
川越八幡宮
長元3年(1030)源頼信公によって創建された約1000年の歴史を有す古社。古来より川越城主をはじめ関東一円の人々から厚い崇敬があり、特に「開運厄除の神様」として慕われている。また、上皇陛下生誕を記念して境内に植樹した2本のイチョウが1本に結ばれた「縁結びイチョウ」は全国的に有名。
- 「本川越駅」から徒歩8分/「川越駅」から徒歩9分
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長元3年(1030)源頼信公によって創建された約1000年の歴史を有す古社。古来より川越城主をはじめ関東一円の人々から厚い崇敬があり、特に「開運厄除の神様」として慕われている。また、上皇陛下生誕を記念して境内に植樹した2本のイチョウが1本に結ばれた「縁結びイチョウ」は全国的に有名。
江戸時代には川越藩領の総鎮守として信仰され、10月中旬に行われる川越氷川祭はこの神社の例大祭。現在の本殿は嘉永2年(1849)に竣工し、江戸彫りといわれる精巧な彫刻が施されている。また、2組の夫婦神と大己貴命[おおなむちのみこと]をお祀りしていることから、古くから縁結びの神様として信仰を集めている。
閑静なたたずまいをみせる天台宗の寺。天長7年(830)、慈覚大師円仁により創建。元は星野山無量寿寺の北院(喜多院)、中院、南院のひとつ。島崎藤村の義母加藤みきの墓があり、境内に不染亭という藤村ゆかりの茶室が立つ。
慈覚大師が天長7年(830)に創建した天台宗の名刹。川越大師として親しまれる。徳川家康の信任を得ていた天海僧正が第27世住職になると、幕府の厚い庇護を受け、江戸城から家光誕生の間や春日局化粧の間などが庫裏(重要文化財)、書院(重要文化財)、客殿(重要文化財)として移築された。いずれも見学可能。広い境内に立つ山門、鐘楼門、慈眼堂なども国の重要文化財に指定されている。また境内にある538体の五百羅漢は、天明2年(1782)から50年に渡り建立されたもの。1月3日のだるま市も賑わいをみせる。
800年余の歴史ある神社の境内にある樹齢400年以上のフジは、県の天然記念物。枝張りは、20mにもおよび、1mを超えるみごとな花房を垂らす。開花時は、薄紫色のカーテンと木漏れ日のコントラストがみごと。
高句麗からの渡来人・高麗王若光を祀る神社。霊亀2年(716)、神社一帯に高麗郡が置かれ、郡の長官となった若光の没後、その遺徳を偲んで建てられた。大正から昭和期、参拝後に総理大臣になった政治家が多く、出世明神とも称せられている。
天覧山の南麓にある曹洞宗の古刹。文亀元年(1501)に中山家勝が小庵を開いたのをはじめに、飯能地方の領主の菩提寺として栄えた。明治維新の飯能戦争で多くを焼失したが、昭和11年(1936)に現在の本堂が再建された。天覧山の傾斜を利用した池泉観賞式蓬莱庭園はツツジやサツキなど四季折々の花が咲く約1000平方mの庭園で、日本の名園百選にも選ばれている。本堂手前にある竹林も見事。
京都の清水寺を模した舞台を備えた、懸崖造の堂宇である観音堂(岩井堂)が最大のみどころ。鳥山石燕作の絵馬なども見られる。
札所28番で、そそり立った岩壁の下に立つ姿が印象的。鎌倉時代の作といわれる馬頭観音が本尊で、裏にかつて奥ノ院だった橋立鍾乳洞がある。
秩父札所三十四ヶ所観音霊場の1つで、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際、旗を差した場所として語り継がれてきた。西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所とともに日本百番観音に数えられている。西武鉄道・西武秩父駅、秩父鉄道・御花畑駅からほど近く、秩父市街の中心部にあり、5月に花まつり、7月にあめ薬師、12月には夜祭などが行われにぎわう。薬師如来像、聖徳太子七才尊像など多くの文化財・寺宝があり、本堂は明治11年(1878)の秩父大火で焼失したが、明治34年(1901)に一番四萬部寺の本堂を模して再建された。
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