
福石観音
養老元年(717)、名僧行基が刻んだといわれる十一面観音を安置。この観音像は、九州七観音の一つに数えられている。大同3年(808)、弘法大師(空海)が唐からの帰途五百羅漢を刻み、諸人救済のため草庵を建て清巌寺と名付けたとされる。毎年8月8日~10日には四萬六千日祭があり、昔ながらの縁日を楽しめる。
- 「佐世保駅」から徒歩15分
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養老元年(717)、名僧行基が刻んだといわれる十一面観音を安置。この観音像は、九州七観音の一つに数えられている。大同3年(808)、弘法大師(空海)が唐からの帰途五百羅漢を刻み、諸人救済のため草庵を建て清巌寺と名付けたとされる。毎年8月8日~10日には四萬六千日祭があり、昔ながらの縁日を楽しめる。
延宝5年(1677)に建立された寺で、興福寺・福済寺・崇福寺と共に「長崎四福寺」ともよばれ、福を呼ぶ寺として人気が高い。欄干など、いたる場所に唐寺の風情が色濃く漂い、長崎一大きな梵鐘や鬼瓦を埋め込んだ塀などみどころも多い。鎖国令により15歳で国外追放された、混血児のジャガタラお春の碑があることでも知られている。
学問の神様、菅原道真を祀った神社。本殿を囲む端垣[みずがき]の欄間に刻まれた『職人尽[しょくにんづくし]』の彫刻は、菓子造りや竹細工、鍛冶大工などの職人の姿を30枚にわたり浮き彫りにした貴重なもの。県の有形文化財にも指定されている。正徳3年(1713)、社殿改築の際に奉納された。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「黒島の集落」にある教会。初代の木造の黒島天主堂ができたのは明治12年(1879)。明治35年(1902)に、マルマン神父の設計で、信者の資金供出と献身的な労働奉仕によってにロマネスク様式のレンガ造りの堂々とした教会が完成した。奥行35m、間口15mの三廊式の教会堂で、リブ・ヴォールトの天井が美しく、黒島特産の御影石「黒島みかげ」が多く使われ、祭壇下には1800枚の有田焼磁器タイルが敷き詰められているなど、国指定重要文化財にふさわしい造りとなっている。
平戸島のほぼ中央に位置し、紐差港を望む小高い丘に立つ白亜のカトリック教会。現在の聖堂は昭和4年(1929)に竣工したもの。教会堂建築で知られる鉄川與助の設計施工で、ロマネスク様式の鉄筋コンクリート造り2階建ての大きな聖堂だ。礼拝堂内部は、赤い絨毯に白い柱が映え、與助の設計の特徴である花柄の飾り模様も見られる。美しいステンドグラス越しに差し込む光やパイプオルガンなどが、堂内に荘厳な雰囲気を醸し出している。
平戸瀬戸や平戸島を見下ろす高台に立つ赤レンガ造りの教会。黒島と外海の出津集落から移住して来た信者たちが、後に中田藤吉神父とともに現在の本格的な聖堂を建設。信者の労働奉仕によって大正7年(1918)に竣工、翌年に献堂式が行われた。設計施工は教会堂建築で知られる鉄川與助。外観はイギリス積みを基本とする多彩なレンガ積み手法や黒レンガの装飾など、印象的で美しいデザイン。八角形のドームを頂く鐘塔のアンジェラスの鐘はフランスからを取り寄せたもの。堂内部の天井は本格的なリブ・ヴォールト天井で、色鮮やかな2階のステンドグラスはドイツ人マキシミリアノ・バルトズが2年かけて制作。国指定重要文化財。
佐世保市の沖合に浮かぶ黒島の神社。黒島港のある本村[ほんむら]に位置し、長い石段を上ると本殿と大岩が鎮座している。平戸市の古社・志々伎[しじき]神社の分社で、祭神は平戸松浦氏の始祖・峯五郎披[みねごろうひらく]ほか2柱を合祀。一帯の社叢は神域のため伐採されたことがなく、スタジイをはじめ、タブノキやヤブツバキなどが茂り、縄文の森の面影がみられる。禁教期には島民全員が神社の氏子だったが、明治5年(1872)に神社の例祭を行った際に本村、古里以外の集落の住民がほとんど参加せず、潜伏キリシタンがカトリックに復帰したことが発覚した。神仏分離令で廃止されたが、明治12年(1879年)に村社として再興された。
平戸市街地西側の丘の上に立つ教会。市街地からは尖鋭な屋根と十字架が望まれ、教会へ至る坂の途中の光明寺、瑞雲寺などの寺院と重なって見える風景は「寺院と教会の見える風景」として平戸を代表する景観のひとつとなっている。大正2年(1913)に「カトリック平戸教会」として建てられたのが始まりで、昭和6(1931)に現在地に移転、建設された。薄緑色の鉄筋コンクリート造りのゴシック様式の教会堂で、左側にのみ八角塔があるアシンメトリーな造りが印象的。敷地内にはザビエル記念像が立ち、フランスのルルドの泉を模した「ルルド」が造られている。入口の教会マナーを一読の上、祈りの気持ちをもって見学を。
平戸島の東部、宝亀湾を見下ろす高台に立つ。明治18年(1885)、京崎地区に仮教会が設けられ、明治31年(1898)にマタラ神父の指導の下、現在の宝亀教会が建立された。多くの建築的特徴をもつ聖堂で、基礎は石造りだが会堂部は木造切妻造りで、建物正面部分のみレンガ造りだ。屋根は単層切妻の瓦葺、会堂部側面には円型ハメ殺し窓の下に、出入りできる両開き窓を5面設けている。内部は三廊式で、天井は主廊、側廊ともにリブ・ヴォールト天井(コウモリ天井)の板張り。平戸を代表する美しい教会で長崎県指定有形文化財。見学の際はマナーを守り、入口の注意事項を一読、脱帽して静かに見学すること。カメラ撮影、飲食、喫煙は禁止。
弘法大師が護摩を修したといわれる寺。霊宝館には「絹本著色仏涅槃図[けんぼんちゃくしょくぶつねはんず]」(重要文化財)などの寺宝を展示。朱色の三重大塔は、昭和63年(1988)弘法大師の1150年御遠忌を記念し建てられた。節分の子泣き相撲は有名。土俵で先に泣いた赤ちゃんが勝ちとなる。
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