番神堂
日蓮宗の霊場の一つ。佐渡遠流を赦免された日蓮聖人が八幡大菩薩に導かれ番神岬に上陸、真言宗であった番神堂を日蓮宗に改宗した。八幡大菩薩など30番神を勧請したのが始まりという。明治10年(1877)に再建された堂の外回りには鳳凰と桐、水と亀など桃山風の彫刻がある。
- 「鯨波駅」から徒歩23分
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日蓮宗の霊場の一つ。佐渡遠流を赦免された日蓮聖人が八幡大菩薩に導かれ番神岬に上陸、真言宗であった番神堂を日蓮宗に改宗した。八幡大菩薩など30番神を勧請したのが始まりという。明治10年(1877)に再建された堂の外回りには鳳凰と桐、水と亀など桃山風の彫刻がある。
奈良時代に建てられたといわれる佐渡最古の寺。寛文6年(1666)再建された、美しい茅葺の草堂(瑠璃堂)が正面参道奥にあり、本尊の薬師如来が安置されている。薬師如来拝観については電話で確認を。
文永9年(1272)日蓮聖人は塚原三昧堂(根本寺)からここに移され、在島の大部分を過ごした。『観心本尊抄』[かんじんほんぞんしょう]や『十界曼陀羅』[じっかいまんだら]を著し、教義を確立した霊跡。大きな茅葺きの本堂前には日蓮聖人の腰掛け石がある。
初代佐渡奉行の大久保長安[ながやす]が開いた寺。山門へは美しい石畳が続く。長安が自分の死後の冥福を祈った逆修塔[ぎゃくしゅうとう]と、佐渡一国検地を行った河村彦左衛門を供養して建てられた五輪塔[ごりんとう]は国指定の史跡。また、墓地後方に密生するタブの木の準原生林も見落とせない。
奈良時代の創建と伝えられ、「蔵王様」[ざおうさま]と親しまれた中越の総鎮守として信仰を集めた。境内には樹齢700~800年の大欅や蔵王堂城跡がある。毎年7月15日に大祭の流鏑馬[やぶさめ]、11月5日の王神祭[おうじんさい](県無形民俗文化財)が行われる。
奈良春日大社の分霊を祭った神社。天徳2年(958)、春日山の山頂に創建。春日山城築城の際に鬼門鎮護の社として現在地へ移されたと伝わり、春日神社の名から春日山と呼ぶようになった。奈良春日大社の記録では、越後春日社として全国で最初に出てくる。江戸時代の春日灯篭もある。
日蓮聖人が毎日朝日を拝んで、父母を追慕したといわれる地に建てられた寺。日蓮聖人の袈裟掛けの松や千年杉がそそり立つ。長谷川左近作の三番叟[さんばんそう]絵馬は寛永元年作で日本最古のもの。
五智国分寺の西方、小高い丘の上にある。延喜式にも登場する古社で、越後一之宮としての格式を誇る。大国主命[おおくにぬしのみこと]と奴奈川姫[ぬながわひめ]の結婚伝説がある。珍しい片葉の葦も群生。
天平年間(729~749)に創設された越後の国分寺。永禄5年(1562)上杉謙信の再興と伝わる。安政3年(1856)建立で、高さ25mの三重塔には十二支の彫刻が施され、伽藍は未完ながら県の文化財に指定。本堂は焼失したが、平成9年に再建された。境内には親鸞聖人が流罪生活を送った竹之内草庵があり、自作の等身大の木像が安置されている。
梅護寺には越後七不思議のうち、2つが存在する。そのひとつ「珠数掛ザクラ」は、親鸞聖人が出立の際、手にしていた数珠を桜の枝に掛け仏法を説えたところ、毎年数珠の房のように花が垂れ下がって咲くようになったといわれており、国の天然記念物である。また、「八ツ房の梅」は、この地に滞在中の親鸞聖人が梅干の種を植え、歌を詠んだところ翌年芽が出て、枝葉が茂りやがて薄紅の八重の花が咲き一つの花に実が芽を出し、花が咲き実が八つずつできるようになったといわれている。
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