恵日寺
はるか大和時代、朝鮮へ出兵する大伴狭手彦[おおとものさてひこ]との別れを嘆き悲しんで石になってしまったという佐用姫[さよひめ]の悲恋伝説ゆかりの寺。本尊の観音像は大伴狭手彦が朝鮮から持ち帰り、佐用姫の供養のために安置したものといわれる。本堂にある寺の銅鐘(重要文化財)は口径47.5cmの朝鮮鐘。
- 「虹ノ松原駅」から徒歩18分
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はるか大和時代、朝鮮へ出兵する大伴狭手彦[おおとものさてひこ]との別れを嘆き悲しんで石になってしまったという佐用姫[さよひめ]の悲恋伝説ゆかりの寺。本尊の観音像は大伴狭手彦が朝鮮から持ち帰り、佐用姫の供養のために安置したものといわれる。本堂にある寺の銅鐘(重要文化財)は口径47.5cmの朝鮮鐘。
安永元年(1772)に創建、藩祖・鍋島直茂[なべしまなおしげ]公をはじめとする佐賀の礎を築いた神々を祀る。直茂公のご神号「日峯大明神」にちなんで、地元では「日峯さん」の名で親しまれ、春秋の例祭は市内でも大きな行事だ。境内には、肥前の陶工たちが寄進した白磁の鳥居と灯籠がある。
約1900年前の景行[けいこう]天皇創祀の古社。社前の石造肥前鳥居、拝殿内の御神幸祭絵馬は県指定の重要文化財。西暦偶数年の4月第1土・日曜には約750年の歴史があるみゆき大祭を行う。太神楽(県指定重要文化財)、奴、八乙女、みこしなどの行列が練り歩く。
慶長19年(1614)、鍋島茂教によって創建された曹洞宗の禅寺。不動堂には、藤原時代後期のものと推定される木彫の不動明王と2体の童子像が安置されている。いずれも国指定の重要文化財だ。不動堂は閉まっていることもある(要問合せ)。
曹洞宗の禅寺。藩祖鍋島直茂の父・清房が天文21年(1552)に創建された『武士道』の書『葉隠』。「鍋島・龍造寺」の香華所として知られ、両家のご墓所東西に墓石、石灯籠が整然とならんでいる。樹齢約400年の霊徳寿梅[れいとくじゅばい]も有名。国内最大縦約15m、横約7mの大涅槃像図が、毎年4月19日~5月5日の釈迦堂祭りで開帳される。本尊薬師寺如来(推定平安末期~室町時代)も釈迦堂祭り中に一般公開されている。
万治元年(1658)に有田焼の守護神として創建、地元の窯元と商人たちの崇敬を集める。この地の陶工たちが競って寄進した大鳥居、狛犬、欄干、手水鉢などはすべて白磁器で造られている。なかでも大鳥居の染め付けの唐草模様は必見。社務所で扱っている絵馬やお守りも磁器製だ。大鳥居は国の登録有形文化財に指定されている。
応安2年(1369)に開山したと伝えられる臨済宗南禅寺[りんざいしゅうなんぜんじ]派の寺。境内の敷地はおよそ1万平方m。本尊は木造の薬師如来で仏師・運慶[うんけい]の作といわれる。周辺は老楠が茂り、荘厳な雰囲気が漂う。
嬉野の地で古くから宗廟の神社と尊崇されている神社。海神の娘で、竜宮城の乙姫・豊玉姫を祀る。境内には、豊玉姫の遣いとされる白なまずを祀ったなまず社もあり、美肌を願う女性が参拝するという。
祐徳稲荷神社は京都の伏見稲荷大社、茨城の笠間稲荷神社と並ぶ日本三大稲荷のひとつといわれている。地元では「祐徳さん」の名で親しまれ、年間300万人以上の参拝者が訪れる。石壁山中腹に舞台造の漆塗りの本殿、境内に楼門、神楽殿が立つ。
創建は6世紀、欽明天皇の代と伝えられる古社で、佐賀城の鎮守だった。現在の社殿は宝暦8年(1758)に鍋島宗教・重茂が造営したもの。室町時代に建てられた朱色の楼門と、慶長8年(1603)造の三の鳥居、それらを結ぶ慶長11年(1606)建造の石橋は、いずれも国の重要文化財。樹齢1400年以上と推定される大楠(県天然記念物)も見事だ。
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