
叶津番所(旧長谷部家住宅)
江戸時代後期に建てられた長谷部家の住宅。入口で馬を飼う曲り屋という建築で、美しい茅葺き屋根を今に残している。また、会津と越後を結ぶ「八十里越」の口留番所[くちどめばんしょ]を兼ねており、会津藩役人が滞在した武家造りの奥座敷もある。福島県重要文化財指定。
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江戸時代後期に建てられた長谷部家の住宅。入口で馬を飼う曲り屋という建築で、美しい茅葺き屋根を今に残している。また、会津と越後を結ぶ「八十里越」の口留番所[くちどめばんしょ]を兼ねており、会津藩役人が滞在した武家造りの奥座敷もある。福島県重要文化財指定。
紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師といった、馴染み深い歌人が和歌に詠んだ歌枕で、多くの文学作品にその名が残されている。太平洋を見下ろす丘陵には、歌碑をはじめ文学碑が10数基ある。周辺一帯は県立自然公園に指定されており、いわき市勿来関文学歴史館(料金:330円、時間:9時~16時30分、休み:第3水曜、祝日の場合は翌日、1月1日)がある。
白虎隊19士の墓から少し下ったさざえ堂の境内に隣接したところにある。創建は寛文年間(1661~1672)で、内部には白虎隊19士の霊像が安置されている。
江戸時代後期の旧馬場家住宅、製ろう小屋など会津地方に散在していた建物を移築し、生活文化財を収蔵している。会津のろう作りの歴史を示す900点以上の資料も。旧馬場家住宅は国の重要文化財に、1000点近い製ろう用具とろう釜屋は重要有形民俗文化財に指定されている。所要30分。
享保14年(建築年代)の明らかな建物として、国の重要文化財に指定。寄棟造で茅葺き屋根の平屋は、かつて会津地方に数多く見られた農家。全室天井がなく梁がむき出しになっている。
奥会津地方で使われてきた生産・生活用具など、代表的な民具3000点を「山・川・道」のテーマ別に展示。施設内には馬宿・染屋・旧猪股家住宅・旧山王茶屋の4棟の茅葺屋根の民家を移築復元している。5~9月には藍染体験(要予約)を実施しており、体験は1時間程度で、ハンカチ1000円~。
鶴ヶ城公園の一角に立つ県指定重要文化財の茅葺き屋根の茶室。千利休[せんのりきゅう]が豊臣秀吉から死を命じられた際、当時の鶴ヶ城城主・蒲生氏郷[がもううじさと]はその子、少庵[しょうあん]を会津にかくまい、千家復興を働きかけたという。少庵が造ったのが、鶴ヶ城本丸内に造られたこの茶室だ。戊辰戦争後に、茶人・森川善兵衛宅に移築・保存されていたが、平成2年(1990)に元の場所に復元された。会津の銘菓が付いた抹茶が楽しめるのでぜひ。
江戸時代後期に建てられた土蔵造りの店舗で会津漆器を販売する老舗。会津若松市歴史的景観指定建造物にもなっている店舗の建物は、江戸末期の戊辰戦争時には官軍の屯所として使われた由緒ある建物。レンガ造りのうだつ(防火壁)を持つ重厚な土蔵商店建築で、なまこ漆喰と上部の黒漆喰の店構えは実に立派だ。戊辰戦争時の傷跡が柱に残る店内には、江戸後期によく使われていた図柄の會津繪や鉄錆繪が用いられた復元漆器をはじめ、箸や椀物、重箱など伝統的な会津塗の漆器、オリジナルデザインの漆器商品が多数揃い、見ているだけでも楽しくなる。
猪苗代駅前から町役場方面へ。役場よりやや北の小高い丘に、戦国時代に鶴ケ城の出城として築かれた城跡が残り、亀ケ城公園となっている。桜の名所でもある。
明治時代を代表する歌人・与謝野晶子は明治44年(1911)に、与謝野鉄寛、佐藤春夫、水上滝太郎らとともに東山温泉を訪れ、歌作などを楽しんだ。竹久夢二の碑の対岸、新瀧橋を渡った「くつろぎ宿 新滝」の敷地内には、「湯の川の第一橋をわがこゆる 秋の夕べのひがしやまかな」の歌碑が建つ。同旅館のロビーには、竹久夢二の絵などとともに掛け軸が展示されている。ロビー内の展示品は宿泊客以外でも見学することができるが、ひと言声を掛けたい。
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