加藤神社
熊本城内に鎮座する加藤神社は、熊本発展の礎となった加藤清正公(セイショコさん)をお祀りしている。創建時は錦山神社と称していたが、明治42年(1909)に現社名に改称。また、昭和37年(1962)に現在地に遷宮。境内から見上げる熊本城の大小天守と宇土櫓の眺めは絶景。
- 「熊本城・市役所前駅」から徒歩8分/「通町筋駅」から徒歩10分
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熊本城内に鎮座する加藤神社は、熊本発展の礎となった加藤清正公(セイショコさん)をお祀りしている。創建時は錦山神社と称していたが、明治42年(1909)に現社名に改称。また、昭和37年(1962)に現在地に遷宮。境内から見上げる熊本城の大小天守と宇土櫓の眺めは絶景。
承平5年(935)創建。平将門・藤原純友の乱において、国家鎮護のために京都の石清水八幡宮を勧請して建立したと伝えられる。境内には朱塗りの楼門や社殿があり、応神天皇・神功皇后・住吉大神を祀る。毎年9月には随兵行列や馬追いなどが行われる例大祭の神幸式が斎行され、約1万7000人が奉仕する。
永尾神社とも言われ、宇土半島南岸の八代海に面する高台に立つ。エイに乗って来たと伝わる海童神[わだつみのかみ]が祭神で、鎮座する地形がエイの尾に見立てられることでこの名が付いたと伝わる。神社前の海上には鳥居と灯籠が立ち、日没前の景色が美しいことで知られる。また、旧暦8月1日前後の大潮で干潮となる未明には、海上沖合に不知火[しらぬい]と呼ぶ光の列の蜃気楼現象が発生することがあり、旧暦8月1日は「八朔祭り」と、鳥居沖合の海上で花火を打ち上げる「不知火海の火まつり」が催される。
阿蘇市の古刹・西厳殿寺の山上の本堂。現在の本堂は明治27年(1894)の建立以来、噴火で一度も倒壊していないことから「厄除け」、古くから縁結びの山として信仰を集めた阿蘇にちなみ「縁結び」にも御利益があると評判。五色の紐を本尊からつながった紐に結ぶ「五紐結び」が有名。
阿蘇山の東方、伊邪那岐命[いざなぎのみこと]、伊邪那美命[いざなみのみこと]、石君大将軍[いわぎみたいしょうぐん]を祀る神社。100基ほどの苔むした石灯籠と参道に続く階段、素朴な鳥居など神秘的な景色がフォトジェニックだと話題に。特にアニメ映画『蛍火の杜へ』の舞台になったことで人気に火がつき、パワースポットとしても知られている。巨大な岩に穴が開いている神社裏の穿戸岩[うげといわ]も見逃さないように。
室町期に元の高僧によって創建された雲巌禅寺[うんがんぜんじ]の奥にある洞窟。洞窟内に石造りの岩戸観音が祭られている。宮本武蔵が籠もり、兵法書『五輪書』を書いた所でもある。
健磐龍命[たけいわたつのみこと]の第一子・速瓶玉命[はやみたまのみこと]など4神を祭る。境内の大杉は推定樹齢1300年という大木。昔は手野[ての]の二本杉といわれ男杉・女杉があった。
明治3年(1870)、明治天皇の勅命で菊池氏の居城跡に創建された。境内に立つ菊池神社歴史館(料金:300円、時間:9~17時、休み:無休。所要30分)には、松囃子能[まつばやしのう](重要文化財)など貴重な文化財を収蔵。
熊本市の水前寺成趣園を境内地にもつ神社。明治10年(1877)に西南の役で熊本の街は焼け野が原となった。旧熊本藩士たちは、藩主の御霊を祀り、御恩徳によって人心を安定させ、熊本の街を発展させようとの思いから、明治11年(1878)、肥後細川家に縁の深い水前寺成趣園に社殿を創建した。肥後細川家初代細川藤孝(幽斎)公ほか三柱を主祭神とし、歴代藩主とガラシャ(二代忠興公の妻)、あわせて十五柱が祀られている。
天正6年(1578)に建立されて以来、数々の山鹿の歴史を見守ってきた寺。江戸中期から伝わる7000冊のお経本が収められた蔵のほかに、近松門左衛門作の『夕霧阿波鳴門』に登場する夕霧伊佐のモデルとなった宗方屋利平と夕霧の墓がある。
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