大バエ灯台
生月島最北端の高さ100mほどの断崖の上に立つ白亜の無人灯台。目前には水平線が広がり、平戸島、大島、遠く南には宇久島、小値賀島、北には壱岐、条件が良ければ対馬が見渡せる。
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生月島最北端の高さ100mほどの断崖の上に立つ白亜の無人灯台。目前には水平線が広がり、平戸島、大島、遠く南には宇久島、小値賀島、北には壱岐、条件が良ければ対馬が見渡せる。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つ。江上集落は、五島列島中部の奈留島北西部に位置する集落。江戸時代末期に、五島藩との協定で大村藩領の外海から移住してきた潜伏キリシタンの一部は、奈留島の永這[ながはえ]や椿原、南越など島内各所に集落を形成した。人里離れた海に近い谷間の江上にも4戸が入植。各集落とも指導者を中心に信仰をひそかに続け、キリスト教解禁後も奈留島では潜伏時代の信仰を維持する人々が多くいたという。江上集落の人々は明治14年(1881)に全員がカトリックに復帰し、明治末期には簡素な教会を建てた。現在の江上天主堂は大正7年(1918)の建立。江上地区を散策すれば、移住地の典型例である谷迫地形[たにさこちけい]の集落の様子や、それに適応して建築された木造教会堂の代表例である江上天主堂の静かなたたずまいを見ることができる。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つ。黒島は平戸藩の領地で、江戸後期に畑地開拓ための政策によって生月島や大村藩の外海から多くの開拓民が移住。新集落7つのうち、日数、根谷など6集落は潜伏キリシタンの集落だった。本村集落の庄屋屋敷では絵踏が行われたが、彼らは興禅寺の檀家となりながら密かにマリア観音像に祈りをささげて信仰を続けた。長崎・大浦天主堂の信徒発見の2カ月後、黒島から潜伏キリシタンの指導者(水方)を代々務める出口吉太夫など20名が大浦天主堂を訪ね、600人の信者がいると告知。数々の迫害を経て、明治5年(1872)に島内信者全員がカトリックに復帰。現在島内には、カトリック黒島教会をはじめキリシタン関連史跡が数多く残っている。
世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である西彼杵半島西岸の集落。宣教活動が直接あったこの地には、江戸初期に多くの潜伏キリシタンが存在。村役もキリシタンで、「お帳」と呼ぶ組をつくり、祈りの言葉「オラショ」を唱え、指導者「ジヒサマ」のもと密かに洗礼や葬儀を行っていた。明治12年(1879)にド・ロ神父が赴任して潜伏は終わりを迎えた。出津漁港から出津川流域の山の斜面一帯にかけて広がる集落には、固有の埋葬方法がとられた墓地や代官所跡、庄屋屋敷跡のほか、仮の聖堂跡、ド・ロ神父建立のカトリック出津教会(出津教会堂)などが点在。段々畑や家の塀などに多くの石積みの石垣や石塀が見られ、「長崎市外海の石積集落景観」として国の重要文化的景観にも選定されている。
作家・なかにし礼著『長崎ぶらぶら節』でも紹介された唄で“遊びに行くなら花月か中の茶屋。梅園裏門たたいて…”と登場する。道沿いには明治時代築の貴重な木造建造物が点在し、風情ある石畳が続く。
佐世保の海の玄関口・佐世保鯨瀬[くじらせ]埠頭にあり、パークのどこからでも佐世保港を望むことができるビュースポット。パーク内には鯨のモニュメントや錨[いかり]のオブジェがある。海沿いに続くプロムナードのベンチで、港の風景を楽しみたい。
熊本県の「天草の崎津集落」、長崎県長崎市「外海の出津集落」・「外海の大野集落」などとともに登録された世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つ。生月島が間近に迫る平戸島北西部に位置する春日集落は、その背後の安満岳と美しく広がる棚田の景観が素晴らしい集落。天文19年(1550)のフランシスコ・ザビエルによる平戸島のキリスト教伝来後、春日の領主・籠手田[こてだ]氏が改宗したことから、領民も一斉に改宗したという。禁教時代に組織的に密かに信仰を続けた春日の潜伏キリシタンは、古くからの神仏や山、川などの自然を崇拝するとともに、キリシタン殉教地である沖合の中江ノ島も拝んでキリスト教信仰を実践した。明治期の禁教解除後もそれまでの信仰を守り続ける人が多かったが、近年では組織的な信仰は消滅。現在はキリシタン信仰の信心具などが大切に守られている。見学ルートや所要時間は現地の案内板を参照。
遊郭の丸山入口に設けられた門前橋。当時はここに川が流れ、多くの男性が丸山へ行こうか戻ろうか、と思案したことからこの名が付いた。昭和30年代に道路拡張のため橋は消滅したが、それを惜しんで橋の欄干を模した建造物が立つ。
平成27年(2015)登録の世界遺産。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、急速に発展した製鉄・鉄鋼・造船・石炭産業関連の近代産業の遺産群。幕末の日本は西洋から技術や知識を吸収し、明治期に近代産業の基盤を確立。構成は長崎県をはじめ福岡、佐賀、熊本、鹿児島、山口、岩手、静岡の8県11市にわたり、長崎県の旧グラバー住宅、山口県萩や静岡県韮山の反射炉、岩手県釜石の鉄鉱山、九州各地の炭鉱や造船所など、23の構成資産から成る。
平成30年(2018)6月30日に登録された世界文化遺産。構成資産は、長崎県南島原市の「原城跡」をはじめ、長崎市の「大浦天主堂」、「外海の出津集落」、「外海の大野集落」、佐世保市の「黒島の集落」、平戸市の「平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)」、「平戸の聖地と集落(中江ノ島)」、小値賀町の「野崎島の集落跡」、新上五島町の「頭ヶ島の集落」、五島市の「久賀島の集落」、「奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)」、熊本県天草市の「天草の崎津集落」の12資産。キリスト教の伝来期に最も集中的に宣教が行われた長崎や熊本天草地方の民衆の間には、強固な信仰組織がつくられた。17世紀に江戸幕府の禁教政策で宣教師不在となった後も、信仰を続けた潜伏キリシタンは、その信仰を続けるために、一見すると日本の伝統的宗教のように見える独自の信仰形態を育んだ。18世紀末期には、共同体を維持するため、日本の伝統的宗教や一般社会と折り合いをつけることを考慮し、離島各地へ移住。近代に入って禁教が解かれ、宣教師との出会いで転機を迎えた長年の宗教的伝統は、変容しながら終焉を迎えていった。各構成資産は、17~19世紀のキリスト教禁教政策の下で密かにその信仰を伝え続けた人々の長い歴史を物語っている。※崎津の「さき」の字は、正式には山+竒。
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