
田島神社
加部島漁港に向かって鎮座する古社。海上安全や商売繁盛の神として親しまれている。創建時代は明らかではないが、平安時代の「延喜式神名帳[えんぎしきじんめいちょう]」にすでにその名が登場。境内には県下最古の頼光[らいこう]鳥居や、恋愛成就の神として人気がある佐用姫[さよひめ]神社もある。
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加部島漁港に向かって鎮座する古社。海上安全や商売繁盛の神として親しまれている。創建時代は明らかではないが、平安時代の「延喜式神名帳[えんぎしきじんめいちょう]」にすでにその名が登場。境内には県下最古の頼光[らいこう]鳥居や、恋愛成就の神として人気がある佐用姫[さよひめ]神社もある。
応神天皇、仲哀[ちゅうあい]天皇、神功皇后を祭る八幡宮。藩祖・鍋島直茂が奉納した石造りの肥前鳥居がある。毎年3月15日にお粥さんまつり(粥占)、9月15日には放生会が行われ、放生会では9月15日に近い日曜に伝統の浮立が奉納される。
はるか大和時代、朝鮮へ出兵する大伴狭手彦[おおとものさてひこ]との別れを嘆き悲しんで石になってしまったという佐用姫[さよひめ]の悲恋伝説ゆかりの寺。本尊の観音像は大伴狭手彦が朝鮮から持ち帰り、佐用姫の供養のために安置したものといわれる。本堂にある寺の銅鐘(重要文化財)は口径47.5cmの朝鮮鐘。
かつては島の守り神として地元で崇敬されてきた神社で、450年の歴史をもつ。16年ほど前から「宝当」の縁起の良い名前にあやかって参拝者が増え、その中から宝くじに当選された人が出たことから全国的に宝くじの当たる神社として有名になった。神社内部には、宝くじに当たった参拝者の御礼の手紙や、宝くじの当たり券のコピーなどが掲示してある。現在は年間約20万人の参拝者がある。祈祷は予約制。
伊萬里神社の摂社で、祭神は現在の中国江南地方へ渡り、非時香菓(橘)を持ち帰ったとされる田道間守。昔は木の実は菓子とよばれ、橘は最高の菓子とされたことから菓子の神様として知られる。
奈良時代に建てられたといわれる白い鳥居の神社。「唐津くんち」は唐津神社の秋季例大祭。無形文化遺産でもある。毎年11月2~4日の3日間に行なわれ、豪華絢爛な14台の曳山が街を彩る。重さ2~4トンもある赤・青・金など極彩色の見事な曳山は迫力があり、見応えがある。
旧藩主・小笠原家の菩提寺で、正面の山門は名護屋城中の門を移築したもの。江戸時代の浄瑠璃作家・近松門左衛門が幼少の頃にここで学んだといわれ、その分骨の墓石がある。境内には、小笠原家に関する資料を展示した小笠原記念館(時間:9~17時、休み:月曜、祝日の場合は開館、所要20分)も立つ。
地図上では多良岳と沖ノ島を結ぶ直線上に配置されている大魚神社。太良町の主産業である農業と漁業(山と海)が相互に関係しているという自然哲学を彷彿とさせる。海中鳥居の朝夕夜・月明かり・星空・潮位などにより多様に変化する景色はいつ見ても飽きないことから、神秘的な撮影スポットとして観光客に人気だ。
応安2年(1369)に開山したと伝えられる臨済宗南禅寺[りんざいしゅうなんぜんじ]派の寺。境内の敷地はおよそ1万平方m。本尊は木造の薬師如来で仏師・運慶[うんけい]の作といわれる。周辺は老楠が茂り、荘厳な雰囲気が漂う。
真言宗の中興で新義真言宗の開祖・興教大師覚鑁上人の生誕地。九州八十八カ所霊場、九州36不動霊場、肥前七福神霊場となっている。有料で写経や護摩焚き体験もできる。広大な境内敷地には四季折々の植物が彩りを添える。
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