
結城神社
結城神社は、鎌倉幕府倒幕と建武中興に功のあった、南北朝時代に活躍した南朝方の武将・結城宗広を祀る神社。宗広の臨終の地・結城塚があった地に、津藩十代藩主・藤堂高兌が文政7年(1824)に社殿を造営したのが始まり。梅の名所としても知られ、昭和62年(1987)に社殿とともに整備された梅苑には、宗広の立派な墓碑のほか、「結城さんのしだれ梅」と呼ばれる約300本の枝垂れ梅をはじめとする梅の木が植えられ、2月中旬~3月中旬に満開となる。
- 「阿漕駅」から徒歩20分
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結城神社は、鎌倉幕府倒幕と建武中興に功のあった、南北朝時代に活躍した南朝方の武将・結城宗広を祀る神社。宗広の臨終の地・結城塚があった地に、津藩十代藩主・藤堂高兌が文政7年(1824)に社殿を造営したのが始まり。梅の名所としても知られ、昭和62年(1987)に社殿とともに整備された梅苑には、宗広の立派な墓碑のほか、「結城さんのしだれ梅」と呼ばれる約300本の枝垂れ梅をはじめとする梅の木が植えられ、2月中旬~3月中旬に満開となる。
全国に600以上ある真宗高田派寺院の本山。平成29年(2017)11月28日、三重県初の国宝(建造物)に指定された、全国の国宝木造建造物で5本の指に入る大きさの御影堂や如来堂をはじめ、国指定重要文化財11棟も見応え十分で、広大な敷地内は見どころが満載。また、専修寺を中心に発展した寺内町は歴史的な街並みを今に伝えている。
松坂市の西、伊勢国司北畠氏の本拠地だった美杉地区にある、江戸時代前期に創建された神社。北畠氏の館があったところで、庭園にその名残をとどめている。
斎宮駅の南側に、かつて人々が伊勢神宮に詣でた道、伊勢街道があり、その街道沿いに面して立っている。周辺から大規模な塀列や掘立柱の建物の跡が発掘されたため、斎宮の御殿があった場所ではないかとも考えられ、日本遺産に認定されている。
聖武天皇の勅願で天平15年(743)に建てられたと伝わる。本尊の如意輪観音が厄除けに霊験あらたかと信仰され、地元では「岡寺さん」とよばれて親しまれている。3月の初午[はつうま]大祭は、厄除けの人や開運祈願の参拝客で賑わう。これらの日に売られる厄除け玩具の猿はじきが珍しい。
奈良時代に開創された古刹。天平時代に造られた本尊は、かの織田信長も平伏したと伝えられる。本堂は大正6年(1917)に再建され、内部大間の天井は156枚の絵をはめ込んだ珍しい絵天井造りだ。鎮守の毘沙門天は勢州七福神の札所のひとつ。
神亀5年(728)、聖武天皇の勅願で、行基が創建したとされる古刹。往時には七堂伽藍を有したが、たび重なる兵火で焼失。災禍を逃れた本尊は、当初薬師如来であったものを阿弥陀如来立像に改作したといわれる。高さ162cmの一木造[いちぼくづくり]。全身に木屎漆[こくそうるし]が塗られた立派な仏像は、国の重要文化財に指定されている。
秋には参道や境内がモミジを中心とする赤い紅葉に彩られ情緒がある。春は桜の名所でもある。三重県の重要文化財に指定されている八角形の梵鐘でも有名。参道には、33体の観音像があり、西国33所巡りができる。国道166号からの参道は、道幅が狭いので注意が必要。
熊野街道沿いの閑静な山里にある普賢寺は宗派のない単立寺院。本尊は国指定重要文化財(旧国宝)の普賢菩薩座像である。平安時代前期の作で、壇像彫刻風の貞観彫刻の優品。本一面観世音菩薩や千手観音金銅像なども拝見できる。仏像拝観の他に回向や祈願の相談もおこなう。拝観時は要予約。
承和元年(834)の創建。観音堂の十一面観音立像は平安時代の作で、国の重要文化財に指定されている。境内から本堂裏の山上にかけて伊賀四国八十八カ所の巡礼路があり、多くの石仏が並ぶ。
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