
照明寺密蔵院
永承4年(1053)の創建で、越後三十三観音の一つ。その境内の眼下に海を望む高台には、良寛が生涯で3度ほど移り住んだことがある密蔵院がある。平屋建のひっそりとしたたたずまいの庵で、托鉢に出たり、掃除をしたりと良寛芸術が開花する前の一時期を過ごした。数多く残された詩や歌が、ここでの簡素な暮らしぶりを伝えている。
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永承4年(1053)の創建で、越後三十三観音の一つ。その境内の眼下に海を望む高台には、良寛が生涯で3度ほど移り住んだことがある密蔵院がある。平屋建のひっそりとしたたたずまいの庵で、托鉢に出たり、掃除をしたりと良寛芸術が開花する前の一時期を過ごした。数多く残された詩や歌が、ここでの簡素な暮らしぶりを伝えている。
安土桃山時代の開基で、新発田藩主溝口家の菩提寺。本堂裏には、苔むした歴代藩主夫妻の大きな墓塔20数基が整然と並ぶ。淨見堂には歴代藩主の肖像画12幅(市指定文化財)などの寺宝を展示。
JR新潟駅近くに位置する古社で、農家の信仰を集める蒲原郷の総鎮守。主祭神は椎根津彦命で、木火土金水[もっかどごんすい]という五行の神や菅原道真公を合祀。古くから農耕や学業、家内安全など、あらゆる祈願に霊験あらたかとして信仰され、「蒲原様」と呼ばれ親しまれて来た。毎年6月30日~7月3日に開催される新潟三大高市の一つ「蒲原まつり」では、450店余りの露店が立ち並び壮観。本殿・神楽殿の立つ境内には約130本の梅が植えられ、梅まつりも開催。早咲きの梅が春の訪れを雪国にもたらしてくれる。
日本海を見下ろす眺望の地に立つ寺泊の総鎮守。江戸時代から船乗りたちが海上安全を願って船絵馬を奉納してきた。船の構造や帆印、船員なども描かれたこの船絵馬は、北前船造船史、航海史などの貴重な資料として、国の重要民俗文化財となっている。境内の船絵馬収蔵庫に50種類、52枚が保存されている(絵馬収蔵庫拝観は要予約)。
古くから周辺随一の霊場として崇められてきた越後屈指の古刹。高野山で修行を積み、貞治2年(1363)に西生寺草庵で即身仏となった、弘智法印[こうちほういん]の日本最古の即身仏が安置されている。親鸞[しんらん]上人や松尾芭蕉も参詣した。
弥彦神社の境内にあり、刃渡り2.2mの志田大太刀[しだのおおたち]や、青磁香炉、14世紀の奉納の大鉄鉢など重要文化財を展示。
こんぴら通り商店街の入口に鎮座。嘉永5年(1852)から明治24年(1891)の北前船全盛期に、和船模型を奉納し海上安全を祈願した神社。当時、船を造ると実物そっくりの模型も作り、船を守るこの神社に納めていた。今では貴重な資料となった精巧な模型28隻は国指定重要有形民俗文化財となっている。和船模型の見学は事前に電話を。
全国でここだけという「願懸け高麗犬」のある神社。新潟市有形文化財指定第1号の高麗犬で、船運が盛んになった幕末、船乗り相手の遊女たちは、男たちが去って行かないよう、西風で海が荒れて船が出ないことを願い高麗犬を西に向けたという。男性は向って右側の、女性は左側の高麗犬を回して祈願する。
越後4カ道場の一つとして信仰を集めてきた曹洞宗の名刹。楠木正成の直孫、傑堂能勝禅師が応永10年(1403)に開いたとされる。参道の500mにわたって県天然記念物に指定されている樹齢300~500年といわれる杉並木が続く。本堂・庫裏・禅堂および衆寮・山門・回廊・経蔵の6棟が国の登録有形文化財に指定されている。
梅護寺には越後七不思議のうち、2つが存在する。そのひとつ「珠数掛ザクラ」は、親鸞聖人が出立の際、手にしていた数珠を桜の枝に掛け仏法を説えたところ、毎年数珠の房のように花が垂れ下がって咲くようになったといわれており、国の天然記念物である。また、「八ツ房の梅」は、この地に滞在中の親鸞聖人が梅干の種を植え、歌を詠んだところ翌年芽が出て、枝葉が茂りやがて薄紅の八重の花が咲き一つの花に実が芽を出し、花が咲き実が八つずつできるようになったといわれている。
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