
總宮神社
市街地北部、あやめ公園の東側にある長井周辺の総鎮守。約5000平方mの境内には老木が生い茂り、社殿・拝殿・神庫などが荘厳なたたずまいをみせる。坂上田村麻呂が東進の際に神社を建てたのが始まりと伝えられる。文禄2年(1593)米沢城主蒲生氏郷[がもううじさと]が、長井郷50余の神社を合祀し総宮神社となった。
- 「あやめ公園駅」から徒歩4分/「長井駅」から徒歩16分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
市街地北部、あやめ公園の東側にある長井周辺の総鎮守。約5000平方mの境内には老木が生い茂り、社殿・拝殿・神庫などが荘厳なたたずまいをみせる。坂上田村麻呂が東進の際に神社を建てたのが始まりと伝えられる。文禄2年(1593)米沢城主蒲生氏郷[がもううじさと]が、長井郷50余の神社を合祀し総宮神社となった。
源義経の従者・常陸坊海尊が建立したといわれる。古くから舟旅の守り神として信仰され、現在は縁結び神社としても知られている。また義経・芭蕉の歴史が刻まれ、パワースポットとしても知られている。仙人堂の脇には休憩所兼売店があり、湧き水で入れたホットコーヒー、アイスコーヒー400円を味わうこともできる。義経・芭蕉の歴史が刻まれ、パワースポット、縁結びとして人気だ。
鶴ケ岡城本丸址に鎮座し、荘内藩の歴代藩主を祀る。開運招福、厄除けのご利益がある。鎮座している鶴岡公園は日本桜100選に選ばれた桜の名所。参拝の印である御朱印は季節ごとにデザインが変わる。
山頂手前の三の坂にある縁結びの神様。社の扉にびっしりと結ばれた無数の赤い紐が目印。山頂の三神合祭殿授与所でお守り1000円を求め、同封の赤い紐を下山の際にこの神社に結んで行く。男女の良縁はもちろん、人生のさまざまな出会いを祈願できる。
最上三十三観音霊場・第五番札所。平安時代にの姫が夢のお告げを受け、この地に嫁いで観音像を祭ったのが始まりといわれる。京都の清水寺を模した懸崖造りの観音堂で、朱塗りの堂が山肌にそびえ立つ。張り出した堂内から、遠く蔵王連峰の山並みが一望できる。
旧薩州藩大砲長久永竜助以下10名の国事殉難の士慰霊のため創立。明治維新より大東亜戦争までの戦歿者四万八百四十五柱の英霊を奉斎。英霊は家族のため、郷土のため、さらには国家を守るために、尊い生命を御国に捧げた人々の神霊である。英霊の願いは国家が平和であり、国民、県民が幸せであることであるから、初宮詣、七五三詣、合格祈願、厄祓、交通安全祈願、神前結婚式等、その他祈願参拝も行っている。
天文15年(1546)建立。最上三十三観音打止めの寺で、万願の霊場として信仰が厚い。山門のおかげさま門は、森羅万象に感謝して「お陰様です」と唱えてくぐるのが通例。最上三十三観音満願の寺、出羽百観音満願の寺、山形十三仏第八番聖観音霊場として信心を集め、特に毎年開催される8月18日の灯ろう流しは有名。ご本尊は慈覚大師御作の平安仏で1000年もの間、人々に安らぎを与える。
曹洞宗の名刹。四季折々、さまざまな花に囲まれることから「花の寺」としても知られ、全国でも珍しい九輪草の純群落(見頃は5月中旬~6月初旬)がある。池泉回遊式蓬莱庭園は国の文化財名勝。
寛永15年(1638)建立の本殿は新庄最古の建造物。江戸時代の建築技術の高さがうかがえる。当時は黒漆等で彩色されていたが、今はうっすらと残るだけ。
貞観2年(860)比叡山延暦寺の別院として慈覚大師(円仁)により創建された天台宗の古刹。室町末期に戦禍にあい、建物の多くが焼失したが、天文12年(1543)に復元された。山門から苔むした石段が奥の院まで続き、頂にそそり立つ凝灰岩に堂宇が張りつく姿は、一幅の水墨画をおもわせる。「山寺が支えた紅花文化」は平成30年(2018)日本遺産に認定された。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。