
白河関跡
奈良時代から平安時代頃に置かれた念珠[ねず]、勿来[なこそ]と並ぶ奥州三古関の1つ。時代と共に関の機能は失われたが、歌人・西行や俳人・松尾芭蕉たちが当時を偲んで和歌や俳句にその名を残している。昭和34年(1959)には発掘調査が行われ、柵列や門跡などの遺構が判明、国の史跡に指定された。白河神社の境内に、寛政12年(1800)に白河藩主・松平定信が建造した「古関蹟」の碑が立っている。隣接する白河関の森公園には、松尾芭蕉・曽良の像がある。
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奈良時代から平安時代頃に置かれた念珠[ねず]、勿来[なこそ]と並ぶ奥州三古関の1つ。時代と共に関の機能は失われたが、歌人・西行や俳人・松尾芭蕉たちが当時を偲んで和歌や俳句にその名を残している。昭和34年(1959)には発掘調査が行われ、柵列や門跡などの遺構が判明、国の史跡に指定された。白河神社の境内に、寛政12年(1800)に白河藩主・松平定信が建造した「古関蹟」の碑が立っている。隣接する白河関の森公園には、松尾芭蕉・曽良の像がある。
江戸時代創業の薬種問屋は、喜多方でも珍しい厠(トイレ)蔵と塀蔵を持つ。厠蔵はスリッパも陶器という稀少な蔵だ。塀蔵は火事の延焼を防ぐ狙いがあったという。無断での観覧はお断り。必ず店主、もしくは喜多方観光物産協会まで連絡の上、観覧のこと。
全国でも珍しい茅葺き屋根の民家風の駅舎。改札口の横には囲炉裏がしつらえられ、真夏以外は火が入っている。駅舎の隣には無料の足湯もある。
人材の育成を目的に享和3年(1803)に建設された会津藩の学校。幕末には白虎隊の少年たちをはじめ、多くの優秀な人材を輩出した。壮大な江戸建築や当時の学習の様子を観覧できるだけでなく、坐禅や茶道・弓道などの各種武士道体験のほか、会津の縁起物「赤べこ」や「起き上がり小法師」の絵付体験も楽しめる。坐禅500円、茶道540円、弓道5本300円、絵付け赤べこ920円、起き上がり小法師770円(坐禅・茶道は10名以上からの予約制)。白虎刀の絵付け920円。
会津若松市のシンボルである鶴ヶ城(若松城)天守閣。戦国時代に蒲生氏郷が望楼型の天守閣を完成させ「鶴ヶ城」と命名。江戸時代初期に層塔型の天守閣に改修され、戊辰戦争の際には激しい攻防に耐えた名城だ。明治7年(1874)に取り壊され、現在の天守閣は昭和40年(1965)の再建。赤瓦の5層5階建ての天守閣内は郷土博物館となっており、デジタル技術を駆使し、VR体験や歴代城主の鎧や兜の展示などで、鶴ヶ城や会津の歴史、城下町の変遷などを紹介している。会津の町並みが一望できる最上階展望層はおすすめ。
檜枝岐特有の防火用の穀物倉庫で、民家から離れて建てられたものをいう。役場近くの国道352号沿いに見られる板倉は、蒸篭[せいろ]造と呼ばれ、窓がない。板で隙間なく四面を巡らし、柱や釘は一切使わず、せいろのように厚い板を組み合わせ積み上げたもの。屋根は厚板を置き、ダケカンバの皮で覆いナラの割板で葺いている。奈良の正倉院と同時代の建築様式といわれ、昔の人々の生活を知る上で貴重なものだ。
三津谷から、更に北へ旧米沢街道を約3km進んだ所にある集落。漆喰や粗壁の蔵が並ぶ。窓扉は霧よけという窓の上の屋根に各戸の趣向が凝らされている。「二重屋根」や削り屋根の変形ともいえる「腰折れ切妻」「かぶと」などと呼ばれる特色ある屋根が多く見られる。個人宅のため蔵内は見学不可。
寛政2年(1790)創業の造り酒屋で、6棟ある酒蔵の一部を公開し、酒造道具などを展示している。代表酒の純米大吟醸酒「酒星眼回[しゅせいがんかい]」はフルーティな味で、試飲や購入もできる。界隈には石畳の道が残り、昔と今が調和している。所要30分。
毎年5月、8月、9月の3回上演される檜枝岐歌舞伎の舞台。檜枝岐村の中心からやや山側に入った、鎮守神社の境内に立つ。総檜造り、茅葺き屋根の立派な舞台は江戸時代に建てられたもので、一見の価値あり。重要有形民俗文化財。
国道352号沿いの板倉近く、桜の木の下に立つ6体の地蔵。檜枝岐はもともと山間の高冷地で作物に恵まれず、凶作の年には食料不足のため多くの子供たちが間引きされた。その冥福を祈り、1730年(享保15)に立てられたもの。柔和な表情をした地蔵は色鮮やかな衣装をまとい、供物が絶えず、村人の信仰の厚さを物語る。
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