成田山川越別院本行院
嘉永6年(1853)、成田山新勝寺から御本尊不動明王の分霊を受け建立された。本堂右手のおびんづるさまは、触ると病が治るとして親しまれる。本堂脇の池には、亀がいっぱい。大師堂には弘法大師像も。
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嘉永6年(1853)、成田山新勝寺から御本尊不動明王の分霊を受け建立された。本堂右手のおびんづるさまは、触ると病が治るとして親しまれる。本堂脇の池には、亀がいっぱい。大師堂には弘法大師像も。
全国に点在する約280の氷川神社の本社で、2400年の歴史をもつ全国でも屈指の古社。武蔵一宮として明治天皇の御親祭以降は、勅祭社に列せられるなど、関東一円から信仰を集め、初詣には毎年200万人以上の参拝客で賑わう。また5月には大宮薪能が境内で行われるほか、8月には例大祭、12月には大湯祭など数々の行事も行われる。旧中山道から約2km続く参道には、ケヤキをはじめクスノキ、サクラなど30種類以上の樹木、約650本が立ち並び、そのうち20本が市の天然記念物として文化財指定され保存緑地指定を受けている。
閑静なたたずまいをみせる天台宗の寺。天長7年(830)、慈覚大師円仁により創建。元は星野山無量寿寺の北院(喜多院)、中院、南院のひとつ。島崎藤村の義母加藤みきの墓があり、境内に不染亭という藤村ゆかりの茶室が立つ。
聖護院門跡末寺。イボとり観音ともよばれ、イボやコブ、アザをとる御利益があるとして親しまれている修験寺院。円空仏七躯が県の有形文化財、元禄年間(1688~1704)に建てられた仁王門が、市の有形文化財に指定されている。各種、祈願、祈祷随時受付。毎年、GWに円空仏祭が行われ、円空仏が公開される。
飯能市名栗渓谷にある観音信仰の霊場。開祖の平沼彌太郎は明治に生まれ、家業の林業経営、名栗村長、埼玉銀行頭取、林業団体役員、参議院議員を歴任したが、観音信仰に篤かった亡母の遺志を継ぎ、生まれ育った名栗の地に鳥居観音を開山した。約10万坪の境内には、高さ33mの大観音や三蔵法師霊骨慰霊塔などの堂塔が点在し、本堂には7つの観音像が祀られている。春はつつじ、秋は紅葉など、埼玉100選でもある境内は花草木に溢れ、山紫水明、幽境たる連峰、四季折々の佇まいは、そのまま観音さまの住まいになられた補陀落山といえるだろう。
源頼朝や徳川家康などに縁の深い、関東最古の大社ともいわれている。国指定重要無形民俗文化財である。土師一流催馬楽神楽が年に6回奉演される。奉演日1月1日、2月14日、4月10日、7月31日、10月10日、12月初酉の日。
延徳2年(1490)開創、明応2年(1493)廣見寺2世東雄朔方により再興、開山となる。本尊は聖観世音菩薩。延命地蔵、仁王像が迎える。本堂内の厨子は美術工芸品として評価が高く、堂内安置の子安観音像は、安産と子育てに霊験あらたか。また、体の痛い部分を撫でると身代わりになってくれると伝わる「おびんずる様」で知られる。アニメ映画の舞台地でもある。
吉見百穴への途中、松山城跡の北側にある。岩をくりぬき、88体の観音石仏を祭ったもので、弘仁年間(810~824年)に建立されたと言われる。その後、天正18年(1590)の松山城攻防戦の際に焼失。現在のお堂は江戸時代に再建されたもので、建物の後方には安産にご利益のある「胎内くぐり」や、四国八十八カ所めぐりと同じ功徳を得られるという石仏が祀られている。
平安末期、源頼信が平忠常討伐に際して昼夜の戦勝祈願をしたところ、明け行く空に箭の形をした白雲がにわかに現れ、その箭は敵を射るかのように飛んで行き、頼信は、これぞ神のご加護と奮いたち、神を信じ戦う頼信軍が勝利する。その後、頼信は社殿の建て替えを寄進したとされる神社。境内に植えられた約1300株のボタンは4月中旬~5月上旬に見事な花をつける。五穀豊穣、商売繁昌、家内安全の守り神であるとともに、交通安全、厄除、火難除、開運、学業成就、芸能向上等の祈願社として信仰を集めている。
札所1番。元禄10年(1697)に建立された朱塗りの千鳥破風付観音堂は、秩父札所霊場の中で唯一の県指定重要文化財だ。8月24日に行われる大施食会は関東三大施餓鬼会の一つとして有名。境内の売店では一番札所らしく、杖や納経帖、掛軸、笈摺、白衣などの巡礼用品が全て揃う。また周辺は、秩父市の天然記念物ムラサキヤシオツツジの群生地としても知られる。
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