
幸橋(オランダ橋)
30代平戸藩主の命により元禄15年(1702)に改架された石造単アーチ橋(重要文化財)。オランダ商館建造に携わった日本人石工が、地元の石工たちに伝授した架橋技術で建設されたと伝えられるため、オランダ橋ともよばれている。もともと平戸城に入る門前橋としての役割があり、昭和59年(1984)に御門が復元され、現在では平戸のシンボル的存在となっている。
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30代平戸藩主の命により元禄15年(1702)に改架された石造単アーチ橋(重要文化財)。オランダ商館建造に携わった日本人石工が、地元の石工たちに伝授した架橋技術で建設されたと伝えられるため、オランダ橋ともよばれている。もともと平戸城に入る門前橋としての役割があり、昭和59年(1984)に御門が復元され、現在では平戸のシンボル的存在となっている。
明治12年(1879)に外海地方の主任司祭として赴任したフランス人宣教師マルコ・マリー・ド・ロ神父の遺徳と偉業を紹介する記念館。布教活動に加え、出津教会堂の設計・施工などの建築事業、出津救助院をはじめとする社会福祉事業、農業や漁業の指導、医療や教育の事業などあらゆる分野で奉仕した。記念館の建物は、明治18年(1885)に建てられた出津救助院の鰯網工場で、後に保育施設として使われた国指定重要文化財の建物を利用。館内には、キリシタン暦や祭服、燭台などの宗教関連のものをはじめ、洋式作業着や医療機器、大工道具、ミシンなど、神父が行ったさまざまな事業に関する品々を展示。なかでも、フランスから取り寄せた愛用のオルガン、県指定有形文化財の青銅製の方形大型メダルのプラケットや日本人絵師に作らせた木版画などは興味深い。
慶長年間(1596~1614)に李朝の陶工によって築窯されたと伝えられる窯跡。窯の部屋数は24室以上、全長約55.4m以上と考えられ、当時の窯としては大規模なもの。発掘されたままの状態で展示されている窯のほか、復元された窯もあり、波佐見焼の歴史がわかる。平成12年(2000)9月に国史跡に指定。
中通島の一角、頭ヶ島や平島を望む海岸沿いに整備された広場。慶応2年(1866)5月、坂本龍馬が組織した亀山社中が所有する洋型木造帆船ワイル・ウエフ号が潮合崎[しおやざき]沖で遭難。寺田屋事件で受けた傷で療養中だった龍馬は、この地に駆け付け村役に慰霊碑の建立を依頼したという。広場には「龍馬ゆかりの地」と記された碑とワイル・ウエフ号の舵取り棒のレプリカがあり、池内蔵太ら12名の若き志士たちの冥福を祈る龍馬のブロンズ像が潮合崎沖を望んで立つ。実物の舵取り棒は、広場近くにある民宿「潮騒」に保管されている。
五島列島の中通島北部に位置する、木造瓦葺き平屋建てのカトリック教会。明治15年(1882)に創建された教会で、創建当時の場所に当時の規模や形をほとんど変えることなく、ミサも行われる現役の木造教会として最古級のものだった。平成19年(2007)に、漏電が原因と見られる火災により損傷。柱や梁などの構造体や外壁はしっかりと残っていたため、調査・検討の結果、復元工事を決定。平成22年(2010)には、曲線が美しいリブ・ヴォールト天井(こうもり天井)のかつての姿を取り戻し、現在は長崎県の有形文化財にも指定されている。
市街地の武家屋敷通りにある観光拠点施設。五島家家臣の藤原氏の屋敷跡地で、平成7年(1995)に遺構を生かして木造平屋の建物が造られた。林泉式庭園やこぼれ石をのせた石垣は当時のまま。展示室には福江の歴史を紹介する地図や写真パネルがある。イベント室ではバラモン凧の絵付けや貝殻フォトフレーム作り等の体験(要予約)ができるほか、陶芸展・盆栽展などの展示会や各種イベントを行うことができる。隣接する喫茶コーナーでは、かんころ餅セットやアイスクリーム、ドリンク類を楽しめる。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「頭ヶ島の集落」の中心となる教会。教会の始まりは、慶応2年(1867)に上五島地域の潜伏キリシタンの頭目であったドミンゴ松次郎が頭ヶ島の白浜に移住し、自宅を「仮の聖堂」としたことから。現在の天主堂は2代目で、信徒らの労働奉仕と10年の歳月をかけて大正8年(1919)に完成。設計・施工は鉄川與助。五島石を使った外観は力強い組石造りだ。八角形の銅板張りのドーム屋根を冠した塔屋が印象的だ。内部は単廊式で、船底のような折上天井は、ハンマー・ビーム架構という特殊な工法で造られている。内装には随所に五島列島の椿をモチーフにした装飾がなされ「花の御堂」の愛称も。国指定重要文化財。頭ヶ島パーク&ライドによりアクセスに要注意。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「大野集落」にある教会堂。明治26年(1893)、ド・ロ神父が設計・施工し、大野集落の26戸の信者のために建設した教会で、民家風の建物は間口約6.1m、奥行約11.8m。内部は1室のみで、奥に司祭室が別に造られている。和瓦葺きの屋根上や鬼瓦にはクルスが描かれ、石を積み上げた外壁にはレンガで半円アーチを造った窓がある。ド・ロ壁と呼ばれる外壁は、地元の玄武岩の割り石を使い、赤土に石灰を混ぜ合わせた泥漆喰で固めていることから大野独特の風合いを醸し出している。内部見学はできないが、木骨トラスを用いた小屋組など、ド・ロ神父の洋式建築技法が典型的に表れており、国の重要文化財に指定されている。
海を見下ろす小高い丘に立つ、漆喰の白い外壁と2つの塔が印象的な教会堂。建立は明治15年(1882)。フランス人宣教師マルク・マリー・ド・ロ神父が自ら設計し、信者たちの労働奉仕で完成した。低く堅牢な造りの木造平屋建てで、明治42年(1909)には玄関を拡張して鐘塔を造り、創建時の装飾塔と合わせて2つの塔を持つ姿になった。内部は三廊式で、天井は漆喰塗り、かつては正座して祈りを捧げたという木造りの床には傷や擦れた跡などが残っている。国指定重要文化財で、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である出津集落の見どころの一つ。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「外海の出津集落」内に立つ出津教会堂のほど近くにある。出津教会堂を建てたド・ロ神父は、村民のために農業や漁業の指導、医療や教育の事業などさまざまな活動をした。その活動の1つとして、明治16年(1883)に創設したのが出津救助院。結婚前の女性に教育や授産事業を行う拠点として神父自ら設計、私財を投じて建てた福祉施設だ。かつての庄屋屋敷跡にあり、今も授産場やマカロニ工場、製粉工場、薬局などの建物が残っている。中心となる授産場の建物は木造と石造り。1階がパンやそうめん作りなどの作業場で、中央の床には地下貯蔵庫、建物東側にはパン焼窯跡がある。2階は女性たちの生活の場、教育の場、祈りの場であり、ヨーロッパから取り寄せたミシンや編み機を使った仕事場でもあった。隣のマカロニ工場の製品と併せて、救助院の多くの製品が長崎居留地の外国人に販売され、輸出もされたという。現在、食と農の体験活動施設として利用されている旧製粉工場では、施設ゆかりの商品を販売。授産場とマカロニ工場の建物、ド・ロ塀と呼ばれる塀は国指定重要文化財だ。
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