安久津八幡神社
貞観2年(860)慈覚[じかく]大師が、豪族安久津磐三郎[ばんざぶろう]の協力を得て創建。源義家[よしいえ]が奥州平定の出陣の際に戦勝を祈願し、鎌倉鶴岡八幡宮の分霊を祭ったと伝わる。参道の左に三重塔、室町末期のものとされる茅葺きの舞楽殿、その奥に三間社流造りの本殿があり、それぞれ山形県指定重要文化財に指定されている。無形文化財には安久津延年舞がある。裏山一帯は安久津古墳群十数基点在するまほろばの里歴史公園となっている。道をはさんで向かいには道の駅たかはたがあり、休憩には最適。
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貞観2年(860)慈覚[じかく]大師が、豪族安久津磐三郎[ばんざぶろう]の協力を得て創建。源義家[よしいえ]が奥州平定の出陣の際に戦勝を祈願し、鎌倉鶴岡八幡宮の分霊を祭ったと伝わる。参道の左に三重塔、室町末期のものとされる茅葺きの舞楽殿、その奥に三間社流造りの本殿があり、それぞれ山形県指定重要文化財に指定されている。無形文化財には安久津延年舞がある。裏山一帯は安久津古墳群十数基点在するまほろばの里歴史公園となっている。道をはさんで向かいには道の駅たかはたがあり、休憩には最適。
貞観2年(860)比叡山延暦寺の別院として慈覚大師(円仁)により創建された天台宗の古刹。室町末期に戦禍にあい、建物の多くが焼失したが、天文12年(1543)に復元された。山門から苔むした石段が奥の院まで続き、頂にそそり立つ凝灰岩に堂宇が張りつく姿は、一幅の水墨画をおもわせる。「山寺が支えた紅花文化」は平成30年(2018)日本遺産に認定された。
大同年間(806~810)の創建と伝わる置賜三十三観音四番札所で、桁行・梁間3間の宝形造。本尊は聖観音立像で、桂一本造、像高176.9cm。現在の堂宇は昭和55年(1980)に全面解体保存修理が行われた。
悲劇的な死を遂げた、11代山形藩主・最上義光の娘・駒姫の菩提寺。出羽五ケ寺の一つで、木造建築としては東北最大級といわれている。天井の四隅を支えている夜鳴力士像は、名工・左甚五郎の作として知られ、鐘楼は県の有形文化財に指定。見学は外観のみ。
出羽三山の三神を祀る豪壮な社殿。出羽神社と雪のため冬期に参拝できない月山神社と湯殿山神社を祀り、羽黒山三神合祭殿としている。それぞれの祭神は、出羽神社が伊氏波神[いではのかみ]、稲倉魂命[うがのみたまのみこと]、月山神社が月読命[つきよみのみこと]、湯殿山神社が大山祗命[おおやまづみのみこと]、大己貴命[おおなむちのみこと]、少彦名神[すくなひこなのみこと]。国指定重要文化財となっている現在の社殿は、文政元年(1818)に建てられたもの。内部が総漆塗りの権現造で、茅葺き屋根は高さ28m、厚さ約2.1mもある。
羅漢のある吹浦[ふくら]はもともと漁村だったため、昔から多くの人々が荒波に命を奪われてきた。そのことに胸を痛めた海禅寺寛海和尚は、元治元年(1864)から約5年をかけて諸霊の供養と海上の安全を祈り、羅漢を造った。日本海の荒波が寄せる、海岸の自然岩に22体の仏像が彫られている。
羽黒山参道「一の坂」手前上り口前の杉並木の中にある。高さが29mの三間五層柿葺の素木造で、東北地方最古の塔。約1100年前に平将門が建立、文中元年(1372)、武藤政氏[むとうまさうじ]の再建と伝えられる。
羽黒山、月山で修行を積んだ行者が仏の境地に入る場所といわれ、「語るなかれ」「聞くなかれ」と口外することを固く禁じられてきた山。北側中腹には、出羽三山の奥宮とよばれる湯殿山神社がある。本宮にはお祓いを受けてからでなければ参拝できない。
曹洞宗の名刹。四季折々、さまざまな花に囲まれることから「花の寺」としても知られ、全国でも珍しい九輪草の純群落(見頃は5月中旬~6月初旬)がある。池泉回遊式蓬莱庭園は国の文化財名勝。
山頂手前の三の坂にある縁結びの神様。社の扉にびっしりと結ばれた無数の赤い紐が目印。山頂の三神合祭殿授与所でお守り1000円を求め、同封の赤い紐を下山の際にこの神社に結んで行く。男女の良縁はもちろん、人生のさまざまな出会いを祈願できる。
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