通潤橋
嘉永7年(1854)にできた日本最大級の石造りアーチ式水路橋。阿蘇南外輪山の南側の丘陵にある通潤用水の一部で、国宝に指定されており、橋長は約78m、橋高は約21m。石橋中央部の放水口から水がアーチ型に豪快に噴き出す姿がよく知られている。放水日や橋上からの観覧(有料)については、通潤橋公式HPを要確認。橋そばには、橋上観覧の受け付けをする物産館がある「通潤橋ミエルテラス」や立体模型や映像で橋の構造を紹介している「通潤橋史料館」もある。
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嘉永7年(1854)にできた日本最大級の石造りアーチ式水路橋。阿蘇南外輪山の南側の丘陵にある通潤用水の一部で、国宝に指定されており、橋長は約78m、橋高は約21m。石橋中央部の放水口から水がアーチ型に豪快に噴き出す姿がよく知られている。放水日や橋上からの観覧(有料)については、通潤橋公式HPを要確認。橋そばには、橋上観覧の受け付けをする物産館がある「通潤橋ミエルテラス」や立体模型や映像で橋の構造を紹介している「通潤橋史料館」もある。
細川家三代(肥後藩初代)忠利の弟、刑部少輔興孝[ぎょうぶしょうゆうおきたか]が興した、細川刑部家の武家屋敷。全国有数の上級武家屋敷としての格式をもっている。市内の子飼にあったものを平成5年(1993)熊本城三の丸に移築復元。建坪は約300坪。家具や調度品に当時の武家の暮らしが偲ばれる。県指定重要文化財。
日本三名城のひとつといわれ、国の特別史跡に指定されている。明治10年(1877)の西南戦争の際、大天守などが焼失したが、石垣や宇土櫓(国指定重要文化財)をはじめとする各櫓が往時を伝える。今の天守閣は昭和35年(1960)に再建された。平成28年(2016)に熊本地震で被災したが令和3年(2021)に天守閣の復旧が完了し、全面リニューアルした展示と最上階からの眺めを楽しめるようになった。
宮本武蔵の銅像と「新免武蔵居士石塔」と記された墓石があり、剣聖宮本武蔵の墓所の一つ。武蔵広場ゾーン、日本庭園ゾーンなどがあり憩いの場として親しまれている。
平成27年(2015)7月に世界文化遺産に登録された三角西港は、明治20年(1887)に開港。長さ756mにも及ぶ石積みの埠頭や、水路など当時の最新技術を駆使して造られた。宮城・福井の港と並ぶ「明治三大築港」と呼ばれ、国内外の貿易拠点として賑わった。築港当時の姿をほぼ完璧に残している港湾施設。
緑川にかかる、高さ16m、幅5.5m、全長89.8mの日本最大級の単一アーチ橋。弘化4年(1847)に架けられたもので、国の重要文化財に指定されている。
明治43年(1910)に建てられた国の重要文化財。江戸時代の歌舞伎小屋の様式を今に伝える。催事がない時には見学が出来る(見学は要問合せ)。斜め向いに立つ資料館夢小蔵[ゆめこぐら]では明治期の芝居の小道具やチラシなど貴重な史料を多数展示。所要1時間。
わが国最大規模の炭鉱施設で、日本の近代化に大きな役割を果たした。第二堅坑櫓、巻揚機室などの遺構が残り、当時の賑わいをしのばせる。この万田坑を含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は、平成27年(2015)にユネスコ世界文化遺産に登録された。巻揚機室や竪坑櫓、炭鉱電車などが見学できるほか、展示施設の万田坑ステーションでは、万田坑に関する歴史や基礎知識を展示資料やジオラマ、VR視聴コーナーなどで紹介している。
明治時代、英語教師として熊本に赴任した小泉八雲の最初の住居。『知られざる日本の面影』『東の国から』を執筆した地としても有名。所要20分。熊本市指定文化財。
壇ノ浦の戦いで敗れ、この地に落ち延びたとされる平清経は、妻の姓である緒方姓を名乗った。この家はその子孫が暮らした旧家で、300年ほど前に建造されたもの。土間や囲炉裏のある板の間など、昔の日本の生活を偲ぶことができる。
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