
長谷堂城跡(長谷堂城跡公園)
出羽の関ケ原・長谷堂合戦の舞台になった長谷堂城跡。慶長5年(1600)9月、上杉の智将「直江兼続」は二万余の大軍を率いて長谷堂城に押し寄せたが、最上義光の家臣、長谷堂城主「志村伊豆守光安」が千人あまりの城兵をもって、これを撃退し山形を戦火から護った。現在は公園として整備されており、曲輪や虎口、空堀など中世・戦国の遺構に出会うことができる。
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出羽の関ケ原・長谷堂合戦の舞台になった長谷堂城跡。慶長5年(1600)9月、上杉の智将「直江兼続」は二万余の大軍を率いて長谷堂城に押し寄せたが、最上義光の家臣、長谷堂城主「志村伊豆守光安」が千人あまりの城兵をもって、これを撃退し山形を戦火から護った。現在は公園として整備されており、曲輪や虎口、空堀など中世・戦国の遺構に出会うことができる。
国指定史跡・松ヶ岡開墾場は、明治5年(1872)に旧庄内藩士約3000人が刀を鍬に替えて開墾し、広大な桑園と蚕室群を設けて養蚕業を始めた中心地。鶴岡・庄内は国内最北限の絹産地に発展した。開墾の本部とした本陣や、5棟の大きな蚕室、貯桑土蔵などが、明治の面影そのままに現存する。蚕室は、開墾の歴史を伝える松ヶ岡開墾記念館をはじめ、6・9月に蚕飼育が見られるおカイコさまの蔵、鶴岡の絹産業の歴史と魅力に触れる体験型施設のシルクミライ館として公開。食堂やショップもあり、季節のマルシェやワークショップなども開催。
愛称の「文翔館」で親しまれる郷土館の竣工は大正5年(1916)。山形県旧県庁舎兼旧県会議事堂として使用されていた建物で、国指定重要文化財だ。石貼りの重厚な英国近世復興様式で、旧県庁舎と旧県会議事堂の2棟が渡り廊下で結ばれている。現在も稼働している時計塔のある旧県庁舎の館内には、明治以降の県政資料の展示室やギャラリー、映像ホール、喫茶室などが整備され、旧県会議事堂のヴォールト天井の見事な議事場ホールではイベントも開催されている。
旧柏倉家住宅は江戸時代後期から明治にかけて、豪農として栄えた柏倉九左衛門家の屋敷。敷地約2300坪、建物約427坪という大規模住宅で、明治期の南東北地方における上質な農家建築として価値が高いと、令和元年(2019)9月に重要文化財に指定された。漆塗や金箔で飾られた仏間などは上質な座敷蔵で、村山地方における屋敷構えの特徴を表しており必見。また7月上旬には日本遺産「山寺が支えた紅花文化」の構成文化財とされた紅花畑が門前に花開き、11月には鮮烈な紅葉が庭園を彩る。
本間家三代光丘が明和5年(1768)幕府の巡見使宿舎として建造、荘内藩主酒井家に献上した武家屋敷。武家と商家造りが一体となる珍しい建物。その後拝領、昭和20年(1945)春まで商家造りの方を住まいとした。戦後は公民館として利用され、別館「お店」では帳場を再現し、商人としての暮らしを紹介している。
縄文時代の遺跡を保存・整備した公園。古代の丘資料館では、縄文時代の長者屋敷遺跡資料や出土品を展示。広場には土偶の巨大なオブジェがある。古代の丘にはリードをつけていればペットと入園できるが、資料館はペット不可。
城下町の整備とともに直江兼続が力を注いだのが鉄砲製造。秘境の温泉地として知られる白布にその足跡が残されている。ここで製造された火縄銃は1000挺に上り、上杉軍の鉄砲隊は鴫野[しぎの]の戦いで大いに活躍した。
江戸時代、奥州諸大名の参勤交代の宿場町として栄えた楢下宿。一帯は国の歴史国道の選定を受け、史跡にも指定。当時の面影を残す4棟の建物(いずれも県・市指定文化財)が復元され、街道沿いを流れる金山川にはアーチ状の石橋が2本架かっている。脇本陣滝沢屋は歴史民俗資料館も兼ね、貴重な資料を展示。他の古民家は、無料で見学できる。
酒田を代表する廻船問屋。石置杉皮葺屋根などの酒田の典型的な町家造りの様式で、建物のなかには、人形や料理などで当時の暮らしぶりが再現されている。国指定史跡。所要30分。
たくあん漬の名の由来で知られる沢庵和尚が、3年間上山で過ごした居室。現存する建物は昭和28年(1953)の再建だが、茶室聴雨亭などが往時の風情を伝える。
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