓の御館、家臣屋敷跡などが残る。
慶長8年(1603)、佐渡金山を管理する目的で大久保長安によって建てられた佐渡奉行所。焼失と再建を繰り返したが、当時の文献や絵図をもとに平成7年(1995)から復原を開始。勝場では実際に金の製錬工程の一部が体験できる。
七浦海岸沿い、相川のすぐ南にあり、江戸時代に沖を通る船の安全をはかるため設置された灯明台や慶安の変に連座して自害した大岡源三郎の碑がある。鉱山都市「相川」が一望でき、「道遊の割戸」も見える。夕日が実に美しい。
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