
妙照寺
文永9年(1272)日蓮聖人は塚原三昧堂(根本寺)からここに移され、在島の大部分を過ごした。『観心本尊抄』[かんじんほんぞんしょう]や『十界曼陀羅』[じっかいまんだら]を著し、教義を確立した霊跡。大きな茅葺きの本堂前には日蓮聖人の腰掛け石がある。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
文永9年(1272)日蓮聖人は塚原三昧堂(根本寺)からここに移され、在島の大部分を過ごした。『観心本尊抄』[かんじんほんぞんしょう]や『十界曼陀羅』[じっかいまんだら]を著し、教義を確立した霊跡。大きな茅葺きの本堂前には日蓮聖人の腰掛け石がある。
加茂湖東岸の小高い丘にあり、加茂湖の夕焼けが眺望できる。境内の能舞台では8月を除く5~10月に古式ゆかしい薪能[たきぎのう]が演じられる。舞台はふだんは戸が閉めてあるが、外観は見学自由。
周辺に老杉・老松が茂る、国上山[くがみやま]中腹にある真言宗の名刹。和銅2年(709)創建。本尊は、行基菩薩の作と伝わる阿弥陀如来像。境内には酒呑童子の鏡井戸、義経ゆかりの六角堂など伝説の残る史跡が多い。現在の伽藍は客僧萬元上人により、享保3年(1718)に再建されたもの。
眼病にご利益があると語り継がれている不動明王を祭る古刹。この本尊・不動明王は、平家の守護仏だったもので、壇ノ浦で平家滅亡後、家臣の宮本清左ェ門が見玉村に安置したといわれている。滝の小石を拾って目をなでると眼病が快癒するとの言い伝えがあり、全国各地から目の健康を願う人たちが参詣に訪れる。『秋山記行』を著した鈴木牧之[すずきぼくし]が秋山郷の1泊目をとった寺であり、当書には正法院の庫裏[くり]のことが詳しく描かれている。
室町時代後期の開山と伝えられ、石川雲蝶の彫工や絵画が100点以上ある。なかでも両面彫りの天女像など欄間に刻まれた35点の浮き彫りは見ておきたい。
佐渡が京都の鬼門にあたるとして弘法大師が開基した古寺。嵯峨天皇の勅願寺ともいわれる。金堂は室町時代の建物で、弘法堂、骨堂とともに国の重要文化財に指定。7月には境内に7000本のアジサイが咲き乱れ、「アジサイ寺」ともよばれている。
五智国分寺の西方、小高い丘の上にある。延喜式にも登場する古社で、越後一之宮としての格式を誇る。大国主命[おおくにぬしのみこと]と奴奈川姫[ぬながわひめ]の結婚伝説がある。珍しい片葉の葦も群生。
上杉謙信公の祖父長尾能景[よしかげ]が、長尾家の菩提所として創建した寺。謙信公はここで学問を修め、禅を学んだ。上杉氏後の春日山城主堀氏、高田城主松平、榊原氏の菩提所。宝物館には謙信公の遺品や上杉軍旗一式、その他各城主縁のものを展示している。
日蓮聖人が毎日朝日を拝んで、父母を追慕したといわれる地に建てられた寺。日蓮聖人の袈裟掛けの松や千年杉がそそり立つ。長谷川左近作の三番叟[さんばんそう]絵馬は寛永元年作で日本最古のもの。
曹洞宗の古刹で、本堂は新潟県文化財に指定されている。上杉景勝と直江兼続が「喜平次」「与六」と呼ばれていた幼少期に、名僧北高全祝[ほっこうぜんしゅく]や通天存達[つうてんそんたつ]から学問や名将となる基礎を学んだ。赤門から本堂までの石畳の下に法華経が記された小石が埋められており、踏みしめてお参りをすると利益に預かると伝えられている。また宝物殿には上杉家ゆかりの品を展示している。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。