見玉不動尊
眼病にご利益があると語り継がれている不動明王を祭る古刹。この本尊・不動明王は、平家の守護仏だったもので、壇ノ浦で平家滅亡後、家臣の宮本清左ェ門が見玉村に安置したといわれている。滝の小石を拾って目をなでると眼病が快癒するとの言い伝えがあり、全国各地から目の健康を願う人たちが参詣に訪れる。『秋山記行』を著した鈴木牧之[すずきぼくし]が秋山郷の1泊目をとった寺であり、当書には正法院の庫裏[くり]のことが詳しく描かれている。
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眼病にご利益があると語り継がれている不動明王を祭る古刹。この本尊・不動明王は、平家の守護仏だったもので、壇ノ浦で平家滅亡後、家臣の宮本清左ェ門が見玉村に安置したといわれている。滝の小石を拾って目をなでると眼病が快癒するとの言い伝えがあり、全国各地から目の健康を願う人たちが参詣に訪れる。『秋山記行』を著した鈴木牧之[すずきぼくし]が秋山郷の1泊目をとった寺であり、当書には正法院の庫裏[くり]のことが詳しく描かれている。
大同2年(807)、弘法大師が開いたという古寺。奈良の長谷寺を模したことから名付けられた。山内は広く、寺宝展示室も第1~6まで6室あり、拝観(無料、予約制)も20分から1時間まで5コースある。5月の牡丹をはじめ、桜やツツジ、アジサイなどの季節の花々も楽しめ、樹齢1000年以上の三本杉(県指定天然記念物)もある。弘法大師の像と伝わる、寺宝の十一面観音立像三体(重要文化財)は秘仏。33年毎(次回は2034年)に開帳されている。本堂、庫裏、護摩堂、鐘堂、廻廊などの国登録有形文化財が15件あるほか、木造不動明王立像・木造矜羯羅童子立像・四天王像などの県指定有形文化財が7件、市指定文化財が1件ある。また、さまざまな体験コースが20種類ある。
順徳[じゅんとく]上皇に従って佐渡に渡り、後に出家して阿仏房[あぶつぼう]となった遠藤為盛[ためもり]とその妻千日尼[せんにちに]が鎌倉時代に開基した日蓮宗の名刹。文政8年(1825)建立の五重塔(重要文化財)の心柱は杉の一本造りで、心柱と四天柱を各層で緊結している独自の手法がみられる。
鎌倉時代、永仁5年(1297)日蓮の孫弟子日印によって開山され、大本堂と七堂伽藍が壮麗に立ち並び、塔頭10カ院が守る。厄よけ開運を祈る「節分大祈願会」の鬼おどりは、多勢の参詣者でにぎわう。越後のミケランジェロ石川雲蝶の墓と、彫刻群があることでも有名。
陸海の交通安全の守護神として信仰を集めてきた、佐渡一の宮。羽茂川に架かる朱色の欄干の妹背橋[いもせばし]を渡ると一の鳥居、二の鳥居とつづく。
室町時代後期の開山と伝えられ、石川雲蝶の彫工や絵画が100点以上ある。なかでも両面彫りの天女像など欄間に刻まれた35点の浮き彫りは見ておきたい。
鎌倉時代、大納言京極為兼[きょうごくためかね]卿が佐渡に流された時の往復の旅宿であったと伝えられる寺。佐渡七福神の一つ、京極毘沙門天図は馬堀法眼[まほりほうがん]画伯の描いたもの。拝観は自由。
室町時代末期に創建された曹洞宗の古刹。幕末期に大龍和尚によって建立された開山堂の内外には、名匠石川雲蝶の彫刻、絵画、しっくい細工の数々が施されている。その出来映えは日光東照宮にも匹敵すると言われ「越後日光開山堂」の異名を持つ。特に雲蝶終生の大作といわれる天井の大彫刻「道元禅師猛虎調伏の図」は息をのむ迫力だ。石川雲蝶作品郡、新潟県文化財。
曹洞宗の古刹で、本堂は新潟県文化財に指定されている。上杉景勝と直江兼続が「喜平次」「与六」と呼ばれていた幼少期に、名僧北高全祝[ほっこうぜんしゅく]や通天存達[つうてんそんたつ]から学問や名将となる基礎を学んだ。赤門から本堂までの石畳の下に法華経が記された小石が埋められており、踏みしめてお参りをすると利益に預かると伝えられている。また宝物殿には上杉家ゆかりの品を展示している。
佐渡が京都の鬼門にあたるとして弘法大師が開基した古寺。嵯峨天皇の勅願寺ともいわれる。金堂は室町時代の建物で、弘法堂、骨堂とともに国の重要文化財に指定。7月には境内に7000本のアジサイが咲き乱れ、「アジサイ寺」ともよばれている。
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