
上杉神社
松が岬公園内にある、家祖上杉謙信公を祀る神社。上杉家伝来の宝物を所蔵する稽照殿[けいしょうでん]が隣接する。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
松が岬公園内にある、家祖上杉謙信公を祀る神社。上杉家伝来の宝物を所蔵する稽照殿[けいしょうでん]が隣接する。
天文15年(1546)建立。最上三十三観音打止めの寺で、万願の霊場として信仰が厚い。山門のおかげさま門は、森羅万象に感謝して「お陰様です」と唱えてくぐるのが通例。最上三十三観音満願の寺、出羽百観音満願の寺、山形十三仏第八番聖観音霊場として信心を集め、特に毎年開催される8月18日の灯ろう流しは有名。ご本尊は慈覚大師御作の平安仏で1000年もの間、人々に安らぎを与える。
最上三十三観音霊場・第五番札所。平安時代にの姫が夢のお告げを受け、この地に嫁いで観音像を祭ったのが始まりといわれる。京都の清水寺を模した懸崖造りの観音堂で、朱塗りの堂が山肌にそびえ立つ。張り出した堂内から、遠く蔵王連峰の山並みが一望できる。
立石寺の数々の寺宝を安置。天養元年(1144)の如法経所碑[にょほうきょうしょひ]は国の重要文化財。ほかに木造伝教大師座像、木製曼陀羅懸仏など。
およそ1200年前に龍華寺として開かれ、600年前に現在の善寳寺となり、龍神様の寺として北陸関東以北に多くの信者を有し、特に漁業関係者の信仰が厚い。家内安全、商売繁栄のよりどころとする信者も多く曹洞宗三大祈祷所となっている。山門、本堂、龍王殿、五重塔など伽藍の整った古刹。国指定有形文化財登録「山門、総門、五重塔、五百羅漢堂、龍王殿、龍華庵」がある。
羅漢のある吹浦[ふくら]はもともと漁村だったため、昔から多くの人々が荒波に命を奪われてきた。そのことに胸を痛めた海禅寺寛海和尚は、元治元年(1864)から約5年をかけて諸霊の供養と海上の安全を祈り、羅漢を造った。日本海の荒波が寄せる、海岸の自然岩に22体の仏像が彫られている。
大同年間(806~810)の創建と伝わる置賜三十三観音四番札所で、桁行・梁間3間の宝形造。本尊は聖観音立像で、桂一本造、像高176.9cm。現在の堂宇は昭和55年(1980)に全面解体保存修理が行われた。
会津で活躍した、徳一上人の開山といわれる古刹。弘仁元年(810)、入仏供養。伊達氏、上杉氏の信仰も篤かったという。現在の堂は、天保14年(1843)に再建されたもの。別名・あじさい寺とも呼ばれ、7月上~下旬には約1000株のあじさいが咲き誇る。
旧薩州藩大砲長久永竜助以下10名の国事殉難の士慰霊のため創立。明治維新より大東亜戦争までの戦歿者四万八百四十五柱の英霊を奉斎。英霊は家族のため、郷土のため、さらには国家を守るために、尊い生命を御国に捧げた人々の神霊である。英霊の願いは国家が平和であり、国民、県民が幸せであることであるから、初宮詣、七五三詣、合格祈願、厄祓、交通安全祈願、神前結婚式等、その他祈願参拝も行っている。
寛永15年(1638)建立の本殿は新庄最古の建造物。江戸時代の建築技術の高さがうかがえる。当時は黒漆等で彩色されていたが、今はうっすらと残るだけ。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。