北方文化博物館新潟分館
明治28年(1895)の建築で、大正初期から大地主伊藤家(北方文化博物館)の別邸となった。建物は日本建築と洋館の2棟。晩年の會津八一[あいづやいち]が住んでいた関係で八一の作品を展示し、枯山水の庭園には歌碑も残されている。館内には2つの茶室と、掛軸など良寛[りょうかん]の書も展示。所要30分。
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明治28年(1895)の建築で、大正初期から大地主伊藤家(北方文化博物館)の別邸となった。建物は日本建築と洋館の2棟。晩年の會津八一[あいづやいち]が住んでいた関係で八一の作品を展示し、枯山水の庭園には歌碑も残されている。館内には2つの茶室と、掛軸など良寛[りょうかん]の書も展示。所要30分。
元和2年(1616)、徳川幕府の天領となった出雲崎は、越後で最初に代官所が置かれた地。代官所は何度か移転し、文化5年(1808)にこの場所に移され、明治維新を迎えることになる。敗走した代官に替わり官軍が民政局を設けた頃には、周囲に堀を巡らせた、御門、長屋、本陣、牢屋などを有する広大な屋敷であったが、現在は往時を物語る老松や稲荷神社が残されているのみ。
延享3年(1746)に幕府直轄領として設置された水原代官所を、資料をもとに建築様式にこだわり再現した建物。館内は上ノ間、御用人部屋、御学問所など19の部屋に分かれ、代官所の役割や当時の様子などが紹介されている。所要30分。
岩室温泉街からほど近い、標高234.5mの天神山には直江兼続の実弟、大国実頼(与七実頼)が最後に城主を務めた天神山城の跡が今も残る。城址登り口までは丸小山公園から登山道で20分、舗装された林道で40分ほど。さらに登ると物見台、土塁・石塁や瓢箪池、武者溜りなどがほぼ完全な形で残り、頂上の本丸跡からは絶景を楽しむことができる。
元禄2年(1689)7月、俳人松尾芭蕉が奥の細道行脚の途中、この地に立ち寄り、「荒海や佐渡によこたふ天河」の句を残した。芭蕉筆の銀河の序を刻んだ句碑が建つ。
明治~昭和にかけて新潟を代表した大商家、齋藤家の明治期の邸宅の一部を白山公園内に移築・再建したもの。明治40年(1907)頃の建築と伝わる国登録有形文化財で、格調高い奥座敷や居室のほか、露地庭と一体となった茶室、床の間など、贅を尽くした細工も見どころ。10~16時には、水琴窟を施した日本庭園を眺めながら、菓子と抹茶やコーヒーも楽しめる。所要30分。
約300年前、江戸時代中期に建てられた中農の民家を復元。茅葺き寄棟造の主屋、味噌蔵、薪小屋、納屋の4棟があり、体験学習等も実施。近世の農民生活を知る貴重なもので、周囲の景観も昔の様子を残している(12~3月は冬期休業だが、火・金曜の午前中は茅葺き保護のため薪を焚くので見学できる)。味噌蔵と薪小屋の2棟は国の有形登録文化財として登録、主屋は弥彦村文化財(建造物)に指定されている。
江戸初期に造られた新発田藩主溝口[みぞぐち]家の下屋敷で、昭和21年(1946)に北方文化博物館の管理となり、全体を修復し「清水園」として公開。国の名勝に指定された約1万5000平方mの園内には、草書体の「水」の字を象った大泉池を配した池泉廻遊式庭園に、寄棟造の数寄屋建築の書院や5つの茶室、足軽長屋、堀部安兵衛伝承館などが立つ。書院の簡素で装飾の少ない建物に、幕府への政治的配慮がなされた当時の下屋敷の面影を偲ぶことができる。所要50分。
ソメイヨシノなどの桜が楽しめる。開花期間中は公園内にぼんぼりを設置。お堀に映える夜桜は圧巻だ。また、三階櫓には、全国にも例がない珍しい三匹の鯱を配している。公園から望む新発田城は、石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法で作られ、「なまこ壁」と併せて見応えがある。日本百名城にも登録されており、往時の姿を留める表門や旧二ノ丸隅櫓も必見だ。
良寛の生家である橘屋の屋敷跡の中央に建つ。橘屋は、代々出雲崎で名主を務めてきた家柄で、宝暦8年(1758)この地に生まれ、光照寺に入るまでの18年間を過ごした。良寛の母の国、佐渡島を背景にして海に浮かんで見え、素朴で優美な建物。大正11年(1922)築。
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