
海雲山 晧臺寺
慶長13年(1608)、飯盛山洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建された。当時の長崎はキリシタンが多く、亀翁はここで仏法復興のために奮闘した。境内には歴代長崎奉行やシーボルトの娘楠本イネなど長崎で活躍した著名人の墓が多くあり、また高台からの景観も見事なため、多くの人々が訪れる。
- 「思案橋駅」から徒歩7分/「めがね橋駅」から徒歩8分
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慶長13年(1608)、飯盛山洪徳寺の七世であった亀翁良鶴により創建された。当時の長崎はキリシタンが多く、亀翁はここで仏法復興のために奮闘した。境内には歴代長崎奉行やシーボルトの娘楠本イネなど長崎で活躍した著名人の墓が多くあり、また高台からの景観も見事なため、多くの人々が訪れる。
坂本龍馬を始め多くの志士達が参拝したことから勤皇稲荷(または勤王神社)と呼ばれている。毎年10月14・15日には白装束に狐の面をつけた若者が命綱なしで10m以上の高い竹竿の上で曲芸を行う「竹ん芸」が行われる。
日本二十六聖人記念館と道路を隔てた向かい側に立つ、スペインのガウディ建築風の高さ約16mの2本の尖塔が目印の教会。日本二十六聖人記念館とともに、昭和37年(1962)に造られたもので、ガウディを日本に初めて紹介した今井兼次が設計した日本を代表する現代建築。正式名所は「日本二十六聖人記念聖堂聖 フィリッポ教会」。26聖人の一人、メキシコ人の最初の殉教者に当たるフェリペ・デ・ヘスス(聖フィリッポ)の名前が由来だ。「天の門」を意味するという双塔は、左塔が祈りと賛美の塔で聖母マリアの象徴、右塔が恵みをいただく聖霊の賜物を象徴している。聖堂内はシンプルな造りでステンドグラスからの光が穏やかに差し込んでいる。
寛永6年(1629)、明[みん]の僧・超然[ちょうねん]が創建した黄檗[おうばく]宗の寺院。竜宮城を思わせる朱塗りの山門が印象的。黄檗天井と称されるアーチ型天井をもつ入母屋造の大雄宝殿(国宝)や第一峰門(国宝)、鐘鼓楼(重要文化財)などの唐様の堂宇が立ち並ぶほか、境内には飢饉の際、住民を救うため作られた大釜などもある。毎年旧暦の7月26~28日には中国盆会[ちゅうごくぼんえ]が行われ、賑わいを見せる。
佐世保駅そばの小高い丘に立つ教会。正面中央に白い大尖塔、左右に小尖塔をもつゴシック様式の鉄筋コンクリート造りで、昭和6年(1931)の建立。重層の屋根は瓦葺き、堂内部は三廊式で、天井はリブ・ヴォールト天井となっている。設計者、施工者はともに不明。かつては佐世保港に入港する船から真っ先に教会の十字架が望め、第二次世界大戦中は、空襲の目標となるのを避けるため外壁が黒く塗られた。美しい姿で立つ教会は駅周辺のランドマークであり、佐世保市の代表的建築物として第6回佐世保市景観デザイン賞にも選定されている。
地元では「お諏訪さま」の愛称で親しまれている長崎の総氏神。大鳥居から続く194段の石段を上れば長崎の街並みが一望できる。広い境内には、カッパのような皿を頭にのせたり、玉に乗ったりなどさまざまな姿をした狛犬が祀られていてユニーク。また国際都市・長崎ならではの英文おみくじも人気がある。
平成30年(2018)6月30日に登録された世界文化遺産。構成資産は、長崎県南島原市の「原城跡」をはじめ、長崎市の「大浦天主堂」、「外海の出津集落」、「外海の大野集落」、佐世保市の「黒島の集落」、平戸市の「平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)」、「平戸の聖地と集落(中江ノ島)」、小値賀町の「野崎島の集落跡」、新上五島町の「頭ヶ島の集落」、五島市の「久賀島の集落」、「奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)」、熊本県天草市の「天草の崎津集落」の12資産。キリスト教の伝来期に最も集中的に宣教が行われた長崎や熊本天草地方の民衆の間には、強固な信仰組織がつくられた。17世紀に江戸幕府の禁教政策で宣教師不在となった後も、信仰を続けた潜伏キリシタンは、その信仰を続けるために、一見すると日本の伝統的宗教のように見える独自の信仰形態を育んだ。18世紀末期には、共同体を維持するため、日本の伝統的宗教や一般社会と折り合いをつけることを考慮し、離島各地へ移住。近代に入って禁教が解かれ、宣教師との出会いで転機を迎えた長年の宗教的伝統は、変容しながら終焉を迎えていった。各構成資産は、17~19世紀のキリスト教禁教政策の下で密かにその信仰を伝え続けた人々の長い歴史を物語っている。※崎津の「さき」の字は、正式には山+竒。
正保元年(1644)開山の真言宗の寺。海軍伝習所で学ぶため長崎に滞在していた勝海舟と恋に落ち、一男をもうけた後、若くして亡くなった梶クマ(お久)の墓がある。
安政元年(1854)、当時19歳の福沢諭吉が蘭学の勉強の拠点として1年間、ここに滞在した。珍しい御朱印地様式の山門が残る。旧長崎市内で最初の宗教施設。慶長19年(1614)建立。すべての神社仏閣はキリシタン時代に焼打ちにあい、その跡地に大聖堂が建った。光永寺は禁教令が出て最初に建った。
元和6年(1620)創建。日本の唐寺では最も古く、長崎三福寺の一つ。2代目住職は眼鏡橋を造った如定[にょじょう]で、黄檗[おうばく]宗開祖・隠元[いんげん]禅師が最初に入山した寺でもある。威風堂々とした寺が立ち並ぶ寺町通りのなかでも、総朱丹塗りの大きな山門が際立つ。鮮やかな色彩の彫刻が施された大雄宝殿[だいおうほうでん](国重要文化財)や唐人屋敷門(国重要文化財)、孔子を祭った中島聖堂などみどころは多い。
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