
人吉城跡
人吉城跡には例年3月下旬に満開となる約230本のソメイヨシノが植えられている。人吉城は相良氏700年の居城。繊月城と呼ばれる。現在は石垣を残すのみだが、石垣の上に長兵、角櫓、多門路を復元。高台に立つ城跡からは、球磨川や人吉の町並みを一望。日本百名城のひとつ。
- 「相良藩願成寺駅」から徒歩16分/「人吉温泉駅」から徒歩23分
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人吉城跡には例年3月下旬に満開となる約230本のソメイヨシノが植えられている。人吉城は相良氏700年の居城。繊月城と呼ばれる。現在は石垣を残すのみだが、石垣の上に長兵、角櫓、多門路を復元。高台に立つ城跡からは、球磨川や人吉の町並みを一望。日本百名城のひとつ。
細川家三代(肥後藩初代)忠利の弟、刑部少輔興孝[ぎょうぶしょうゆうおきたか]が興した、細川刑部家の武家屋敷。全国有数の上級武家屋敷としての格式をもっている。市内の子飼にあったものを平成5年(1993)熊本城三の丸に移築復元。建坪は約300坪。家具や調度品に当時の武家の暮らしが偲ばれる。県指定重要文化財。
日本三名城のひとつといわれ、国の特別史跡に指定されている。加藤清正によって関ケ原の戦いの前には現在の位置に築城され始め、本丸は慶長12年(1607)に完成した。城郭は広さ約98万平方m、周囲5.3kmにも及ぶ。明治10年(1877)の西南戦争の際、大天守などが焼失したが、石垣や宇土櫓(国指定重要文化財)をはじめとする各櫓が往時を伝える。今の天守閣は昭和35年(1960)に再建された。
緑川にかかる、高さ16m、幅5.5m、全長89.8mの日本最大級の単一アーチ橋。弘化4年(1847)に架けられたもので、国の重要文化財に指定されている。
人吉駅前にある、人吉城天守閣をイメージして作られたからくり時計。9~18時(11~2月は~17時)の間は毎時約3分間作動する。人吉の民謡や臼太鼓踊りの楽しい雰囲気につられて、相良の御殿様が庄屋どんの姿になりすまし、城下町におりてきて人吉温泉や球磨焼酎を楽しむユーモラスなストーリーになっている。
五家荘とは、椎原[しいばる]・久連子[くれこ]・葉木[はぎ]・仁田尾[にたお]・樅木[もみぎ]の5つの集落の総称。平家落人伝説を今に伝える山里だ。左座家[ぞうざけ]、緒方家[おがたけ]、平家の里、久連子古代の里は見学(ともに有料)できる。せんだん轟の滝、樅木の吊橋、梅の木轟公園吊橋の眺望は抜群。
八代城主3代松井直之[まついなおゆき]が生母のために、元禄元年(1688)に建てた茶室。室内は非公開だが、四季折々に花が楽しめる風雅な庭園があり、特に6月の花菖蒲はみごと。また、敷地内の宝物展示場では、茶道具や肥後の絵師による書画など、松井家先祖伝来の家宝が鑑賞できる。
壇ノ浦の戦いで敗れ、この地に落ち延びたとされる平清経は、妻の姓である緒方姓を名乗った。この家はその子孫が暮らした旧家で、300年ほど前に建造されたもの。土間や囲炉裏のある板の間など、昔の日本の生活を偲ぶことができる。
明治時代、英語教師として熊本に赴任した小泉八雲の最初の住居。『知られざる日本の面影』『東の国から』を執筆した地としても有名。所要20分。熊本市指定文化財。
平成27年(2015)7月に世界文化遺産に登録された三角西港は、明治20年(1887)に開港。長さ756mにも及ぶ石積みの埠頭や、水路など当時の最新技術を駆使して造られた。宮城・福井の港と並ぶ「明治三大築港」と呼ばれ、国内外の貿易拠点として賑わった。築港当時の姿をほぼ完璧に残している港湾施設。
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