
川越氷川神社
江戸時代には川越藩領の総鎮守として信仰され、10月中旬に行われる川越氷川祭はこの神社の例大祭。現在の本殿は嘉永2年(1849)に竣工し、江戸彫りといわれる精巧な彫刻が施されている。また、2組の夫婦神と大己貴命[おおなむちのみこと]をお祀りしていることから、古くから縁結びの神様として信仰を集めている。
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江戸時代には川越藩領の総鎮守として信仰され、10月中旬に行われる川越氷川祭はこの神社の例大祭。現在の本殿は嘉永2年(1849)に竣工し、江戸彫りといわれる精巧な彫刻が施されている。また、2組の夫婦神と大己貴命[おおなむちのみこと]をお祀りしていることから、古くから縁結びの神様として信仰を集めている。
閑静なたたずまいをみせる天台宗の寺。天長7年(830)、慈覚大師円仁により創建。元は星野山無量寿寺の北院(喜多院)、中院、南院のひとつ。島崎藤村の義母加藤みきの墓があり、境内に不染亭という藤村ゆかりの茶室が立つ。
川越城の鎮守として寛永元年(1624)、当時の城主、酒井忠勝によって再建されたと伝えられる。「とおりゃんせ、とおりゃんせ、ここはどこのほそみちじゃ…」のわらべ唄、とおりゃんせ発祥の地といわれる。川越城内に位置していたため、一般の人の参詣が難しく、その様子が歌われているとか。
嘉永6年(1853)、成田山新勝寺から御本尊不動明王の分霊を受け建立された。本堂右手のおびんづるさまは、触ると病が治るとして親しまれる。本堂脇の池には、亀がいっぱい。大師堂には弘法大師像も。
800年余の歴史ある神社の境内にある樹齢400年以上のフジは、県の天然記念物。枝張りは、20mにもおよび、1mを超えるみごとな花房を垂らす。開花時は、薄紫色のカーテンと木漏れ日のコントラストがみごと。
京都の清水寺を模した舞台を備えた、懸崖造の堂宇である観音堂(岩井堂)が最大のみどころ。鳥山石燕作の絵馬なども見られる。
本尊の聖観音立像は藤原時代の等身大一木造。桜並木の参道の奥には、享保年間(1716~36)建立の重厚な入母屋造の楼門が立つ。佛像の寺・十王像・十三王像・六地蔵・雷神・風神・雨神・あづかり観音・ふれあい観音・その他多数の佛像が奉安されている。花の寺・椿・桜・桃・藤・花蓮など、四季折々の花が境内に咲く。
吉見百穴への途中、松山城跡の北側にある。岩をくりぬき、88体の観音石仏を祭ったもので、弘仁年間(810~824年)に建立されたと言われる。その後、天正18年(1590)の松山城攻防戦の際に焼失。現在のお堂は江戸時代に再建されたもので、建物の後方には安産にご利益のある「胎内くぐり」や、四国八十八カ所めぐりと同じ功徳を得られるという石仏が祀られている。
本尊は仏母といわれる准胝(じゅんてい)観音。
秩父札所33番。本尊の聖観世音(県文化財)は、藤原時代の檜の一木彫。入母屋造の本堂の広い土間の左右には子返しの図や孝行和讃の図があり、貧しい暮らしのなかでの人道倫理が諭されている。
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