
薬師堂・子持杉
栃尾又温泉自在館の裏手にある小さなお薬師様。手前に子持杉と呼ばれる大きなスギの木が立っている。スギは根元がつながっていて、ここをまたぐと子宝が授かるといわれる。薬師堂には子宝祈願の人が供えたキューピー人形があふれている。
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栃尾又温泉自在館の裏手にある小さなお薬師様。手前に子持杉と呼ばれる大きなスギの木が立っている。スギは根元がつながっていて、ここをまたぐと子宝が授かるといわれる。薬師堂には子宝祈願の人が供えたキューピー人形があふれている。
日蓮宗の霊場の一つ。佐渡遠流を赦免された日蓮聖人が八幡大菩薩に導かれ番神岬に上陸、真言宗であった番神堂を日蓮宗に改宗した。八幡大菩薩など30番神を勧請したのが始まりという。明治10年(1877)に再建された堂の外回りには鳳凰と桐、水と亀など桃山風の彫刻がある。
謙信公によって創建された曹洞宗の古刹。上杉家の手厚い保護を受けてきたといわれる。謙信公が愛用したとされる兜の前立(長岡市文化財)、謙信公筆五言対句(新潟県文化財)など、ゆかりの寺宝を有する。
大同2年(807)、坂上田村麻呂[さかのうえたむらまろ]が創建し毘沙門天を祭ったと伝わる。毘沙門堂は12.6m四面の堂で四方に縁がある。楼門は日光東照宮の陽明門にならったという総ケヤキ造り。毎年3月第一土曜にはご利益のある札を奪い合う、裸押合い祭り(国の重要無形民俗文化財)が開催され、前日の17時30分から大ローソクの献火などの前夜祭がある。
眼病にご利益があると語り継がれている不動明王を祭る古刹。この本尊・不動明王は、平家の守護仏だったもので、壇ノ浦で平家滅亡後、家臣の宮本清左ェ門が見玉村に安置したといわれている。滝の小石を拾って目をなでると眼病が快癒するとの言い伝えがあり、全国各地から目の健康を願う人たちが参詣に訪れる。『秋山記行』を著した鈴木牧之[すずきぼくし]が秋山郷の1泊目をとった寺であり、当書には正法院の庫裏[くり]のことが詳しく描かれている。
曹洞宗の古刹で、本堂は新潟県文化財に指定されている。上杉景勝と直江兼続が「喜平次」「与六」と呼ばれていた幼少期に、名僧北高全祝[ほっこうぜんしゅく]や通天存達[つうてんそんたつ]から学問や名将となる基礎を学んだ。赤門から本堂までの石畳の下に法華経が記された小石が埋められており、踏みしめてお参りをすると利益に預かると伝えられている。また宝物殿には上杉家ゆかりの品を展示している。
奈良時代の創建と伝えられ、「蔵王様」[ざおうさま]と親しまれた中越の総鎮守として信仰を集めた。境内には樹齢700~800年の大欅や蔵王堂城跡がある。毎年7月15日に大祭の流鏑馬[やぶさめ]、11月5日の王神祭[おうじんさい](県無形民俗文化財)が行われる。
大同2年(808)開基の真言宗の寺。金北山や金剛山と並ぶ佐渡三霊山の壇特山[だんとくさん]を奥の院とする。天明元年(1781)に佐渡を訪れた木喰行道[もくじきぎょうどう]がつくった仏像は本堂に安置され、拝観できる。
鎌倉時代、大納言京極為兼[きょうごくためかね]卿が佐渡に流された時の往復の旅宿であったと伝えられる寺。佐渡七福神の一つ、京極毘沙門天図は馬堀法眼[まほりほうがん]画伯の描いたもの。拝観は自由。
加茂湖東岸の小高い丘にあり、加茂湖の夕焼けが眺望できる。境内の能舞台では8月を除く5~10月に古式ゆかしい薪能[たきぎのう]が演じられる。舞台はふだんは戸が閉めてあるが、外観は見学自由。
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