志賀海神社
綿津見[わたつみ]三神を奉祭し、「海神の総本社」を称されている。創建は明確ではないが、勝馬にそれぞれの神が祭られていたが、神功皇后三韓出兵の折、功を奏した阿曇礒良により現在の地に遷座したと伝わる。古より海の主宰神として崇敬を集めてきた。戦火で荒廃した社殿を大内義隆[おおうちよしたか]、小早川隆景[こばやかわたかかげ]らが再建。そののち黒田藩がさらに修復を加えている。春と秋の山誉祭[やまほめさい]、御神幸祭[ごじんこうさい]、歩射祭[ほしゃさい]は県指定の無形民俗文化財。
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綿津見[わたつみ]三神を奉祭し、「海神の総本社」を称されている。創建は明確ではないが、勝馬にそれぞれの神が祭られていたが、神功皇后三韓出兵の折、功を奏した阿曇礒良により現在の地に遷座したと伝わる。古より海の主宰神として崇敬を集めてきた。戦火で荒廃した社殿を大内義隆[おおうちよしたか]、小早川隆景[こばやかわたかかげ]らが再建。そののち黒田藩がさらに修復を加えている。春と秋の山誉祭[やまほめさい]、御神幸祭[ごじんこうさい]、歩射祭[ほしゃさい]は県指定の無形民俗文化財。
江戸時代に久留米城防御のため寺院が集められた町。17の寺院が建ち並び、今でも江戸時代の面影が残っている。それぞれの趣ある寺には、久留米で活躍した多くの先人の墓碑がある。最もよく知られた人物は、勤王の志士高山彦九郎・久留米餅の始祖の井上伝・久留米つつじの始祖坂本元蔵・洋画家古賀春江などがいる。
道真公が大宰府に左遷後、逝去するまでの日々を過ごした配所跡で、その後に建立されたのがこの社。境内に榎の大樹があったため、榎社と呼ばれるようになったと伝わる。社裏には、道真公の世話をした老女浄妙尼を祀る小社もある。
神武[じんむ]天皇の母、玉依姫命[たまよりひめのみこと]を祀る神社。平安時代に唐へ渡る最澄[さいちょう]が安全祈願に訪れたといわれる。縁結びの神様として知られ、恋守り結びの糸1500円が若い女性たちに人気。春は桜、秋は紅葉の名所として参拝者で賑わう。
博多に住んだ宋の貿易商・謝国明が施主となって、聖一国師が開山。仁治3年(1242)に建立された、臨済宗の寺。国師が宋より持ち帰った製粉技術により、饅頭やうどん、そば博多織などが日本に広まった。大晦日に振舞われる「連そば」が年越しそばの原型とも言われる。
弘法大師空海が日本で初めて開いた真言密教の寺。真言の教えが東へ長く伝わるようにという思いを込めてこの名がついた。木造坐像としては日本最大級の福岡大仏が見もの。また、真っ暗なトンネルを抜けて地蔵菩薩に合う「地獄極楽めぐり」も体験の価値がある。
全国にある水天宮の総本宮。安徳天皇の生母・高倉平中宮[たかくらたいらのちゅうぐう]に仕えた按察使局[あぜちのつぼね]伊勢が、壇ノ浦の合戦で滅亡した平家の霊を弔うために祀ったのが始まり。安産、子授け、水難除け、子どもの守護神として知られる。
天智天皇が母・斉明天皇の冥福を祈って発願したが、80年もの歳月を費やし、天平18年(746)完成。当時は西日本最大の大寺院であった。宝蔵では平安~鎌倉時代の仏像(重要文化財)などを公開している。
久留米藩主有馬氏の菩提寺。臨済宗の古刹で、九州屈指の修業道場として知られる。本堂の正面には浮き彫りの扉をもつ唐門があり、裏には藩祖豊氏[とようじ]ほか歴代藩主の5棟の霊屋が建つ。九州地方の希少な大名家の霊廟建築である有馬家霊屋は国指定重要文化財だ。寺名のとおり梅の名所としても有名で、30種約500本の梅林のある約9500mの外苑が隣接している。毎年2月初旬~3月上旬には豊後梅や玉剣[たまつるぎ]などの梅が開花し、周辺に甘い香りが漂う。開花時期には参詣客で賑わう。
水田天満宮の末社として鎮座。祭神「恋命」を祀るのは全国的にも珍しく、恋愛成就のパワースポットとして話題だ。良縁・幸福の恋みくじをはじめ、祈願絵馬やハート陶板守なども揃う。
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