旧師団長官舎
明治43年(1910)、旧日本陸軍高田第13師団長・長岡外史中将によって建設。平成3年(1991)まで、自衛隊高田駐屯基地の幹部宿舎として使用されていた。市内に残る数少ない明治期の洋風木造建築物として、市が現在の場所に移築・復原。1階は洋間、2階は和室の和洋折衷になっていて、外装・内装から家具調度品まで建築当初に近い形で復原されている。
- 「高田(新潟)駅」から徒歩17分/「南高田駅」から徒歩19分
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明治43年(1910)、旧日本陸軍高田第13師団長・長岡外史中将によって建設。平成3年(1991)まで、自衛隊高田駐屯基地の幹部宿舎として使用されていた。市内に残る数少ない明治期の洋風木造建築物として、市が現在の場所に移築・復原。1階は洋間、2階は和室の和洋折衷になっていて、外装・内装から家具調度品まで建築当初に近い形で復原されている。
松平忠輝公が築いた高田城跡を利用した都市公園。4月上旬は桜、7月中旬~8月中旬には外堀一面にハスの花が咲く。園内の高田城三重櫓、石垣ではなく土塁を巡らせた外堀などは、高田城図間尺[けんじゃく]などに基づいて再現。三重櫓内の展示室には高田城略年譜、甲冑や陣笠などを展示している。所要20分。
新潟市の中心部、信濃川に架かる306.9mの鉄筋コンクリートの橋で、現在のものは3代目。平成16年(2004)、国道の橋梁としては日本橋に次いで全国で2番目に国の重要文化財に指定された。御影石の化粧張りが施されており、6連のアーチが重厚な美しさを感じさせる造りとなっている。
江戸初期に造られた新発田藩主溝口[みぞぐち]家の下屋敷で、昭和21年(1946)に北方文化博物館の管理となり、全体を修復し「清水園」として公開。国の名勝に指定された約1万5000平方mの園内には、草書体の「水」の字を象った大泉池を配した池泉廻遊式庭園に、寄棟造の数寄屋建築の書院や5つの茶室、足軽長屋、堀部安兵衛伝承館などが立つ。書院の簡素で装飾の少ない建物に、幕府への政治的配慮がなされた当時の下屋敷の面影を偲ぶことができる。所要50分。
本与板城下直江屋敷で直江景綱の娘として生まれたお船の方。平成20年(2008)9月に建立された碑に刻まれている文字は、『天地人』の原作者・火坂雅志氏の揮毫によるもの。兼続お船ミュージアム(与板歴史民俗資料館)より2kmほど、光西寺に隣接した道沿いに立つ。
直江三代といわれる景綱・信綱・兼続の居城である本与板城。そこから約2kmしか離れていない場所に、兼続は与板城を築いた。八坂神社登り口から、「所望事信一字」と刻まれた碑がある本丸跡までの散策がおすすめ。
常安寺の127段の石段を登った先に秋葉神社があり、周辺は秋葉公園となっている。左手に数珠、右手に軍配団扇、腰に刀を差した銅像。謙信公が旗揚げした栃尾城跡を背景に座っている。このほか園内には句碑も。
寛政9年(1797)に建てられた県内指折りの豪農の住宅。二重梁や約24cm四方の上屋柱など豪雪地帯の住まいの特徴が見られる。所要30分。また、目黒邸から徒歩5分の目黒邸資料館では、豪農目黒家に代々伝わる資料が展示されている。
上杉謙信公の居城として鉄壁を誇った春日山城。その中腹には、昭和44年(1969)のテレビドラマの放映にあたり制作された、城下を見下ろす謙信公の像がある。春日山城跡は国の指定史跡であり、日本百名城にも数えられている。
真野宮から徒歩20分程の場所にあり、松や杉の老樹に囲まれている。順徳上皇は佐渡で没し火葬された後、遺骨は従者に抱かれて都に帰った。江戸前期に佐渡奉行曽根五郎兵衛が修築したもので、二重の玉垣がある。
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