
清涼山九品寺(穴文殊)
断崖絶壁の上に立つ曹洞宗万福寺の境外仏堂。もとは洞窟の奥に安置していた文殊菩薩を現在の地に遷仏したことから、穴文殊と呼ばれ、地元では文殊さんの名で親しまれる。毎年8月24日には穴文殊大祭が開催され、露店や花火・音楽などで賑わい、知恵を授かりに多くの人が参拝する。
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断崖絶壁の上に立つ曹洞宗万福寺の境外仏堂。もとは洞窟の奥に安置していた文殊菩薩を現在の地に遷仏したことから、穴文殊と呼ばれ、地元では文殊さんの名で親しまれる。毎年8月24日には穴文殊大祭が開催され、露店や花火・音楽などで賑わい、知恵を授かりに多くの人が参拝する。
足利尊氏の生誕地といわれる古寺。正暦4年(993)頃、恵心僧都作の子安地蔵菩薩を安置して光福寺としたのがはじまりという。尊氏の母は、この地を所領していた上杉氏の娘にあたり、里帰りして尊氏を出産。境内には茅葺の本堂をはじめ、産屋の跡やその傍らに産湯の井戸が残るほか、尊氏と母、妻の墓も。釈迦三尊座像、木像地蔵菩薩半跏像等がある。紅葉の名所としても知られている。
『延喜式』記載の官幣大社(山陰道で唯一)、また、丹後一宮として格式を誇る古社で、社殿は伊勢神宮と同じ神明造。伊勢へ遷る前の天照大神〔あまてらすおおかみ〕と豊受大神〔とようけおおかみ〕が祭られていたことより、元伊勢と称される。4月24日には葵祭が行われ、太刀振りなどの奉納神事が神の御生れをにぎやかに祝福する。神門前の石段わきにある狛犬(重要文化財)は、作者の魂が入って天橋立の松原に出没していたのを剣豪・岩見重太郎に斬られ、以来、魔除けの狛犬として霊験あらたかと伝わる。
宮島、松島とともに日本三景の「天橋立」を眼下に望む景勝地に立つ寺院。慶雲元年(704)、真応上人が開基した西国三十三カ所霊場第28番札所の古刹。「願い事が成りあう寺」として有名で、境内には、江戸時代建立の本堂をはじめ、観音堂や鎌倉時代の形式で復元建築された五重塔などが立つ。悲しい言い伝えの残る撞[つ]かずの鐘や、本堂内の左甚五郎の作とされる彫刻「真向の龍[まむきのりゅう]」なども見逃さないように。背後には成相山パノラマ展望所があり、「天橋立」の絶景が楽しめる。
天長2年(825)に創建され、浦島太郎を筒河大明神として祭っている。境内の資料室には玉手箱をはじめ、浦嶋明神絵巻など、浦嶋伝説ゆかりの宝物を展示している。浦嶋明神絵巻の絵説きが好評だ。
和銅元年(708)に開かれた古刹。福井県との県境に位置する青葉山の中腹にあり、松尾寺駅から約1時間かけて歩く参拝客も多い。西国第29番札所。平成20年(2008)より宝物殿を開設。春秋の一定期間(2カ月づつ)、国宝普賢延命像等の寺宝を展示公開(9~16時:拝観800円)。
七夕伝説に登場する天女の娘の1人といわれる祭神・豊受大神[とようけのおおかみ]が祭られている。ここ峰山町には2種類の羽衣伝説が残っており、一つは羽衣を隠された天女が狩人の妻となったが、天に帰らなければならず7日ごとに会うという約束をしようとしたが、天邪鬼が狩人には7月7日に会おうと伝えたため、年に1度しか会えなくなったというもの。もう一つは、羽衣を隠された天女が老夫婦の娘となり、酒造で里が豊かになるという伝説だ。
通称を天橋立の切戸の文殊[もんじゅ]といい、古代から智恵を授かる文殊菩薩の信仰の地として知られる古刹。本堂に秘仏の文殊菩薩像(重要文化財)を祭り、境内には室町時代造立の多宝塔(重要文化財)、鎌倉時代鋳造の鉄湯船(重要文化財)、すぐ横の連絡船乗り場の近くに智恵の輪灯籠がある。
一年を通して数百種の花が咲く、関西花の寺霊場第七番札所。中でも4月中旬のミツバツツジは、境内や周辺散策道をピンクに染めて見事。この後も、山法師・さつき・ヤマツツジ・山アジサイ・笹ユリ・沙羅・あじさい・萩などが次々咲くほか、秋まで豊富な山野草が楽しめる。住職の楽しい花説法(予約)と季節の花を目的とした団体ツアーも絶えない。本尊は眼守護、また、初詣や夏の千日詣でも知られる。門前にすぐ久美浜湾が広がる景勝地である。
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