
東山手甲十三番館
明治中期に建てられた洋館。ハートリーフが人気の憩いのスポット。コーヒーがとてもおいしい。
- 「大浦海岸通駅」から徒歩5分/「メディカルセンター駅」から徒歩5分
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明治中期に建てられた洋館。ハートリーフが人気の憩いのスポット。コーヒーがとてもおいしい。
寛永11年(1634)、唐僧・黙子如定[もくすにょじょう]によって架設。中島川石橋群の中では唯一の双円アーチ型で、水に映った姿が眼鏡のように見えるためこの名が付いている。眼鏡橋のビューポイントは2つ隣の東新橋。アーチが高いので、眼鏡橋を正面から見下ろす角度で見ることができる。橋の向こうに夕日が沈む景色は一見の価値あり。河畔は中島川公園として整備され、枝垂れ柳が風情を感じさせる。川沿いに遊歩道もあるので、ゆっくりと散歩をしてみよう。夜22時までライトアップを実施。長崎の観光名所として人気が高い。
龍馬通り沿いにある長崎市亀山社中記念館そばのポケットパークにあるモニュメント。日本で初めてブーツを履いた男こと坂本龍馬にちなみ、亀山社中設立130年を記念して平成7年(1995)に作られたもの。船の舵輪の前に置かれた長さ60cm、幅20cm、高さ40cmのブロンズ製のブーツは、実際足を入れることもできるので試し履きをしてみよう。長崎港をはじめ長崎の街並みが一望できるここからの景観は、長崎市都市景観賞も受賞している。
文久3年(1863)に日本最初の西洋料理の店が開店した地。のちに長崎市馬町へ移転。建物は現在グラバー園へ「旧自由亭」として移設されている。
風頭公園内の龍馬の像の隣にある。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の一節を抜粋した文学碑。長崎に込めた龍馬の期待が伝わってくる。
立命館大学の学祖であり公使、文相、首相を歴任した西園寺公望が、明治3年(1870)頃、フランス語の勉強のため長崎滞在中の仮の住まいとしていた地。滞在は7カ月ほどだった。
亀山社中跡の長崎市亀山社中記念館近く、亀山通りに石碑が立つ。亀山焼窯は文化4年(1807)に、大神甚五平を中心に開窯した。オランダが注文した水瓶を主に焼いていたが、オランダ船来航の減少により白磁染付を製作するようになり、やがて慶応元年(1865)に閉窯。龍馬は自分の名と同じ龍が描かれた亀山焼の茶碗を愛用したといい、この窯跡地に亀山社中を設立した。現在、窯跡の一部が確認されており、石碑脇には案内板が、そばの伊良林平公民館では外壁に展示棚を設けて亀山焼の作品を展示している。
オランダ坂に面して並ぶ7棟の木造建築の洋館。明治20年代後半に賃貸住宅等として建てられたもので、7棟のうち6棟が見学できる。東山手地区町並み保存センターでは、外国人居留地時代の様子を写真やビデオで紹介。3棟を利用した古写真資料館は、写真の開祖・上野彦馬の資料や明治・大正期の長崎に関する写真を多数展示している。埋蔵資料館では、江戸時代の遺跡の出土品などが見学できる。国際交流の拠点でもある東山手「地球館」cafe slowでは身体にやさしいランチやスイーツなどを提供。
浦上街道沿いにある山王神社の鳥居。元は一の鳥居から四の鳥居まであったが、原爆の爆心地から南東約900mに位置したため、昭和20年(1945)8月9日の原爆で2つが倒壊。ほぼ原型のまま残っていた一の鳥居は後に交通事故で倒壊し、片方の柱だけになった二の鳥居のみが残っている。原爆の強烈な熱線で上部が黒く焼け、爆風によって片方の柱と鳥居上部が破壊された二の鳥居は、残った笠石の半分を一本柱で70年以上も支え続けている。国指定史跡「長崎原爆遺跡」の一つでもある。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「大野集落」にある教会堂。明治26年(1893)、ド・ロ神父が設計・施工し、大野集落の26戸の信者のために建設した教会で、民家風の建物は間口約6.1m、奥行約11.8m。内部は1室のみで、奥に司祭室が別に造られている。和瓦葺きの屋根上や鬼瓦にはクルスが描かれ、石を積み上げた外壁にはレンガで半円アーチを造った窓がある。ド・ロ壁と呼ばれる外壁は、地元の玄武岩の割り石を使い、赤土に石灰を混ぜ合わせた泥漆喰で固めていることから大野独特の風合いを醸し出している。内部見学はできないが、木骨トラスを用いた小屋組など、ド・ロ神父の洋式建築技法が典型的に表れており、国の重要文化財に指定されている。
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